「人の移動」の国際政治
鶴園 裕基著
李 英美
日本華僑とは誰か。この問いは、第二次世界大戦終結後の日本において、そして戦後東アジアの激動期において、極めて複雑な意味を持つことになった。
本書が一貫して追求する問題意識は、「誰が華僑となったのか」という問いと表裏一体をなす「誰が華僑とならなかったのか」という問いだ。これまでの研究が主に軍事・経済的な側面に注目して冷戦史を語ってきたのに対し、本書は異なるアプローチを取っている。日本華僑の法的地位や移動管理制度の変遷を通じて、戦後東アジアの冷戦構造を「人の移動」という視点から捉え直しているのである。
日本華僑の身元把握は、GHQ占領の初期から始まり、中華民国駐日代表団による登録(華僑臨時登記)が最初であった。これに加えて、日本政府が外国人登録令を制定(1947年)したことで、次第にその輪郭が明確になっていった。これらは単なる身元の把握にとどまらなかった。在日中国人および台湾人の法的地位は、犯罪を裁く権限の問題や、治安維持の問題など特定の人びとを排除する仕組みと結びついた。こうして華僑とそうでない者との線引きが作られていったのである。
中国大陸で勃発した国共内戦、そして1950年6月の朝鮮戦争といった出来事は、台湾の位置付けをめぐる大きな変化と連動しながら、人の移動管理にも影響をもたらした。これらはまさに激動期の到来を告げるものであった。
中国本土で続いた情勢不安は、日本華僑の地位問題だけにとどまらなかった。英領香港やポルトガル領マカオへ逃れて、台湾への渡航を求めた港澳難民が大量に発生したのである。そして難民を救済する問題は、次第に台湾にとって有能な人材を取捨選択する問題へと変わっていった。
また、困窮者の受け入れも原則的に拒否されようになった。台湾への出入境は「華僑」であることよりも、「公務」「投資」「進学」といった特定の「資格」の有無によって規定されるようになった。これらの変化は、華僑の帰還や送還先、居住地域にも大きな影響を与えることになった。こうして 日本華僑をめぐる法的地位は、戦後東アジア秩序の再編と密接に関わりながら、変動していったのである。
こうした地位問題において決定的な影響を与えたのが1952年の日華平和条約の締結である。条約において中華民国の「国民」とは誰を指すのか――すなわちいかなる政府に帰属するのか――という根本的な問題は、結果的に曖昧にされることとなった。
本書は日華平和条約体制の下で、中華民国と中華人民共和国の対立が在外中国系住民の法的地位にもたらした混乱を実証的に分析している。日本華僑の法的地位は、日本政府が大陸出身者と台湾出身者とで異なる基準を適用する「便法」の採用や「みなし規定」の導入などによって規定されていった。
本書では、このように日台間で生み出された制度を「日台パスポートレジーム」と称し、膨大な史料から日本華僑が不安定な状態に置かれ、本来は日本滞在の外国籍民として得られる資格や権利を大幅に制限されるに至った経緯を描いている。それは、冷戦の「最前線」が必ずしも朝鮮半島や台湾、その周辺諸島と海域だけではなく、日本国内の華僑コミュニティにも存在していたことを浮き彫りにするものである。
戦後の国籍および帰属変動による日本華僑の苦悩は、同じく旧植民地出身者である在日朝鮮人の境遇とも共通するものがある。両者はともに、国家の分断と冷戦構造の中で、複雑な法的地位とアイデンティティの問題を抱え、禍根を残してきた。
とくに重要なのは、こうした管理制度の積み重ねが日本華僑の国際移動を制約し、彼らを「本国へ帰国する権利」そして「国籍帰属を確認する権利」を享受できない主体とし規定してきたという点である。移民史と国際政治史をつなぐ本書は、これまで見過ごされてきた「人の移動」が持つ政治的な意味を明らかにし、東アジア冷戦史研究に新たな視点を提供している。
華僑という存在を通じて描かれる戦後東アジアの国際関係は、人の移動管理が政治的焦点となる現代においても示唆に富むものである。本書が描く華僑の歴史的経験は、こうした 現代の状況と根深い連続性を持っている。それは国家が「望ましい人びと」と「そうでない人びと」を選別し、法的地位を通じて人びとを管理し統制するメカニズムにほかならない。本書は、戦後の日本華僑が経験したこの歴史的経験が現代に投げかける問題の重要性を改めて浮き彫りにしているのである。(リ・ヨンミ=京都大学人文科学研究所助教・歴史学)
★つるぞの・ゆうき=香川大学法学部准教授・政治学・国際関係論。主な業績に「一九五〇年代の台湾入境管制と『中国系難民』問題 出入境法規と出入境統計からの分析」(泉水英計編著『近代国家と植民地性 アジア太平洋地域の歴史的展開』)など。一九八五年生。
書籍
書籍名 | 「人の移動」の国際政治 |
ISBN13 | 9784771039674 |
ISBN10 | 4771039674 |