2025/12/26号 3面

独自性の社会

独自性の社会 アンドレアス・レクヴィッツ著 澤井 敦  現代社会の動向を総合的に把握する「現代社会理論」の領域では、ウルリッヒ・ベックの「リスク社会論」やジグムント・バウマンの「リキッドモダニティ論」等の理論が注目されて以降、日々更新される状勢に即した新しい理論の登場が待たれていた。近年、そうした理論として衆目を集めつつあるのが、ドイツの二人の社会学者、ハルトムート・ローザの「加速社会論」と本書の著者、アンドレアス・レクヴィッツの「独自性の社会」論である。本書は、レクヴィッツが、自身の理論を最も包括的に展開した大著である。  本書は一九七〇/八〇年代以降、徐々に広がりつつある近代社会の包括的な構造転換の特徴を、「一般的なもの」から、「特別なもの」・「独自性」への覇権の移行として捉える。ただ、こうした主張は、一見すると、特に目新しいものではないとの印象を持たれるかもしれない。実際、ボードリヤール以降の消費社会論やポストモダニティ論以降の社会理論において、差異化、多様化、個別化、個人化といった傾向はすでに度々語られてきた。  ただ先行する諸理論と異なる本書の特徴は、第一に、経済、テクノロジー、労働、消費、ライフスタイル、日常文化、政治といった各領域に生起している変化、その相互の関わり方をおさえながら、独自性の具体例をふんだんに用いて、それら各領域が合わさり形作る全体像を丹念に描き出そうとする点である。もちろん従来の社会理論でも多様な社会領域相互の関係を論じる議論は存在したが、本書はその緻密さときめ細かさにおいて群を抜いている。  また第二に、先行する諸理論が、たとえばモダニティからポストモダニティへといった例に典型的であるように、時系列的な図式を想定しがちであったのに対して、本書は、二つの論理が複雑に絡みあいながら、並行して変容していくと捉える点に特徴がある。たとえば、一般的なものの論理(形式的合理性)を突き詰めたデジタル・テクノロジーが「インフラ」となり、独自性の社会領域の各々を支える技術的基盤となっているとの見方を本書はとる。  さらに第三に、社会的な格差という現象を中軸に据えた議論を本書が展開する点である。一方で、独自性を発揮する主役となる「新たな中産階級」(と「上流階級」)、他方でそうした機会を奪われていく「新たな下層階級」(と「古くからの中産階級」)という、二つの方向へと分極化していく傾向を「独自性の社会」は有しており、その格差がますます拡大していく状況と構造が描かれる。確かに、リキッドモダニティ論など、先行する諸理論でも格差の拡大は主要な論点であったが、労働や消費、日常文化やライフスタイル等の社会領域で独自化を達成できるかどうか、また、できないことが呼び起こす承認の欠如、失望といった、独自性を軸とした本書の捉え方は新鮮である。  そして第四に、「独自性」と「一般的なもの」という語の多義性を活用して議論を展開する視野を備えている点である。たとえば独自性は、多様でクリエイティブな文化、労働や消費の実践へと至る場合もあれば、格差の拡大への反動として、ナショナリズムやポピュリズム、原理主義といったかたちでネオ共同体的に表出されることもある。一般的なものは、インフラとして基盤となると同時に、政治的に共有されうる規範的枠組みや一般的な公共圏の基盤ともなりうる可能性を宿している。  以上のように、本書には、新しい社会状況の中で現れつつある諸傾向やその問題性を、「独自性」を軸にして総合的に提示するという特徴がある。新たなテクノロジーが次々に登場し影響を拡大させ、旧来のものとも相まって、ますます社会が複雑化し、また、社会の変化も加速化し、結果として、社会を見る視界が限定されがちになる、あるいはあえて限定しようとする傾向が顕著となりつつある現状にあって、現代社会全体を俯瞰する総合的な視野を提供し、そこで立ち止まって、いま考えるべき問題、これから考えていくべき方向性を示唆してくれる本書の試みは貴重である。一読をお薦めしたい。(橋本紘樹・林英哉・中村徳仁訳)(さわい・あつし=慶應義塾大学教授・社会学・社会理論)  ★アンドレアス・レクヴィッツ=ドイツの社会学者。フンボルト大学教授。一九七〇年生。

書籍

書籍名 独自性の社会
ISBN13 9784000617147
ISBN10 4000617141