2025/12/26号 16面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 92・リュシール・レイボーズ

百人一瞬 小林康夫 第92回 リュシール・レイボーズ  いつもそうだが、この人は、不意をつくように登場する。今回もそう。白金の友人宅で、本連載でも取り上げたイタリアの外交官マリオ・ヴァッターニさん(第16回)やサックス奏者の清水靖晃さん(第87回)らとご一緒した師走の食事会もそろそろお開きという頃、突然、京都にいるはずのリュシールが現れて、みんなとハグ。あれっ、そういえば、最近は全然会ってないな、最後に会ったのは……と記憶を辿るが、鮮明に覚えているのは、二〇一七年の春、彼女が主催・運営しているKyotoGraphie(京都国際写真祭)のオープニングでスペインの画家ミケル・バルセロさん(第81回)のパフォーマンスに参加し、ショヴェ洞窟の展示場でかれと対話したイベントのこと。もしそうなら、八年ぶりということになるが、それはどうでもよくて、リュシールが登場すると途端に、場はリュシールのものになって、みんなが彼女の「現在」に巻き込まれてしまう。  リュシールは人と会う「達人」。だから二〇〇六年だったか、「Yahoo!セカンド・ライフ」というサイトで「芸術の達人」という連載を頼まれたとき、最初にリュシールを取り上げ、その年の正月一緒に愛宕神社に詣でたことを書いた(マリオさんとはじめて会ったのもその時だった)。そこでは、その三年前に、パリのラ・パレットというカフェで、黒田アキさん(第84回)と珈琲を飲んでいたところに、突然、リュシールがやって来て、「わたし写真家で日本の写真を撮っているのだけど、ちょっと見てくれません?」と声をかけてきた、驚きの出会いのことも書いてしまった。  その後、リュシールは日本に移住、東京に居を構えた。だから、わたしもまた彼女の日本での人的ネットワーク形成に多少の貢献はしたと思うが、そうしたアスペクトが一挙に変わったのが二〇一一年の東日本大震災。忘れることのできないその日の夜を、わたしはリュシールの家で過ごすことになった。  地震が起きたとき、わたしは神保町の如水会館にいた。ある式典のためで、第二波の時には揺れるシャンデリアを見ながらスピーチを一時中断したりした。夜に成田空港からパリへ飛ぶ予定だったわたしは、その後、神保町から上野まで歩き京成電車に乗ろうとしたが、電車は動かず、困った挙句に、(自宅は郊外なので)都内の誰かの家と考えて、リュシールが娘のエデン(父親はリュシールが前に移住していたアフリカのトーゴ出身の音楽家、わたしも東京で会ったことがある)と二人で住んでいた四谷の家までキャリーを引きずって押しかけ、一泊、泊めてもらったのだった。  極度の不安に貫かれた非常の一夜、身を寄せる場が与えられたことはありがたかった。翌日、わたしはタクシーで数時間かけて成田に行き、深夜のフライトでパリに飛ぶことができた。  だが、この災厄を契機にリュシールは東京を捨てて京都へと移り、そこで写真家から転身して、まさに「人と会う」達人力を活かして、国際的レベルの写真祭を立ち上げ、運営するようになったのだ。  師走の食事会に乱入してきたリュシール、わたしの隣で食事をかきこみながらスマホを操作して画面を見せてくれた。するとそこで手を振っているのがエデン。あの時は、何歳だったのだろう、かわいい小さな娘だったのだが、いまはロンドンに留学中とか、美しい大人となった笑顔を見せてくれた。  そう、思いがけないギフトのような「一瞬」ではあった。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)