綱渡り
クロード・シモン著
林 浩平
ノーベル賞作家のクロード・シモンが、ヌーヴォー・ロマン作品として知られる『風』の刊行よりも十年早い一九四七年に出版した、作家には二冊目の小説が本書である。ヌーヴォー・ロマンの最初の作品として文学史に刻まれるのは、アラン・ロブ=グリエの『消しゴム』だろうが、その刊行は一九五三年だからこちらは六年早い。物語の筋もなければ、登場人物の顔も名前もない、というので当初はアンチ・ロマン(反小説)とも呼ばれた、実験的で前衛的な書法こそがヌーヴォー・ロマンの特性である。本書には、部分的にだが、その手法をすでに先取りした表現の痕跡が見られる。それはまず確認しよう。
だが、全編を通読したあとに、一番強く印象が残ったシーンは、そこではない。それは、「ぼく」が敗残兵として逃走しながら、背後から敵の射撃を受ける場面である。「とても息が切れていたので、自分でも吐きそうに思われるほどで、両足を枕木の上に乗せるようにして自分の歩幅を計算する力さえなく、通貨する弾の音を聞きながら、男たちはまるで豚のように意地汚く撃ってくるなと思い、そのとき確実に待っていたのは(略)歩きつづけることからこちらを解放してくれる一撃だった。」 絶望的な状況で、語り手のなかにふと兆した死への欲動。それがさらに語られる。「ぼくは一度も恐れを抱いて死のことを(略)考えなかったと言うことができる。そうではなく反対に、それは空気のそよぎのようなものであり、空いているすべての場所を占めていく香りのような心残りであり、それがすっかりぼくのなかいっぱいに広がってきた。限りなく愛すべき命をぼくは失おうとしていて、とつぜんそれは限りなく打ち解けた心地よいものになったが、その命にぼくはすでに属してはいなかったのだ。」 シモン自身が召集され、対ドイツ戦で竜騎兵連隊の騎兵として闘った経験が投影されたくだりだ。実際は捕虜となるのだが、ここで語られる敵弾の嵐を身体の近くに浴びた、死への欲動は生々しい。評者は、かつて橋川文三が「たしかに戦争というものは偉大な休暇のようなもの」であり、「あたかも死が生に対してもつ無限の自由に似たものがそこにあらわれる」と述べたくだりを想起した。シモンは二十代の前半、反体制側からスペイン内戦を観察するためにバルセロナにしばらく滞在し、実動隊にも協力しようとした。そして、対ドイツ戦でのこの戦闘経験である。さらには捕虜となり、有刺鉄線が張り巡らされた収容所で、便所のアンモニア臭が侵入する暗く狭苦しい部屋で過ごした時間は、シモンの存在と精神の深い傷となった。「気力を失ったばかりのその身体と物腰に表れていた消すことのできない痕跡は、疲労の痕跡より深く、それとは混同できないが、そうした消すことのできない痕跡として、だれもが腹立たしくもわけのわからない恥辱を依然として抱えていた。」芳川の訳者解説によると、こうした戦場での体験は、彼のヌーヴォー・ロマンの代表作『フランドルへの道』などにすでに何度も投影されているそうだが、本書の語り手は「ぼく」である。芳川は〈私小説〉という言葉を持ち出すが、死と深いところで対峙した経験を語ろうとする「私」をめぐる小説であるのは間違いない。ここが、ヌーヴォー・ロマン時代のものとは異質で、また新鮮である。
もう一点、二十歳のとき美術学校に籍を置き、画家になろうとしたシモンが、志望を変えて作家になった、その転成の現場を見せてくれるのが、本書でもある。「ぼく」は、或る時「偉大な画家たち」の世界をこう感じるようになった。「外側の見かけを超えてまで真実を探求することなく、彼らは外側の見かけをその最もありふれた見方でとらえ、彼らが描こうとしているオブジェやオブジェの総体に固有のデフォルマシオンを使わず線や色彩のデフォルマシオンを使って変容させるだけにとどめたのだ。」「しかしながらぼくは、セザンヌの絵の前にもどるたびに、ほかでは感じていた興奮の本性について教えてくれるようなものはいっさい見つけられなかったのだ。」 セザンヌ体験が「ぼく」を羽交い絞めして画家にならせてくれない。では、なにをするのか。約めて言えば、自分自身のデフォルマシオンそのものを介して、自分が自分でなくなる瞬間を経験し、そのプロセスを「書く」ことである。そうして、ヌーヴォー・ロマンの小説家クロード・シモンが誕生した。本書はそれを証言した、という点でも重要だろう。芳川の訳文は、充分にこなれた現代の日本語であり、ユニークなルビの活用なども含めて、訳者の声も聞こえてきそうなほど一種のスタイルを持っている。また訳者解説も、ツボを得た作家論である。
それにしても、である。シモンが九十二歳で亡くなってすでに二十年が経った。日本ではシモンより二十二歳若い大江健三郎が二年前に亡くなった。かつてノーベル賞作家同士のふたりが、原子力の問題で、シモンは肯定派、大江は否定派として論争があったことを記憶するが、国際紛争や環境破壊・異常気象など、まさに大文字の社会問題の影で大文字の文学への関心は衰え去った観のある今日、読み直されるべきは、大文字の文学としてのヌーヴォー・ロマンであり、大江であり、五年前に亡くなった古井由吉であり、さらには中上健次らではないだろうか。シモンの本書は、評者にそんな思いを抱かせた。(芳川泰久訳)(はやし・こうへい=詩人・文芸評論家)
★クロード・シモン(一九一三―二〇〇五)=マダガスカル生まれの作家。満一歳にならないうちに父を、十一歳で母を亡くす。一九四五年『ペテン師』を出版。『風』以降「新しい小説」を書く。著書に『フランドルへの道』『農耕詩』など。一九八五年ノーベル文学賞を受賞。
書籍
書籍名 | 綱渡り |
ISBN13 | 978-4-86488-325-2 |