2025/11/07号 6面

柳田國男 計画する先祖たちの神話

柳田國男 計画する先祖たちの神話 長﨑 健吾著 室井 康成  近代日本を代表する知識人であり、日本民俗学の創始者でもある柳田國男の思想については、今日まで多くの識者が論じてきた。本書もその膨大な柳田論の一つなのだが、本書は、ここ数年で世に出た類書の中でもっとも知的刺激に溢れた一冊であると言えるだろう。その所以は、著者が「近代のこの国にあらわれた思想家のなかで、柳田國男ほど「計画」ということにこだわった者は、他にいないのではないだろうか」と気づき、「計画」こそ柳田の思想の特質を示す用語だと喝破した点にある。著者は一九八九年生まれ、中世都市史を専門とする若き歴史学者である。  本書を貫く主題は、柳田の「家」をめぐる理解の変遷である。なるほど、柳田は「家永続の願い」が日本人の心性を特徴づけるものだととらえていた、とする見方は定説である。ただし著者によると、柳田のいう「家」とは、先祖が「未来の子孫たちの幸福」のために「計画」に基づいて構築した超世代的社会組織であり、そうした理解は国家を「計画」的に文明化させることを宿命づけられた近代日本の時代性に拘束されているという。しかも柳田は、日本の文明化の尖兵たることを期待された国家官僚であった。考えてみれば、彼が官僚として唱えた「中農養成策」や「産業組合論」なども、いずれも「計画」の提案であった。  柳田が「家」を先祖による「計画」の産物ととらえた背景には、急激な近代化の中で家郷との関係が断絶した都市住民の増加があった。「家」は子孫による祖先祭祀を前提として存立する。そのため「家殺し」を経て都市に出てきた人にとって、自分が死後いかなる扱いをされるかという問題は重大な関心事であった。著者によると、「先祖になる」という物言いは当時の流行語であったという。つまり、一人都会に出てきた人々にとって自らが「先祖になる」ということは、新たな「家」の創設を「計画」せねばならず、そうした「心掛け」が当時の都市住民の倫理規範になっていたと指摘する。柳田には、いつの時代であっても、人は子孫の幸福のために「家」の成立を「計画」するものだとする確信的想定があったのだろうか。  しかしながら、近代教育を受けた支配層には、かかる一般庶民の心性は理解できない。だから政治エリートこそ、自らの境遇とは異なる庶民の実情を内在的に把握する姿勢が必要である。これを柳田は「同情」と呼んだ。著者によると、この語は「柳田の学問の性格と歴史的位置を理解する上で、決定的な重要性を持っている」という。かつて評者も、柳田民俗学の本質を「同情と内省の同時代史」だと主張したが、彼の真意は、「同情」によって先祖たちの「計画」を腑分けし、その歴史的文脈に違背しない範囲での近代化を志向することではなかったか。本書を読了し、その感を新たにした。  柳田の民族史観は、最晩年に世に問うた著書『海上の道』に結実する。それは日本人の遠い先祖は南方から沖縄を経て日本列島にたどり着いたとする大胆な仮説である。これも柳田は、子孫の幸福を求めた先祖たちの「計画」に基づく移動だったと夢想したようだが、著者は「かつてこの弧状列島に住み着いた先祖たちは、とうてい意思など持っていそうにない自然のきまぐれがもたらす気候変動や、同族同士の愚かな争いに右往左往しながら、いたって無計画な移動をくりかえした人々の寄り合い所帯であったらしい」と述べ、歴史学者らしく、柳田の所論は学術的には到底認められないものだと指摘した上で、柳田は「計画する先祖たちという神話」をひとり語り続けてきた人物だったと総括する。つまり、柳田が生涯をかけて紡いだ「先祖たちの神話」とは、「家」の永続を希求した柳田による積極的な〝偽史〟だったとも換言し得るのではないか。意表を突く結末だが、その洞察の鮮やかさには唸らされた。  二〇二五年は柳田國男の生誕一五〇周年に当たる。その節目の年に刮目の良書を得たことを心から喜びたい。(むろい・こうせい=会社役員・民俗学・近現代東アジアの思想と文化)  ★ながさき・けんご=川村学園女子大学文学部専任講師・中世都市史。柳田國男論「故郷と未来」で第六二回群像新人評論賞を受賞。論文に「戦国期京都の都市民と権力」(『歴史学研究』一〇二八号、二〇二二年)、「歴史と実験」(『群像』二〇二〇年六月号)など。一九八九年生。

書籍

書籍名 柳田國男 計画する先祖たちの神話
ISBN13 9784065400883
ISBN10 4065400880