百人一瞬
小林康夫
第53回 平山健雄(一九四九― )
先月、満月の夜、横浜の平山さんのステンドグラス工房で「アクエリアスの会」が開かれた。
第49回で触れたように、わたしは二月生まれで水瓶座(アクエリアス)。数年前からだったか、毎年一度この月に、石版画のアーティスト・阿部浩さんや日仏同時通訳者・菊地歌子さんなどアクエリアス人が集まって、プロ級料理人の平山さんが作ってくれる魚料理(この日はアクアパッツァ)を楽しみながらワインを飲む。すると、みんな七十代だから当然なのだが、話は過去に遡る。そして、かならずパリの話となる。
じつは、われわれは全員、二十代の数年間を一九七〇年代パリで過ごしている。「アクエリアスの会」はまた「七〇年代パリの会」でもあるのだった。その時代、日本はようやく経済成長が始まった頃、われわれ留学生は皆、生活をやりくりするのもたいへんで、場合によっては毎日の食事すら他人頼りだったりした。すると様々な事件が起きる。そして、事件がそれぞれの人の思いがけない姿をむき出しにしたりする。パリという舞台で、普段、日本の社会でつけていた仮面が落ちて、おたがい素顔をさらしてしまったかのような奇妙な連帯感が醸し出されるのだ。それぞれがパリで激しく自分自身を形成しようとしていたあの劇を、一年に一度、仲間とともに懐かしむ、そんな会かもしれなかった。
だが、他の三人はお互い知り合っていたが、わたしは、当時、共通の知人はいたのに、ほかの誰とも交差していなかった。いや、サン・ミッシェルあたりですれ違っていたかもしれないが、袖までは触れ合わなかった。わたしと平山さんの袖が触れ合ったのは、十年ほど前、東京大学を退職したわたしが八ヶ岳の山のなかに小屋を建てたとき。ベッドがひとつしかない文字通りの「方舟」だが、なぜかそこにステンドグラスを入れたくなった。しかもキリスト教徒でもないのに、大天使ミカエルと大天使ガブリエルの「光」を、と。
その想いを平山さんに話してみると、「ミカエルの顔を描くなんて野暮だよねえ」とストレートで受けてくれる。そして「羽根」と「剣」と「天秤」というミカエルの持物をアレンジした図柄を通して、ミカエルを包む「深いブルーの光」が差し込む小さなステンドグラスをつくってくれた。(ガブリエルの方は「水面に浮かぶ蓮の花」がモチーフ)。
大胆にして緻密な平山さんの作業プロセスに付き合わせてもらうことで、わたしは、ステンドグラスは、ガラスによる絵画などではなく、この世界を満す時々刻々移り変わる光からたったひとつの特異な光を汲み上げる装置なのだと理解した。そこから出発して、ヘボ・フィロゾファーであるわたしは、われわれもまた、ひとりひとりがそれぞれ特異な一個の「ステンドグラス」であるのかもしれないと夢想をふくらませたりする。
平山さんのステンドグラスが組み込まれることで、わが小屋は、真に、宇宙を漂流する一艘の「方舟」となったのだった。
このステンドグラスと、それについての平山さんとわたしの対話は、わたしの個人編集雑誌『午前四時のブルー』第Ⅱ号(水声社)に掲載されている。また今月二三日に、東京深川モダン館で彼の講演「ステンドグラス 中世・ルネサンス・近代・現代・未来を見据えて」が開催される。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)