ナルニア国物語シリーズ
C・S・ルイス著
小澤 身和子訳
小澤 身和子
「ナルニア」ときいて浮かび上がるのは、子どもの頃の強烈な記憶だ。
衣装だんすを開けると、別の世界が広がっている――。インターネットもまだ身近な存在ではなかった幼少期、二十世紀初頭のイギリスはまさにおとぎ話の世界だった。扉の先の世界も本当にあるのだとごく自然に信じていたのである。
「児童書」の翻訳など到底出来ないと思っていた私がこの仕事を引き受けたのは、それが「ナルニア国物語」だったからに他ならない。家のクローゼットを開けては別世界を夢みたあの興奮、そして「このお話には、単なる子どもの冒険物語では終わらない何かがあるのではないか」という不思議な予感。ナルニアに、子ども時代の忘れ物を取り戻しにいこう。そんな想いで、私は翻訳を始めた。
しかし実際に始めてみると、シリーズものの毎月連続刊行というスケジュールでの翻訳は予想以上にハードだった。特に、七巻『さいごの戦い』では、一巻『ライオンと魔女』で活躍した子どもたちが、九年の時を経て成長した姿で現れる。最も若い人物でさえ十六歳。ペベンシー家最年長のピーターなど二十二歳……「children」と原文にはあるが、立派な大人である。しかも彼はきょうだいの長兄であると同時に、かつてのナルニアの上王という立場でもあるので、どういった口調や態度がふさわしいのか、という悩みもあった。
そんな中、キャラクターが魅力的なのは光明だった。私が一番好きなのは四巻『銀のいす』に登場するドロナゲキという人物である。彼は、旅に出る子どもたちの案内人という役柄なのだが、まぁ恐ろしく悲観的なのだ。むかしは「いやなことばかり言う!」と苦々しく思っていたのだが、いま読み返すと「ドロナゲキは世界の優しさを知っているからこそ、悲観的な台詞が出てくるのだな」と……これは、大人にならなければ気づかなかったことだ。著者であるC・S・ルイスも彼がお気に入りだったらしいので、より嬉しくなる。
ほかにも、三巻『夜明けのぼうけん号の航海』から登場する少年ユースティスもいい味を出している。彼は登場時「友達がおらず」「先生たちからスクラブ(※「役立たず」などの意)と呼ばれ」、「いじわる」な「小心者」と散々な描かれ方をしている。その性格もありトラウマになるようなかなり酷い目に遭うのだが、それを経ても「すごくいい子」にはならないのである。その、「一筋縄ではいかない感じ」がリアルでいい。大人にとって都合のいい「悪い子が良い子になりました」というストーリーを彼は生きていないのである。
最後に、読者の中には「『ライオンと魔女』しか読んでいない」という方もいるだろう。しかし、それはもったいない。私は、ルイスが書きたかったことは『さいごの戦い』のなかにあると思っている。まさに人生のその先まで連れて行かれる最終刊まで読んでこそ、一巻から続いてきたすべての戦いと冒険の意味がつながり理解することができるのである。
一生という短いあいだに、冒険の扉はいつでも私たちを待っている。この機会に、ぜひみなさんにも新潮文庫版「ナルニア国物語」を手に取ってみてほしい。(おざわ・みわこ=翻訳家)[構成・新潮文庫編集部]