唯物史観経済史出立点の再吟味
福田徳三研究会編
小峯 敦
本書は日本における経済学の黎明期(一九二〇年代前後)に行われた激烈な論争の代表例である。一見、書評しがたい。第一に、近代日本史を勉強した高校生でも知る著名人(吉野作造・美濃部達吉・河上肇ら)に比べると、福田徳三は知名度が低く、読者の手に届きにくい。第二に、本書は未公開文書を新たに編纂したものでなく、同名著作(一九二八、改造社)の復刻版なのだ。国会図書館デジタルコレクションで、原著は閲覧できる。
ただし、本書は上記二点を覆す熱量、原著にない便宜を持つ。
第一点:吉野の「民本主義」、美濃部の「天皇機関説」というキーワードは、近代日本における天皇制という重大な論点を含んでおり、東京帝国大学・教授たる両者の弟子たちが喧伝しなくても、その重要性は明らかであろう。また、河上の『貧乏物語』(一九一七)はイギリスの貧困調査を紹介し、金持ちの道義的責任を追及した。やがて河上はその社会主義思想を先鋭化したが、治安維持法で投獄され、転向を余儀なくされた。その死亡は日本の知識人(特に戦後の左翼陣営)に衝撃を与え、貧困・格差問題の現代性とともに、河上を忘れえぬ殉教者に引き上げた。
翻って、福田の真骨頂「生存権の社会政策」はどうか。福田は上記三名と深い関わりを持つ当時の第一級知識人であるが、この基本概念──高校の教科書には不在──をひもとくのは難しい。ここで生存権とは、働く機会や、働いた分すべてを還元する権利を保証することを越え、無産市民にも等しく生きる権利を認めることである。また社会政策とは単に労働条件の整備だけでなく、自然淘汰が必定な経済機構において、幸福と安定を実現させる国家政策である。
第二点:編集者・田中秀臣による「解題」が有用である。簡にして要を得る。この書評をきっかけに、まずは解題に進まれたい。原著を精読する必要のある研究者を除き、一般読者にはルビ・新漢字はありがたい。口絵の写真(マルクス墓前の福田)がデジタル版では不鮮明であり、本書を手に取る必要がある(裏面の写真=多磨霊園の福田墓標は原著にない)。
以下で本書を若干紹介する。執筆動機は、信仰の領域まで達したマルクス主義を、徹頭徹尾、原典資料に基づいて批評することである。二つの問題が設定される。①『共産党宣言』の冒頭文「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」に、後に挿入されたエンゲルスの脚注(一八八三年版)の意味は何か。②『賃労働と資本』(一八四九)の三段階発展論(古代―封建―ブルジョア)から「アジア的生産様式」が加わった『経済学批判』(一八五九)の四段階説への変更は、本質的か。この看過されてきた二問題から、唯物史観(社会主義の歴史的必然性)が砂上の楼閣であると結論する。なお題名の「出立点」は物事を始めるよりどころ、「再吟味」は福田自らの「若き日の信条」を含めて苛辣に再検討すること(三一頁)、「経済史」は経済発展の実情に当てはめて重大概念を実証する分野、としておこう。
福田は、アジア的(=インド的)とは原始共産制のことだと論証しながら、なぜアジア的段階が一八四九年と一八五九年の一〇年間で消失ののち浮上したのかと問う。消失はプルードン所有論に衝撃を受け、ヘーゲルの発展段階説を含む思考内容が消え去ったためである(弁証法という思考法は残る)。浮上はロンドン生活や太平天国の乱(一八五一)を経て、アジアを歪んだ形で理解したためである。マルクスはラッフルズ『ジャワ史』を不適切に孫引き・焼き増ししただけでなく、その結論「ジャワには共有・共産の事実なし」を真逆に曲解した。
本書は少なくとも二点の現代的意義を有する。第一に、論争スタイルに見る福田の普遍的魅力である。本書でも謙遜と傲岸、温情と強情が交錯し、激烈な論戦が展開された。その矛先は河上肇だけでなく、当時の権威リャザーノフにも向かう。雑誌連載から書籍完成までに、読者との篤実な交流も垣間見える。夫人の日記から長く引用したり、文献が薄い割に高価だと小言を言ったり、ユーモアも見える。何よりも師ブレンターノに心酔した福田自身の立論も再吟味の対象となり、学問・真理に対する真摯な態度が分かる。文献書誌学、信仰と理性の融合という(良い意味の)スコラ哲学である。
第二に、世界を動かすのは物質か精神か、社会主義は必然かという文脈で、「アジア的」とは何かを再考できる。この再考は福田の「生存権の社会政策」を理解し、広めることにつながるだろう。(田中秀臣編集・解題)(こみね・あつし=法政大学教授・経済思想)
書籍
書籍名 | 唯物史観経済史出立点の再吟味 |