対談=山口 尚×植村玄輝
<日本で哲学をするということ>
山口尚著『現代日本哲学史』(青土社)刊行を機に
哲学者の山口尚氏が、青土社より『現代日本哲学史』を上梓した。本書は、廣松渉・大森省三の読解に始まり、これまであまり語られてこなかった、1970年代以降の日本で展開された哲学の歴史を描く。それと同時に、《自分の現在の哲学がどのような季節の中にあるのか》を析出する、「哲学的哲学史」でもある。出版を機に、哲学者の植村玄輝氏との対談をお願いした。(編集部)
山口 本書はいろんな読み方ができる本です。例えば廣松渉から柄谷行人へという道筋。マルクス主義へのかかわりを軸として、浅田彰や竹村和子を拾いながら、断章的に読む道筋です。あるいは、大森荘蔵や永井均といった哲学者のラインで読んでいく人もいるでしょう。多くの方は自分の関心のある所を抜き出して読むのではないかと思います。
一方で、現代日本哲学の営みを「デカルト的な自由な思考(デカルトの糸)に発し、カント的理論化への志向(カントの糸)を経て、マルクス的な歴史との対決(マルクスの糸)に向かう」というストーリーのもとに読むのが、私の意図した流れになります。これを執筆する際、最も参考にした哲学史はヘーゲルのものです。彼は、客観的に把握された時代状況に即して歴史を描くというよりも、むしろ自身の哲学をフレームワークとしその中に様々なものを位置づける。私もそれに倣い、純粋な客観的史実性を最優先するのではなく、私自身の見立てを先に投げ、そこに哲学者たちの思考を置き入れました。
とはいえ本の最後で私はヘーゲルから離反します。ヘーゲルの場合、哲学史の終幕をある種のゴールとしてしまうからです。本書では哲学史をオープンエンドにするために、同書が語ってきたことから「アイロニカルな」距離を取り、「事後の視点」のもとで描かれた歴史が未来の事象まで規定し切ってしまわないような可能性を開いておきました。
ところでなぜヘーゲルを参考にしたか。日本現象学会で私がシンポジストとして登壇した後のZoom飲み会に植村さんがいらっしゃったことがありました。そこで植村さんは「日本哲学史書が近現代を描くさい、戦前・戦中まではストーリーがあるが、戦後に入ると話が拡散してしまうケースがある」と指摘された。で、ならば戦後の現代日本哲学でストーリーを紡いでみよう、と考えたのです。植村さんに鼓舞されたわけです。
植村 たしかに言いました。藤田正勝さんの『日本哲学史』(昭和堂)についても、戦後日本哲学にナラティブを作ることを諦めてしまっている――だからといってこの本の価値がそれによって下がるわけではありませんが――と指摘したことを覚えています。
山口 ストーリーがいまだ与えられたことのない時代に何か物語を与えるというのは不可欠の仕事です。さしあたりの理解を形成するさいにも流れは必要ですし。もちろん私も、素朴に「歴史自体が唯一のストーリーを持っている」とは思いません。しかし少なくとも一種の筋目を持っていることは確かです。初発の理解を与えるためにひとつの筋目に即して本書を書きました。
植村 本書では私がリアルタイムで接してきた哲学が扱われており、大変面白く読みました。山口さんが大学に入学したのが1997年、私が2000年なので、およそ同世代の人はなるほど時代をこのように見ていたのかと、共感するところもあれば、意外に思うところもありました。
中でもピンと来たのは、現代日本哲学には「デカルト的転回」と呼べるような、純粋に謎に取りついて思考することを追究する思索への流れがあるという話です。私も山口さんも、まさにその転回が起きたとき、ないしは起きた後に、本格的に哲学を勉強し始めました。少なくとも私にとっては原初のトラウマ的な出来事として、この転回はあるわけです。
本書で最初から最後まで参照され続ける哲学者の一人が永井均です。彼はデカルト的転回を象徴する哲学者なのですが、私たちが大学に入った90年代終盤に永井均が持っていたプレゼンスは絶大でした。しかしながら、それを受け止める私たちは、彼のやるような「剝き出しの思考」の哲学は自分が制度化された哲学の中にいる限りできないのだろうと、なんとなく思いながら学部を過ごし院生になっていった。私は東京で、山口さんは京都で学生時代を過ごしましたが、異なる場所で同じようなものを見ていたのだ、という感慨があります。
逆に意外に思ったのは、大森荘蔵の位置づけです。学部生時代の私の眼には、彼はまさに、純粋思考を剝き出しにした、デカルト的転回の先駆者としての位置づけを有しているように映りましたから。それをあえて歴史との対決をするマルクス的な側面を持った哲学者として描いたのは、きっと狙ってされたことなのでしょうね。
山口 大森はたしかに〝考えることを鼓舞する人〟として、本書の枠組みに言うところの「デカルト」的な形で出会われることが多いですよね。しかしデカルト・カント・マルクスという三局面は根本的に同時並行的なのだと思います。そして本書で大森が担っている、近代という時代と戦う人という見立て、この捉え方も事実として可能です。たしかにあまり取り上げられませんが、本書の流れだとこちらの側面がフィーチャーされました。
植村 そして一層注目すべきなのは、戸田山和久の不在問題です。現代日本の哲学を語る上で、彼に触れないのは相当ギョッとすることです。先にも述べた永井均のプレゼンスは、今の大学の哲学科ではかつてより低くなっていると思うのですが、その一因となったのは戸田山さんの仕事ではないかと感じています。
彼は「剝き出しの思考」というものにものすごく冷淡です。哲学はそういうものではない、ということを、分析哲学を論じる時に彼は繰り返し述べます。伝統的な哲学史研究をベースにするのではない、かといって永井均が体現していたスタイルとも異なる形の哲学を、日本のアカデミックな哲学界にここまで広げた立役者の一人は戸田山さんと言ってよく、その影響力は大きいはずです。こうした哲学を制度的に支えている応用哲学界の初代会長が戸田山さんだったことも、忘れてはいけません。
本書では、現代日本哲学の歴史を、廣松渉と大森荘蔵の次に、純粋思考を触発するデカルト的転回が起こり、続く理論化への志向としてのカント的転回を経て、歴史との対決を旨とするマルクス的な哲学に帰趨する、という見取りのもとに描き出します。しかし、第7章以降のカント的転回として言及される人の少なくない部分は、戸田山さんがプロモートしていたスタイルによってひとつに括れるような人たちだと言って差し支えないとすら思います。それだけに、彼の不在問題は強く印象に残りました。
山口 この本の試みは私の哲学の光の下で行われたものです。その結果、選ばれたひとがいれば、捨てられたひともいる。ただし、語られなかったものはある意味、私の選択の裏返しでもあります。なので、戸田山さんも適当に語り落したわけではありません。で、端的に言えば、私のストーリーに乗らなかった、ということです。
植村 戸田山さんはカント的展開、すなわち理論構築の段階に入れられるのではないでしょうか。例えば彼の『哲学入門』(ちくま新書)は、自然主義的な哲学システムを構築しようとした本でもあります。
山口 私としては『知識の哲学』(産業図書)を入れたいですね。とはいえ依然として私の枠組みには入りにくい。戸田山さんは理論家ですが、その理論自体はあまり独自性がなく個性を受け取りにくい。むしろ読者が影響を受けるとしたら、考えるスタイルの方ではないでしょうか。
植村 たしかに、私の狭い交流範囲の中にかぎった話ではありますが、戸田山さんを読んで自然主義者になった人というのはあまり聞きません。
山口 むしろ考える姿勢について若い世代に火をつけたところがある。そうしたずれがあるから私のフレームワークには入りにくい。理論的なことをしながら、それでもって考えることを鼓舞するような人を、執筆当初は想定していませんでした。
植村 私にとってこの戸田山和久問題が一番面白いので、深読みしてしまうところです。先ほど私と山口さんが概ね同年代だと言いましたが、それでも大学入学は3年ずれている。この3年のずれは、特に学部生のような、まだ自分が何をやるかもはっきり決まっていない時期においては、結構大きいのではないかと思います。
戸田山さんの『知識の哲学』は2002年に出版されました。山口さんが大学院に入る頃のことです。一方の私はまだ学部生。衝撃を受けました。哲学の議論はこんなに明晰にわかるものなのか、と。そしてまさに同年『論文の教室』(NHK出版)の最初の版が出ました。論文というのはこうやって書けばいいのだと知らせる彼の本に、私は学部生時代に出会っていた。学部生時代に戸田山和久のこのあたりの仕事に触れているかどうかというのは、大きな違いなのではないかと思います。
山口 たしかに現れ方は違う感じがしますね。私が大学院生のころ戸田山さんは『思想』に「自然主義的哲学の可能性」を執筆され、そこで提示されるマニフェストに関西の大陸系の風土の学生の多くも大きな影響を受けたはずです。
しかし私にとっては戸田山さんの影響は限定的でした。むしろ、アカデミックな哲学の道行きを勉強したという点では、柴田正良、信原幸弘、柏端達也、一ノ瀬正樹などの影響が大きかった。こうしたひとたちの活躍、加えて海外の研究との関わりでの哲学の営みも、私の哲学的形成にとっては大事なことですが、それらも本書には書き入れられませんでした。
植村 この問題と同相のものとして、制度化された哲学についての話が一貫して不在であることも私の興味を惹きました。扱われる哲学者は大学教員もやっていて、かつ制度化された哲学の中でも仕事をしている人たちが多いのに、そういう側面はほとんど強調されない。ここまで極端に排除しなくてもいいのではないかと思ったくらいです。そして唯一触れられる哲学の制度化が「臨床哲学」だというのも大いに興味深い。こうした点もやはり狙いがあってのことなのでしょう。
制度化された哲学の中で戦後になにが起こったのかということを追わないのは、決して本書の欠点ではありません。とはいえ、全く触れられていないのも事実です。大学の中で何が起こったのか。いつか誰かが書かなければならないことではありますが、もしかしたら時期尚早なのかもしれないですね。
山口 たしかに「制度化された哲学」は私の本でわずかにしか取り上げられませんでしたがそれでも重要な話題です。私自身は関西の哲学界で、ドイツ哲学に置かれていた重心が、英語圏の分析哲学へ移行していく、といった流れを体験しましたが、こうした事柄は誰かに書いてもらいたい気がします。
植村 分析哲学は、この20年でものすごく大きなプレゼンスを持つようになりました。私も山口さんもその中で自己形成したからには、分析哲学のことを気にしないことは全くできない雰囲気の中にいました。私の出身は慶應で、論理学やハードな科学哲学を含めた分析哲学が非常に強い大学でしたから、現象学をやる人は相対的に少数派だと感じられていました。だから気にせざるを得なかった。山口さん自身、最初の単行本につながる仕事は純然たる分析哲学です。
植村 しかし、山口さんは現在、分析哲学のやり方からは明確にスタイルを変えていらっしゃる。本書の中にも、この哲学史の試みは多分に実存的な動機に基づく、という言及があります。こういう言い方をしてよければ、山口さんは分析哲学のスタイルを辞めることでいわば根無し草になってしまった。だから、自分の立ち位置を確認したり、戦後の日本哲学の脈絡を検めたりする必要があったのではないでしょうか。そう考えると、制度化された哲学の話がすっぽり抜けるのは、非常に納得のいく話だと思います。
山口 本書が私の実存的動機に導かれていることも「制度化された哲学」がほとんど語られなかった理由のひとつかもしれません。そして、哲学の潮流が大陸哲学から分析の方へどんどん変わっていく関西的状況では、この変化へ適応するためにたいへん苦労した方々もおられるはずで、そうしたひとたちにこそ、そのころの「制度化された哲学」の歴史について語って頂きたいと考えています。
植村 関西では、分析哲学と大陸哲学の分断が首都圏よりも深刻だったという印象があります。首都圏では慶應、東大駒場、都立大、千葉大辺りは、分析哲学がもともと強かった場所です。そういったところでは、分析哲学をやっている人がマイノリティだという感覚は、私が在籍していた時分には既になかったように思われます。もちろん、全然違うスタイルの哲学が二つある、ということはわかっていましたが、相互無関心でこそあれ、敵対的な意味での分断と呼ばれるようなものを深くは感じたことがありません。
とはいえ、分析哲学がプレゼンスを得ることの裏返しとして、大陸哲学という言葉が市民権を得たことにはあまりいい気分がしないですね。元々「大陸哲学」という言葉には、明らかに侮蔑的な意味合いがありましたから。
私は今回の山口さんのような仕事をする予定はありませんが、もし仮に現代日本哲学史を書くとしたら、制度化された哲学の歴史を書くでしょう。自分はその中から一歩も外に出ていないですから。戦後の日本哲学史における分析哲学の扱われ方の変化と、大陸哲学というカテゴリーの登場を、大きなストーリーで書くことになる。
かつて、実存哲学とマルクス主義と分析哲学が、現代哲学の三つ巴として存在した時代がありましたが、これも私たちにとっては想像するのが難しい。三分の二はもはや主流ではなく、分析哲学だけが結果として残ったわけです。この三つ巴の解体と、分析哲学だけが生き残った理由について描くと思います。大変すぎるのでやりませんけどね(笑)。
山口 それに少しかかわる植村さんのお仕事としては『現代思想』(青土社)2021年12月号の「昭和三二年の分析哲学」が挙げられると思います。日本の当時の分析哲学者と大陸系哲学者が集まった座談会で、分析系でない原佑こそが党派性を超えて、分析哲学こそが売りにする「明晰さ」を発揮した、という興味深い事件が描かれる論文です。
で、分析哲学の話を続けさせていただくと、京都では21世紀の初めでも、グループによっては「分析哲学なんか哲学じゃない」という言明が受容可能なものとしてやり取りされていました。
植村 公に発してもいいような雰囲気があったんですね。
山口 そうです。私もそういったことを言うコミュニティに属していたことがあるので、三つ子の魂百までと言いますか、未だにその感覚が拭い切れずに残っています。
植村 そこが山口さんと私の形成期における一番大きな違いかもしれません。私の周りでは、そういった言説に触れなかったわけではないけれども、堂々とは誰も言えなかった。
山口 ある意味で関西の私の仲間の一部は、分析哲学が哲学になる過程、市民権を得る過程を見た世代ですね。イギリスの哲学をやっている人ですら、分析哲学へエクスキューズなしのコミットはできませんでした。その意味では、戸田山さんの影響は関西にとってこそ重要かもしれません。それで勢いがついて分析哲学が哲学になっていく過程が加速したと言えますから。
では当時、何が哲学だったのか。私の記憶では、史的視点をある程度絡めないと学会発表ができませんでした。分析哲学では最新の論文を読んで「無時間的に」議論を行ないますが、これをするのが相当難しかった。
ですが今は関西でも、Philosophical ReviewやPhilosophical Studiesなどの、現在進行形のジャーナルを読んで論文を書いたり発表したりしてよいという風土に変わってきました。まさにその変化がゼロ年代におきた。
植村 それを聞いて思い出したのですが、私が指導した学生に分析形而上学を研究した人がいました。分析哲学者の飯田隆さんがいらして講演をされた時に、飯田さんに対してその人が言ったのです。「なんで分析形而上学の入門書には、いちいち〝分析哲学が形而上学をやるのは意外ではない〟なんてことが書いてあるんですか?」と。ついに新世代が来た、と思い、私も飯田さんも感銘を受けました。
飯田さんはもちろん、私の世代ですらそういった言い訳や前置が必要だった世代だけれど、今の人からするとなぜそんなことを言っているのかわからない。分析哲学も形而上学をやるに決まっているだろうと。分析哲学がこの20年で大幅に地位を向上させ、市民権を得たことを象徴する出来事だと勝手に思いました。
山口 柏端さんをはじめとした人が苦労して分析形而上学の可能性を開いてくれた後でしたから。私はその波に乗せてもらったと言えるでしょうね。
植村 私が修士課程に進学した2004年は分析哲学が本格的普及の兆しを見せ始めた年でした。象徴的な出来事と言っていいのは、『現代思想』が分析哲学特集をしたことです。もちろん同誌はそれまでも分析哲学の論考や翻訳をけっこう載せてきたわけですが、「分析哲学」というパッケージを打ち出したのは画期的に感じられました。私が哲学を本格的に勉強し始めたときには、分析哲学は普通の選択肢のひとつになっていたと思います。
今と違うのは、大学の外にいると分析哲学の存在に気付くのがまだ難しい状況だったことくらいでしょう。この20年、25年で分析哲学の地位が飛躍的に向上したというのは、まずもってこうした状況がだいぶ変化したところにあると感じています。私の在籍当時、慶應でならエクスキューズなく言語哲学や認識論はやれたはずですし、さらにハードな科学哲学をやっている人も沢山いましたが、そうした世界があることは、入学前には、哲学に関心を持っている受験生だった私にはほとんど見えないものでした。
山口 本書の話へ戻りましょうか。カントの理論化、マルクスの歴史との対決というモチーフは割にわかりよいのに対し、デカルトの純粋思考とは果たしてどういうことなのか。哲学者によっても見解が分かれるでしょう。このことを考えてみたい。
「考えること」の特徴を差し当たり形式的に規定するなら、私は「破壊」だと思います。習い性によって議論を組み立てるのではなく、既存の枠組みを壊していく。したがってこの運動は「自由」とも言い換えられます。では自由とはなにか。それは前もって特徴が規定できません。規定されると自由ではなくなりますから。じっさいに考えてみる以前には分からない事柄へ目掛けて破壊すること。これが自由な思考の条件となります。
今回「デカルトの糸」という自由に考えることの重要性を強調した理由のひとつは、第17章で扱った〝福沢諭吉問題〟です。近代以降の日本哲学史を編む際、福沢諭吉はビッグネームだから必ず載せられるのですが、このとき彼がどういう意味で哲学者なのかというのは、やはり問われざるを得ません。彼は何か理論を打ち立てたわけではありません。
私の考えでは、人々に「考えること」を鼓舞したという点において彼は哲学者だった。従来の儒教的封建制に「惑溺」した思考から自由になり、批判精神や疑いの心を持って考えることを促したわけです。こんな具合に「デカルトの糸」への注目は《誰がどうして哲学者なのか》の理解を深めてくれます。
つまり、私にとって「考える」とは自由のことですが、しかしそれに尽きるかというとそうではないようにも思われます。植村さんはこの点どう考えますか。
植村 私は意図的に、「考えることとは何か」といったことを考えないようにしてきました。私が哲学に初めて関心を持ったのは高校一年生の時です。1995年に『ソフィーの世界』(NHK出版)が出版された。それを母が買ってきて「読んでみたら」と渡されたのです。母がどうしてこの本を私に読ませようとしたのかは、もはや知ることのできない謎です。
読了して「面白かった」というような感想を母に伝えたのでしょう。今度は、おそらくタイトルだけを見て永井均『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)を買ってきました。議論の内容にはピンとこないところもありましたが、最も印象に残ったのは永井の口の悪さです。竹田青嗣が永井を批判するのに反論して、竹田の言うことが本当なら「ぼくも、それをはじめて指摘した竹田さんも、大発見をしたことになる」などと言う。高校一年生としてそれなりに本を読んできたとはいえ、それまでの読書体験にないような剝き出しの思考……というより嫌味ですね、それに触れました。なんだこの人は、という強烈な印象を残した。そのインパクトがあまりにも強すぎて、書き手としては苦手意識を持っています。
植村 今では哲学者たちの嫌味を面白がるようになりましたが、この苦手意識は残っています。出会うのが早すぎましたね。だから、永井均が体現するような「剝き出しの思考」みたいなものには距離を感じるのです。
加えて、私の大学での指導教員である斎藤慶典もまた、完全にデカルトの糸の系譜にある人でした。こうした履歴もあり、彼らとは異なることをやってもいいのではないかと考えたのです。こういうことはあまり認めたくないのですが、私が制度化された哲学にどっぷりつかっている理由の一端はこうした反動だと言っていいと思います。
そのため私は、「哲学とはひたすら考えることだ」と言って済ませる方向では考えていません。考えることは目的それ自体というよりも、むしろ「見通しをよくしてくれるもの」だと思います。
うまくいくと結果として「見通しが良くなる」。結論ではなく論証の方を重視すること。永井もそれが哲学と思想の違いだと言います。論証のない哲学は、例えるなら炭酸が入っていないサイダーのようなものです。それはそれでおいしいかもしれないが、自動販売機からそれが出てきたらがっかりするでしょう。
試行錯誤を繰り返すことで見通しが良くなるのであり、それは少なくともそういった人たちの書いたものからは得ることができる。そしてそれを得るためには、必ず自分もそれに付き合って考えなければなりません。
山口 哲学することは、あることに対する語り方がうまくいっていないときに、見通しをよくすることだと。
植村 比喩的な言い方をすると、問題を自分の手で触っているという感触です。問題が解けているかどうかや冴えた回答が出せるかどうかとは別にして、ちゃんと問題自体に自分の手で触っていると感じる時に、きちんと考えられていると思います。私の場合、それを最もよく感じるのは論文執筆時です。しかし、それは出てきたプロダクトの周りの評価とはほとんど一致しません。私は成果物に「自分が考えた」ことを載せられるタイプの書き手ではないのだと思います。
山口 考えさせられる話ですね。一方には、既に問題として確立している問題をめぐって、何かしら新たに回答を出す哲学の研究がある。他方、問題自体を自分の手元に置いて深掘りしていき、《これが問題なのだ》と宣言するような営みも存在する。もちろんここに優劣はありません。制度化された問題を扱うのもひとつのやり方です。
植村 そうですね。当然、確立された問題からも、見通しのよさは得られます。例えばStanford Encyclopedia of Philosophy〔ウェブ上の哲学百科事典〕でまとめられている、いわば「定食」のように整理された問題をとりあえず頭に入れて、それを動かして議論を作るやり方です。しかしそこでも、やはり自分で考えることは不可欠です。出来合いの問題であっても、その問題には自分の手で触らなければならないと私はつねに感じています。
私も、出来合いの問題の学説を勉強しているときに、この感触のあるなしを経験します。形而上学や価値論、認識論の問題は自分の手で触っていると感じることができる。逆に全然だめなのが自由意志の話です。もちろん一通りの説明は十分できるのですが。
いずれにせよ、考えるというのは、それをすることで問題に自分の手で触れること。山口さんがデカルトの糸の系譜の中に置いた哲学者は、そういうことをやっているはずの人たち、そういう印象を読み手に引き起こす書き手だと思います。
山口 「哲学史」の話もしましょう。私は院生になったころ、自分の専門を「哲学史」と言っていました。スピノザを研究していたからです。しかしある時ふと反省した。スピノザやライプニッツを読んではいるけれど、別に彼らを歴史的な相では見ていないなと。つまり、私はスピノザを無時間的に読んでいたのです。単に古いものを読んでいるだけで、自分のやっているのは哲学史ではないのではないかと考え始めた。
それでは哲学史をやっているのは誰か。パッと思いつくのはハイデガーです。彼には歴史観があります。すなわち、存在了解がどんどん不明確になっていく歴史であり、一種の没落史観です。同じくヘーゲルも、独自の歴史観をもち、そのもとで哲学を行なう。これこそが「哲学史」だ。その思いで本書を書きました。
植村 私が哲学史研究をやろうと考え始めたのは比較的最近、博論を書いて以降のことです。日本哲学会の『哲學』という雑誌に「哲学史研究は哲学的かつ歴史的でありえるのか」という論文を寄せた時、本格的に腹を決めました。従前やっていた現代哲学とフッサールの接点を探るといった研究だけをやることに疑問が出てきた、自分の実力に照らしても限界が見えて来たと感じていたからです。20年後に研究を続けられているとして、上の課題を続けている姿もあまり想像できなくなっていました。そこで、単に古いものを読んでいるだけではない哲学史研究をやることにしたのです。
この「哲学史」はしかし、ハイデガーやヘーゲル、ローティのものとは少し違います。例えばハイデガーのそれは、存在忘却の歴史という観点から西洋哲学の伝統全体を相手取る仕事です。それに対して私は、一世紀にも満たない短いスパンの出来事を相手にしたい。
フッサール初期の仕事に影響を受けた人たちがほぼ全員、フッサールの超越論的転回を画期に反旗を翻した事件。ここで何が起こったのかということを追究しています。若い哲学者たちが、かつて影響を受けた年長の哲学者から離反した。この出来事とその余波を再構成したい。哲学の議論としてなにが起こっているのか明るみに出そうとするものです。
山口 私は哲学史に物語作家的に向き合っていますが、植村さんはある意味、刑事が事件を追うような仕方で対峙していますね。
植村 検察に提出する調書を作成するような(笑)。どうして揉め事が起こったのか調べてみよう、というのが一番の動機ですね。
私は、哲学史において起こった詳細不明の事件を明らかにしたいのです。生じたことさえほぼ気づかれていない事件を新たに発見するというモチベーションはあまりありません。この点、山口さんが行った、現代日本哲学史に「デカルト的転回」があったという指摘は、優れた発見だと言っていいと思います。
翻って私は、「何かが起こった」ことは周知の事実だが、実際何が起こっていたかわからないことについて、詳らかにすることに関心を持っています。その意味で私は警官のようなことをやっているのだと思います。
山口 カール・ポパーとウィトゲンシュタインがケンブリッジ大学で衝突した、所謂「火かき棒事件」を思い出します。これもいろいろ詳らかにできそうな「事件」ですので。衝突を起点にして、その出来事の詳細を丹念に明らかにせんとする植村さんの仕事には楽しみな面が多々あります。
植村 もちろん、20世紀の哲学史に大きな貢献をしたいという野心がないわけではありませんが、それはあくまでも結果の話です。これからもまずはこぢんまりと、警察みたいなことをちまちまやっていきたいと思っています。しかし私の仕事は、「火かき棒事件」のようなある種のゴシップめいた話よりは、論証の歴史としての哲学史に関わると思います。
植村 さて、本書では現代日本哲学がデカルト・カント・マルクスと巡って歴史に回帰する、というストーリーが描かれました。では山口さん自身のこれまでの、またこれからの仕事はこのストーリーにどのように位置づけられるのでしょうか。
山口 今回の本は近年の「歴史の季節」を最後のステージとしています。これは本書が哲学史を書く私自身と接続してくることを意味します。というのもこの本自体が歴史の季節の中で書かれていますので。そしてここから起こってくることも私の責任のもとで引き受けたいと考えています。
日本哲学の軌跡を追う本書で明らかになったのは、自由な思考・理論形成・歴史との対決という枠組みの全体が「近代的」と特徴づけられうるということです。そして私には今後それをますます相対化していくことが求められる。つまり、抜け出すべき近代の反復、すなわち自由な思考で枠組みを破壊し、理論を作って歴史と対決する、という一連の流れ、これを批判するのが課題です。月並みですが例えば近代的主体はあらためて批判されねばならない。
2021年に出版した『日本哲学の最前線』(講談社現代新書)において、「不自由を見極めたうえで自由を見出す」ものとしての不自由論を展開しましたが、これは『現代日本哲学史』の続きをフライング気味に示した著作と言えるでしょう。
植村 対して私の目の前にあるのは、近代との対決が前面に出てくる時代を現代と呼ぶなら、現代の一歩手前においてなにが起こったのか、ということにフォーカスする仕事です。今は、国際的な思想運動としての現象学が戦前、日本にどのようにして到達したのかということを調べています。
そのため、私にとっても「近代」というのは大きな問題です。近代の最後の権化のようなフッサールという哲学者を研究している身からすると、近代にも評価すべき点があり、それを乗り越える際に起こった事件について理解したいと考えています。
山口 「事件」というなら、まさに先述の『現代思想』で紹介されていた座談会こそ事件でしょう。歴史を「事件調査者」として探求する植村さんの語り方には、新しいものを感じます。
植村 私も、「刑事」という新しいアイデンティティを得ることができたのが今回の対談の大きな収穫でした。ありがとうございました。(おわり)
★やまぐち・しょう=京都大学非常勤講師・哲学。専門は形而上学、心の哲学、宗教哲学、自由意思について。著書に『人間の自由と物語の哲学』『幸福と人生の意味の哲学』など。一九七八年生。
★うえむら・げんき=岡山大学社会文化科学学域准教授・哲学。専門は現代現象学、哲学史。著書に『真理・存在・意識』、共編著に『現代現象学』、共訳著に『法現象学入門』など。一九八〇年生。
書籍
| 書籍名 | 現代日本哲学史 |
| ISBN13 | 9784791777341 |
| ISBN10 | 4791777344 |
