2025/10/03号 8面

黒い蜻蛉

『黒い蜻蛉』(佼成出版社)刊行をめぐって(寄稿=ジーン・パスリー/インタビュー=小宮 由)
寄稿=ジーン・パスリー/インタビュー=小宮 由 <八雲が惹かれた日本の世界> ジーン・パスリー『黒い蜻蛉』(佼成出版社)刊行をめぐって  小泉八雲、小泉セツの夫婦を描く朝ドラ『ばけばけ』が始まり、八雲に注目が集まっている。ジーン・パスリー『黒い蜻蛉 小説 小泉八雲』(佼成出版社)は、八雲の生涯を辿る小説。本書をめぐり、著者のパスリーさんに寄稿を、訳者の小宮由さんにインタビューをお願いした。(編集部)  ――『黒い蜻蛉』は、アイルランド出身の脚本家ジーン・パスリーさんが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の生涯を描いた小説です。翻訳前後で、八雲に対する印象は変わりましたか。  小宮 実は、私は昔から小泉八雲に対して造詣が深かったわけではありません。本書を訳すまでは、八雲=『怪談』の作者ぐらいのイメージしかありませんでした。私は主に絵本や児童文学を翻訳していて、2004年からは私設図書館の「このあの文庫」を主宰しています。八雲の本で読んだことがあったのは、うちの文庫にある岩波少年文庫版くらいでした。  でも、縁あって『黒い蜻蛉』の翻訳を依頼され、原作を読んでみると、たちまち八雲に夢中になってしまいました。彼の人生があまりにも波乱万丈で。日本に来るまでの八雲は、親に捨てられ、差別や貧困に苦しみ、どこで死んでもおかしくない悲惨な状態にありました。ところが1890年、39歳の時に、日本へ来たことで、彼の人生は好転していきます。  私は翻訳する際、可能な限り著者や対象のバックグラウンドを調べるようにしています。本書も同様で、八雲の著作や資料を読み込んだのはもちろん、八雲の足跡を辿る取材にも出かけました。松江、熊本、神戸を巡り、松江にある小泉八雲記念館では、八雲のひ孫にあたる小泉凡さんにお会いし、富山大学附属図書館では、八雲の蔵書などを保管しているヘルン文庫を見学、晩年の八雲が過ごした焼津の小泉八雲記念館も訪問しました。おかげで八雲が他人には思えなくなってしまいました。  ――翻訳にあたり、苦労した点はどこですか。  小宮 著者のパスリーさんもおっしゃっているように、この作品はフィクションです。たしかにそうではあるのですが、すべての裏どりをした結果、そのほとんどが、ノンフィクションでした。一部、人名や時系列を意図的に変えたり、会話文を創作したりするものの、パスリーさんは、ほとんどを八雲の著作から引用しています。それを確認する作業が、一番、苦労しました。どこがノンフィクションで、どこがフィクションなのか、訳者としてそれを把握しておく必要があるので、編集者と私は、八雲の著作や、彼に関するあらゆる資料を読み、パスリーさんが、八雲のどの作品の、どの部分を引用しているのかということを調べていったのです。  今思えば、気が遠くなる作業でしたが、その結果、パスリーさんがあえて創作したところは尊重しつつ、本筋には関係がない細部――たとえば、6月にセミは鳴いているだろうかとか、人力車の速度で、この距離をこの時間で走れるだろうかなど――は、極力正確な情報にしました。もちろん、すべてパスリーさんの承諾を得てです。原書が85%ほどノンフィクションだとしたら、日本語版は、それが90%くらいになったという感覚です。  ――物語は八雲がラフカディオ・ハーンだった幼少期、1854年のアイルランドから始まり、アメリカ、横浜、松江、熊本、東京と場所や時代が移っていく。激動の人生が、八雲による一人称視点で語られます。  小宮 翻訳家の一番の仕事は、読者と原作者の橋渡しだと考えています。違う言語で書かれた違う国の著者の想いを汲み取って、それを日本の読者に伝える。つまり翻訳者が寄り添う対象は、作者と読者の2つあるわけです。ですが、この本の場合、著者のパスリーさん自身が八雲に寄り添って書いているので、翻訳家として意識しなければならない対象が、パスリーさん、読者、八雲の3つだったのです。八雲の一人称視点で書かれてはいるものの、優先すべきは彼自身ではなく、パスリーさんというフィルターを通した八雲像です。パスリーさんが伝えたい八雲の魅力を表現するということを忘れてはいけない。どう訳せば、パスリーさんが感銘を受けた八雲を日本の読者に伝えることができるか。ややもすると八雲自身の思想に引っ張られて、パスリーさんを置いてけぼりにしてしまいがちになったので、そこに気を配るのにも苦労しました。  ――本書を語るうえで外せないのが、小泉セツの存在です。セツというパートナーと出会ったことで、ラフカディオ・ハーンは小泉八雲となり、日本文化への理解も深めていきます。  小宮 八雲は、幼い頃からギリシャ神話やケルト神話、幽霊譚などに関心があり、日本に来る前にも『中国怪談集』を出しています。一方のセツは、昔話や伝承をたくさん聞いて育ち、それを語るのが好きだった。二人の出会いは、本当に運命の巡り合わせだったのでしょう。  八雲は4歳で母と別れ、アメリカでは結婚に失敗するなど、女性関係が上手くいかなかったこともあり、自らの妻像や母親像をうまく描けていませんでした。そんな中、セツは、八雲の隣りで妻となり、四人の子どもの母となっていきました。晩年、八雲にとってのセツは、妻というより、母のような存在でした。『怪談』という作品のみならず、セツは、八雲にとってかけがえのない存在だったのです。  ――印象に残っている場面はどこでしょうか。  小宮 本書は、八雲とセツのラブストーリーとして読むこともできますが、私自身は八雲の視点で語られる日本の景色が心に残りました。特定の場面というより、八雲が訪れた先々で目にした光景と、それについて語った言葉が印象的です。  八雲がやって来たころの日本には、まだこの国古来の神道が息づいていました。私を含め戦後生まれの人は、神道と聞くと戦争に走った国家神道をイメージしてしまいがちですが、八雲が惹かれたのは、いわゆる古神道の世界観です。先ほどお話しした通り、八雲は子どもの頃からフェアリーテイルなどの伝承に興味があったものの、一神教であるキリスト教の世界では、それは許されなかった。だから八雲は、日本で八百万の神々という価値観に触れ、深く感動しているんですね。しかし、次第に国家神道の波が押し寄せ、それが日本人の特質を逆手に取って、戦争へと突き進ませてしまった。八雲は、ちょうどその狭間の時期に来日し、外国人という第三者の視点から、ありのままの日本の姿を記録してくれたのです。  ――八雲の目はフラットに、日本文化のいいところも悪いところも語っていきます。  小宮 私は当初、八雲の波乱万丈な人生に興味をもって、本書の翻訳を引き受けました。ですが、作業を進めるうちに、私のフォーカスは「日本人とは何か?」に移っていきました。八雲の客観的な目で語られる日本人は、先祖を大切にし、地域ごとに文化があり、支え合いながら生きています。私はそれこそ、古来から受け継がれてきた「日本人としてのアイデンティティ」だと感じました。そうした本来の日本の姿や歴史から、私たちを断ち切ってしまったのが、先の戦争だと思います。そもそも私は、世の中から戦争と暴力をなくしたいという想いで、子どもの本の翻訳を続けています。私の祖父がトルストイ文学の翻訳家で、良心的兵役拒否者だった北御門二郎だということが、強く影響しているのですが。  本書を通して、八雲が見つめ、私たちが失ってしまった古来の日本の姿に触れてもらえれば、その人なりの「日本人としてのアイデンティティ」を取り戻すことができる、もしくは、考えるきっかけになると思っています。そして、その先には、過度な経済格差による上下の分断は、避けなくてはならないということや、政治思想による左右の分断は、どちらも掘り進めれば、同じ理想に辿り着くと気づくはずです。これこそ、平和に近づく第一歩です。それは何も、昔の日本に戻れということではなく、八雲が見た日本を、私たちが改めて見直して、今の時勢、政治、宗教、環境、コミュニティなどを考え直すきっかけになればと願っているのです。それができるのが「物語の力」なのですから。  ――読者へのメッセージをお願いします。  小宮 小泉八雲に関する作品はたくさんあり、さらに今年は朝ドラ『ばけばけ』放送開始ということで、関連本も多く出版されています。本書は、朝ドラのために出版されたわけではなく、昨年の小泉八雲没後120年をきっかけに刊行されたものです。刊行直前に『ばけばけ』の情報が解禁され、その偶然にとても驚きました。  今、刊行されている八雲の本は、彼の人生を解説したり、『怪談』を読み解く内容の本が多いと思います。八雲はもともとジャーナリストだったので、自らの著作で自分自身については、あまり多く語っていません。そのため、八雲の横顔を知るには、セツが残した『思い出の記』や、長男の一雄が書いた『父「八雲」を憶う』ぐらいでしょう。  そんな中、本書は、八雲の生涯を網羅した小説です。限りなくノンフィクションに近く、一人称の視点で物語が進むので、八雲の心の動きがよくわかります。今のところ、八雲の生涯を描き切った小説は、類書がないと思います。ぜひ、八雲の入門書として、本書を手に取ってもらえればと思います。そして、小泉八雲という人物に興味を持ってもらえたら、ぜひ、彼の著作を読んでほしい。おすすめは『日本 一つの解明』です。八雲の本から、日本人とは?平和とは?ということに想いを馳せてもらえれば、それ以上の訳者冥利に尽きることはありません。  (おわり)  ★こみや・ゆう=翻訳家。家庭文庫「このあの文庫」を主宰。訳書に『さかさ町』『けんかのたね』『イワンの馬鹿』『キプリング童話集』『くるみ割り人形』など。祖父はトルストイ文学の翻訳家、良心的兵役拒否者である故・北御門二郎。 <八雲の肩越しに> 寄稿 ジーン・パスリー  私は1980年代に日本に住んで以来、ずっとラフカディオ・ハーンを敬愛しています。現在は、ダブリンの彼の幼少期の家の近くで暮らしているのですが、その家の壁には英語と日本語で銘板が掲げられており、そこを通るたびに彼のことを思い出します。  私の主な仕事は長編映画や短編映画の脚本を書くことで、それらを自分で監督もしています。したがって、ハーンについて書くのは自然な流れのように思えました。彼の人生には優れた映画に必要な要素――欠点のある主人公、葛藤、多くの障害、変化、そして最終的に満足のいく結末がすべて揃っていました。私が目指したのは、ハーンと日本人妻である小泉セツとの愛の物語を脚本として描くことでした。私はまた、セツが彼の人生において果たした役割を強調したいとも思っていました。彼女がいなければ、彼は日本に留まらなかったかもしれません。彼女がいなければ、あの素晴らしい日本に関する著作の数々も生まれなかったかもしれません。  しかし脚本執筆のための調査を進めるうちに、これは単なる男女の愛の物語ではないことに気づきました。それはまた、一人の男と一つの国との愛の物語――ハーンと日本との愛の物語でもあったのです。私はたくさんの脚本草稿を完成させましたが、どれも満足のいくものではありませんでした。難しさの一因は、脚本では観客がスクリーン上で見るものしか書けないという点にありました。その結果、ハーンが日本の生活や文化について抱いた魅力的な洞察の多くを含めることができなかったのです。私は以前にも散文を脚本に翻案した経験があります。その過程とは、登場人物の内面の思考を外在化し、目に見える形にすることです。しかし、ハーンの文章を映画用に翻案すると、彼の繊細な感性や、日本での時間を彼自身がどう解釈したかといった、私が最も興味を持っていた部分が失われてしまいます。私は行き詰まってしまいました。 この問題の解決策は、小説The Master(作家ヘンリー・ジェイムズを題材にした歴史小説)を読んだときにひらめきました。それはまさに頭の中に電球がぱっと点いたような感覚でした。私は、ハーンについて書くのに同じ形式を使えると気づいたのです。しかし、それまで散文を書いたことがなかった私にとって、それは野心的な挑戦でした。私の最大の目標は「ハーンの目を通して見た日本」を描くことでしたが、単に彼の作品を再現するのではなく、読者が彼と一緒にいて、彼の肩越しに日本での喜びや困難を体験するようにしたかったのです。私は彼の手紙、随筆、著作の中から、自分が心を動かされたもの、共鳴したもの、驚かされたり喜ばされたり恐ろしさを感じたものを抽出しました。そして、自分自身の日本での経験も加え、それらを想像力という接着剤でつなぎ合わせて物語をまとめました。  当初は日本が私の関心の中心でしたが、ハーン自身の個人的な物語も非常に魅力的で、調べれば調べるほど彼の人生がいかに特異なものだったかが明らかになりました。1850年に生まれた彼は、幼少期をアイルランドで過ごしました。幼い頃に両親に捨てられ、遺産を相続することもできず、思いがけず貧困に陥りました。西洋の基準では小柄(身長160㎝ほど)で、片方の目がほとんど機能していなかったにもかかわらず、世界中を旅し、どこにも完全にはなじめず、人生や恋愛に失敗を重ねながらも、最終的に日本で安らぎと成功を見いだしたのです。  『黒い蜻蛉』は当初、西洋の読者を対象に書かれました。彼らの多くはハーンの怪談(『怪談』)には親しんでいますが、それ以外のことはあまり知らないかもしれません。私は『黒い蜻蛉』を読んだ人々が、彼の他の著作にも触れ、日本についてより深く理解してくれることを願います。ハーンが生きた時代から日本は大きく変わりましたが、彼の洞察や観察は今も意義深いものです。古き日本は人々の心の中に今も生きており、古来の儀式もなお息づいています。  忘れてはならないのは、『黒い蜻蛉』はフィクションであるということです。ただし、事実を基にしています。私はハーンの散文を、彼が家族や友人と交わしたかもしれない想像上の会話に変えました。それらは創作ではありますが、彼の考えや意見の多くは実際に基づいています。同様に、ワトキン宛ての手紙も、実際の手紙とハーンの著作の抜粋を組み合わせています。日本をよく知らない西洋の読者にとって読みやすく有益なものにするために、物語をシンプルに保つ必要があると感じました。そのため、彼の人生で重要な人物の一部は省かれています。また、物語を豊かにするために登場人物の描写を工夫しました。彼が記録した出来事を、実際には経験していない人物に割り当てたこともあります。たとえば、ハーンの親友で同僚でもあった西田さんは、ハーンの知人の何人かを合わせた架空の存在です。実際には西田さんはハーンと一緒に富士山に登ってはいませんが、物語の満足感のために登場させました。  日本語版『黒い蜻蛉』の出版の見通しが立ったとき、私は胸が高鳴りました。日本の読者にとって説得力のある物語にするために、細部や日付、地名などを変更する必要があることは理解していました。小宮氏の翻訳は、必要な修正を加えつつも、物語の感情的な真実を見事に捉えていると信じています。日本の読者にも満足していただける仕上がりとなり、『黒い蜻蛉』を通して、ハーンにとって日本の世界がいかに奇異に映ったのかを理解していただければと願っています。また、日本に来る前の彼の人生についても知り、過去のトラウマと向き合いながら、19世紀日本という急速に変化しつつも古く神秘的な世界で、彼がいかに成長できたかを理解していただけるでしょう。妻セツの愛と支えのおかげで、彼は悩める男から変わり、安らぎと温かな家庭を手にし、今も読み継がれる作品を生み出すことができたのです。(田波舞訳)  ★ジーン・パスリー=脚本家。脚本の代表作に小説家メイヴ・ビンチーの短編『How About You』など、共同脚本に『The Bright Side』など。本書が初の小説作品。

書籍

書籍名 黒い蜻蛉
ISBN13 9784333029259