2025/10/03号 5面

到来する女たち

到来する女たち 渡邊 英理著 竹内 栄美子  本書は『中上健次論』(インスクリプト、二〇二二年)に続く著者の二冊目の単著である。前著刊行後の著者の活躍はめざましく、日本現代文学の優れた読み手として多くのメディアに登場し刺激的な論考を展開している、その一環として本書も位置づけられるだろう。サブタイトルにあげられた三人の著作は、かねてより評者も親しみ学んできた女性作家たちであり、本書によっていっそう三人に対する思いが深まった。  中村きい子『女と刀』の舞台である鹿児島県霧島の自然豊かな場所で育ち、ご両親によって惜しみない教育の機会を与えられた著者にとって、この生育の場所は森崎和江ら『与論島を出た民の歴史』や『まっくら』を想起させる沖縄奄美の人たちにつながるという。さらに霧島連山の向こう側には水俣があって石牟礼道子『苦海浄土』や『椿の海の記』の世界が広がっていたことから、この三人の作品世界を論じる本書は、南九州に育った自分にありえたかもしれないもう一人の自分を想像する「自伝的な書物」とされている。いわば、本書はそれだけ南九州という土地の喚起力によるものであり、この三人の書き手に連なろうとする著者の深い思い入れがうかがえよう。  そのような自伝的書物としての本書の特徴は二点ある。ひとつは三人が参加した『サークル村』の家父長制的男性中心主義を否定的媒介として「女の思想」「わたしのフェミニズム」を開始したことにより彼女たちがたぐいまれな表現者になっていったこと、もうひとつはそのような彼女たちの文学を「思想文学」として読み解くということである。  まずは後者の思想文学についてだが、その根拠として林少陽『「修辞」という思想 章炳麟と漢字圏の言語論的批評理論』(白澤社、二〇〇九年)があげられていることに留意したい。アジア漢字圏における「文」は士大夫の「文」であり、それは単なる言語修辞的な概念ではなく政治思想であり倫理でもある。「文」にはもともと思想が含意されていることと、その一方で長らく女性表現者たちが参入してきた文学が女性の思想を育むものであったこと、著者はこの両者を鑑みて「思想文学」という言葉を提唱している。文学が果たしてきた役割を振り返れば、文学の概念や領域はもっと広範なもので、思想や倫理が含まれていたことを思い出させる提唱であり広く知られてほしい概念であると思われた。  前者については、この三人が『サークル村』から継承したのは集団論と聞書きであるとされ、とりわけ集団論については「批判的な遺産相続人」であるという。すなわち石牟礼たちは「小さな声」を不揃いなまま束にすることで、個としての「わたし」を消さずに「わたしたち」になる、「わたし/たち」の表現を追求したとされている。『からゆきさん』にしても『苦海浄土』『椿の海の記』にしても、序列や排除に与しない開かれた「ふるさと」九州の言葉を詩語として思想化した著作である。そのさい聞書きという方法が功を奏した。否定的媒介としての『サークル村』から得たものは大きく、改めて『サークル村』の意義を思わざるを得ない。  具体的に取り上げられた作品は中村きい子『女と刀』、石牟礼道子『椿の海の記』、森崎和江『遙かなる祭』である。『女と刀』は旧薩摩藩の下級武士の娘であった中村きい子の母をモデルとした小説だが、娘による母の伝記は、家父長制と家制度のなかで「刀ひとふりの重さほどもない」と啖呵を切って夫と離縁するキヲ(中村の実母がモデル)の激しい生き方を描くことで「被害者から権力への加害者への転換」を実践し、女の解放をもくろむのである。誰にも従属しない女の自立的精神である。その一方で、近代化に抗するモダニズム文学と位置づけられる『椿の海の記』では、現代的なケアの思想を軸としているのが注目される。なかでも森崎『遙かなる祭』を取り上げた意味は大きく、通常、森崎論としては『まっくら』や『からゆきさん』が言及されるのに対して、本書では露天商を扱った放浪ものとしての『遙かなる祭』を論じている。  露天商あるいはテキ屋集団に関心を抱く森崎の問題意識への着目は、そのまま最終章の流民の議論につながるだろう。ここで著者は、前著で論じた中上健次の提示した概念「あに」に通じる黒田喜夫の「あんにゃ」および深沢七郎『東北の神武たち』からの「ズンム」を補助線として、石牟礼や森崎における名前を与えられていない「おなごのしごと」に従事する女性たち「からゆき」につないでみせた。「からゆき」は「あんにゃ」や「ズンム」といった流民状態の男たちと呼応し合うという。著者の視線が社会からはじかれたもの、はみ出したものに向けられていることが分かる。  このような周到な読みによって流民の姿をすくいとり、その声を救うことで豊穣な文学が立ち現れるさまを明らかにした本書は、三人の作品を丹念に追うことで彼女たちの思想文学の内実を明らかにした優れた著作である。読了後には、決して九州を離れることのなかった彼女たちの思想文学を成立させている重要な要素のひとつ「ふるさと」の概念は、現在、どのように変容したのか、していないのか改めて考えたいと思った。(たけうち・えみこ=明治大学教授・日本近代文学)  ★わたなべ・えり=大阪大学教授・日本語文学、批評/批評理論、思想文学論。著書に『中上健次論』(表象文化論学会賞)など。

書籍

書籍名 到来する女たち
ISBN13 9784863856783
ISBN10 4863856784