2025/11/14号 8面

ゴッホの宇宙

正田倫顕氏に聞く(聞き手=小野正嗣) 『ゴッホの宇宙』(教文館)刊行を機に
<人類的な視座からゴッホに迫る> 正田倫顕氏に聞く(聞き手=小野正嗣) 『ゴッホの宇宙』(教文館)刊行を機に  ゴッホ研究者の正田倫顕氏が、今年5月に『ゴッホの宇宙』(教文館)を上梓した。本書は、ゴッホ解釈を単なるイコノロジーで事足れりとするのではなく、〈彼の作品はなぜ我々の魂を根底から揺さぶり、人を惹きつけてやまないのか〉という根本的な観点から明らかにしようとする野心作だ。  また現在、日本ではゴッホの展覧会が複数展開し、ゴッホへの関心が高まっている。神戸市立博物館「大ゴッホ展」(順次福島・東京を巡回予定)、東京都美術館「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」、箱根のポーラ美術館「ゴッホ・インパクト――生成する情熱」だ。これを機に、著者の正田氏にインタビューを行った。聞き手は作家・仏文学者の小野正嗣氏にお願いした。(編集部)  小野 今作の『ゴッホの宇宙』、また前作の『ゴッホと〈聖なるもの〉』(新教出版社)を拝読しました。正田さんのお仕事の核には、〈ゴッホの作品に人が圧倒されるとき、そこでは何が起こっているのか〉という問いがあるものと拝察します。ゴッホは非常に多くの人たちを魅了してきた。正田さんもそのお一人だと思うのですが、どうしてかくも惹きつけられ、本を書かれるに至ったのでしょうか。  正田 私のゴッホ体験は《アルルの跳ね橋》という作品から始まります。18、19歳の頃です。理系の学生として大学に入ったものの、何をやりたいのか、迷いの中にある時分でした。大学の図書館で、興味の赴くままにゴッホの画集を開いていたところ、この絵に出会います。なんて静かな絵だろう、アルルの長閑な雰囲気が感じられる美しい絵だ、と思いました。ゴッホの絵を意識して鑑賞し始めたのはそれからです。ですがそのうちに、ゴッホが描いたのは《アルルの跳ね橋》のような穏やかな作品ばかりではないことに気づきます。大変激しく、おどろおどろしい、エネルギーが渦巻くような作品がある。ゴッホの描くこの両極端の世界は何なのか、いったい何を表現しているのか。そんな想いに取りつかれ、ゴッホの世界に分け入っていきました。  小野 正田さんの御本で興味深いのは、作品へのアプローチが美術史的な文脈にとどまらず、キリスト教学や哲学などを積極的に参照されていることです。この独特の研究手法には、どのようにして行き着いたのでしょうか。   正田 ゴッホという画家に特徴的なのは、作品以外に「手紙」という表現手段もある点です。800通以上も残るこの一次資料を無視するわけにはいきません。そのため私も本格的に研究をするにあたり、まずは手紙をすべて読むことから始めました。  すると、次のような精神の遍歴が見えてきました。初期には、キリスト教への愛着が表明されているのですが、途中から心の振り子が嫌悪や否定に振り切れてしまいます。キリスト教を攻撃対象とするに至るのです。ゴッホの父や祖父は牧師であり、自分も牧師を志した時期があったのに、彼は掌を返すように、「キリスト教は形骸化してしまった宗教であり、もう我々の心には響いてこない」と考えるようになります。ゴッホにとってキリスト教、あるいは宗教とはどういうものであったのか、という謎がここにはあります。  他方で、ゴッホは一貫して、イエスその人には批判の刃を向けていません。制度としてのキリスト教を批判しつつも、イエスが何を言ったのか、どういった行動をしたのかといった、宗教の根幹にある生々しい部分には関心をもち続けたのです。彼の絵画に肉迫する上で、こうした部分も見逃すわけにはいきません。そのため、キリスト教や宗教学、芸術人間学などの側面からもアプローチする必要があると考えるようになりました。  小野 それに加え、正田さんはゴッホの住んだ土地や滞在した場所をすべて訪れる、一種のフィールドワークも実践されています。これはどのような動機からなされたことなのでしょう。  正田 ゴッホの手紙には、ヨーロッパの様々な地名が登場します。初めは、それらを地図上にプロットし、頭の中で位置関係を把握していました。しかし、やはり現地に赴き、そこの空気を肌身で感じなければわからないことがあります。それで、ゴッホがいた場所のすべてを歩いてみることにしました。思考する上でのスタート地点を、抽象的なものではなく、自分の身を置いて感じることに定めたかったのです。  例えば、ゴッホには《悲しみ》という作品があります。モデルとなったのは彼がハーグで同棲していた娼婦です。ゴッホは彼女と結婚することを望みますが、体面を重視する家族の反対に遭います。結局結婚には至らず、その女性と別れることになります。ゴッホはそれからまるで自らを罰するかのように、オランダ北部の荒れた地に向かい、思索にふけりました。ここまでは割と知られた事実なのですが、実際に真冬に当地に赴くと、また違った景色が見えてきます。確かに荒涼とした土地には違いないのですが、美しい夕焼け空や、張り巡らされた運河に空の青い色が映り込む、そんな風景も広がっていることに気付くのです。単なる自罰にはとどまらない実相がわかり、有意義な活動でした。  小野 続いて『ゴッホの宇宙』の話題に移りましょう。本書では、《馬鈴薯を食べる人たち》《ひまわり》《星月夜》の三作を取り上げ、分析を加えています。主題をこの三作に定めたのはどうしてですか。  正田 この三つの作品は、ゴッホの本質に迫り彼の世界観や宇宙観を明らかにするために重要な絵であったからです。まずオランダ時代の《馬鈴薯を食べる人たち》は、「自分も農民の一人だ」と考えていたゴッホの姿を考える上で、避けて通れない絵画でした。農民、ひいては人間すべての生を支えるものとしての大地、これとの関係から作品に肉迫したいと思ったのです。  《ひまわり》も同様です。前著はキリスト教とゴッホ芸術との関係を主要なテーマとしています。そのため、誰もが知っている《ひまわり》ですが、包括的に論じることはできませんでした。それで次の本では《ひまわり》の連作を集中的に取り上げようと考えました。  《星月夜》は、私が20歳の頃にニューヨーク近代美術館で鑑賞して、大きな衝撃を受けた作品の一つです。《星月夜》を中心に、「夜景画」という作品群でゴッホがどのような表現をしたのか考えたいと思っていました。  小野 《馬鈴薯を食べる人たち》の読解は、ほとばしるいのちのエネルギー、あらゆるものに貫流する生命原理、その源である大地と作品の関係を読み解くものでした。この着想は、絵を鑑賞した時からすでに直感的に得ていたものなのでしょうか。  正田 いいえ、当初はこの暗く陰鬱な絵画で何が表現されているのか、なかなか言語化できませんでした。多くの鑑賞者も、何かが引っかかるもののそれを言葉にしづらいがために、「オランダ時代の暗い絵の一枚」という理解で通り過ぎてしまうのではないでしょうか。  しかしゴッホはパリ時代に、本作を「ぼくの最上の作品だ」と誇っています。習作と絵画の区別を重視していた彼をして、これは絵画だ、完成作なのだと言わしめた作品なのです。習作の変遷をつぶさにたどり、彼が何を感じ何を考えていたのか見定めることが必要でした。そして調査と考察を重ねるうちに、農民と大地とのつながりが大変重要なテーマだということが見えてきたのです。  小野 《ひまわり》は私たちに非常に馴染みのある絵です。南仏の光を求めてアルルに赴いたゴッホが、芸術家の共同体をつくるという夢を抱き、ゴーギャンを迎え入れるために構想したのが《ひまわり》の連作なのだそうですね。また、南仏時代のゴッホのエキセントリックな逸話はよく知られています。そうした文脈から離れて、この絵そのものに深く分け入って論ずるのは難しい作業だったのではないでしょうか。  正田 確かに難しい仕事でしたが、何とか《ひまわり》で表現されたことの真実を剔抉したいという想いでした。ゴッホはアルルで静物画の《ひまわり》を七点制作しています。これらの油彩では、花瓶に生けた切り花が画面一杯にクローズアップされています。当時、ゴッホは仲間の存在を大いに意識しながら、絵に取り組んでいました。そのため、《ひまわり》の中には、孤立した芸術家たちが共通の理念で結ばれ、協力することを願う気持ちが込められているものもあります。  しかしゴッホの個人史的な文脈だけで《ひまわり》を解釈していても、作品の深みにはなかなか到達できません。そこには、芸術家の意図を超えたものが表現されてしまっているのです。制作中のゴッホに起きていた出来事に宗教人間学的に迫った結果、彼の自己が消尽してエネルギーに浸される、そうした実存的な経験があったのではないかと考えるに至りました。  小野 まさにその点についてです。正田さんが主張される、主体の同一性が溶解してエネルギーに浸潤されるような創作体験は、確かに、創造行為に没頭するとき多くの芸術家が経験するものだろうと思います。しかし、ゴッホ自身がそれを言葉に残しているわけではありません。私も含めた読者は、正田さんの思想がゴッホを通して表現されていると読むのではないでしょうか。スリリングな試みですが、実証するのは難しいですよね。  正田 もちろんゴッホ本人が作品のすべてを言葉で説明してくれるわけではありません。ただ彼は《ひまわり》を描いていた頃、このように言っています。「ぼくは描く機関車のように走っている」、そして「もはや自分を感じず、絵が夢の中のようにやってくる」と。ここからは、自己が消えてしまい、対象の方が向こう側からやってくるという、創作の現場で起こる核心的な体験が読み取れます。私たちは分析力も洞察力も想像力もすべてを動員して、事柄の真実に迫らなければなりません。  小野 正直に言うと、読んでいて少しだけ戸惑ってしまいました。実証的な美術史研究ではこのような書き方はしませんから。正田さんの作品は、美術史という枠組みにこだわらず、ゴッホの作品と対話を重ねながら、ご自身の思想を展開する試みでもあるように感じられました。そうしたチャレンジができたのは、やはりゴッホが偉大な芸術家だからでしょうね。ゴッホが正田さんの中にあるものを引き出して、二人の境界が溶けてしまうような叙述が生まれているのではないかと思います。  正田 ご指摘ありがとうございます。実はそのような自覚はありませんでした(笑)。ゴッホが表現した内容を真正面から捉えるためには、美術史的なアプローチだけでは不十分だという認識があったのは確かです。例えば浮世絵から影響を受けて、平坦な塗り方になって、輪郭線が強調されて……といった記述をいくら重ねても、表面をなぞるばかりで、本質的な部分は見えてきません。ゴッホの絵から感じられる迫力とどうしてもズレがある。隔靴掻痒の感をぬぐえないのです。  ゴッホが表現したことを、単なる美術史に留まらない、人間の本質や生々しい宗教性と関連するものとして捉える必要がありました。私たちはゴッホのわずかな言葉を手がかりとして、宗教人間学的に作品にアプローチしなければなりません。さらにはゴッホが言葉にしていないことにまで目を向けなければなりません。人類共通の視座からゴッホの作品を見る。これを私なりに具体化したのが本書だと言えるでしょう。  小野 その人類的な視点からすると、正田さんが《星月夜》に強く惹かれるのは自然なことですよね。まさに《星月夜》では人類を包摂する宇宙そのものが描かれていますから。  正田 そうですね。多くの人は、描かれている星々や中央の大きな渦を、現実の事物に対応させることに躍起になりがちです。描かれたものが何であるか特定できれば絵画は理解できる、という考えです。しかしそれでは、ゴッホがほんとうに表現したことの次元と比べるとあまりにも浅い。何が描かれているかだけでなく、いかに描かれているか。こちらもつぶさに見ていくと、もっと深い世界が見えてくると確信しています。  ゴッホはこの絵について、「慰めを与える絵」だと語っています。ではなぜ慰めとなるのか。やはり、どれほど絶望的な状況にあっても、あらゆるものに浸透し、我々を生かそうとしてくるエネルギーがあるからです。いのちの力が我々を丸ごと支え、貫いている。ゴーギャンの絵画ではないですが、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という問いをゴッホ自身も抱えていました。こうしたテーマが表現されているのがこの絵画なのであり、私もそれを見つめたつもりです。  小野 そこまでのことを受け取ることができるのは特別なことだと思います。正田さんがゴッホを深く敬愛し、正田さんを魅了してやまないこの人が何者なのかにとことん迫ろうとしているからでしょう。本書を読みながら、これは正田さんのゴッホへの信仰告白なのだと感じていました。  そして本書には小説的なところもあります。小説では、私たちが絶対に知りようのない他者の内面を語ることができる。本書では、ゴッホが残した言葉を正田さんがいわば憑依するようにして広げていき、ゴッホの内側に起きていたことを読者に提示しようとしています。  さて、本書は『ゴッホの宇宙』と題されています。その「宇宙」とはいかなるものなのか、教えていただけますか。  正田 ゴッホは、大地に拠って立つ貧しい農民たちの姿を描き、次いでそこに花咲くひまわりを主題としました。そして、我々を包み込む宇宙全体を感じさせる星月夜に至ります。ゴッホの宇宙は果てしない広がりをもっている。彼には奇矯な逸話が数多く残されていますから、変わった人物に対する好奇心から作品を鑑賞する方もいらっしゃるでしょう。しかし、彼の表現した内容は、人類共通の宗教性にまで射程が及ぶ、非常に深遠なものです。彼の広い芸術世界をより深く理解するために、拙著を参考にしていただければ大変うれしいと思います。  小野 私たちは人間として宇宙に生を受け、悩み、苦しみ、不幸な時期を誰しも経験します。それはゴッホも同じで、ゴッホの絵を虚心坦懐に鑑賞することで、私たちはゴッホの中にあるそうした人類普遍の経験に触れ、私たちの中でも何かが変わる。ゴッホはそのような画家なのだということも、本書のメッセージではないでしょうか。  正田 その通りです。人間ゴッホの経験は何も特異なものではありません。誰もが、思うようにならない現実に何とか対処しながら生きています。彼の生き方は人類の典型の一つです。一人の弱い人間の見た世界が、キャンバスに表現されている。しかしそこには、我々が生きていくことへの励ましが潜んでいるのです。読者の皆さんにはじっくり絵を鑑賞し、深い芸術体験をしていただきたい。本書が人生を豊かにする一助になれば望外の喜びです。  小野 ゴッホに限らず素晴らしい芸術作品は、いのちを肯定しているのだと思います。大地のように私たちを支えてくれる力を表現している。だからこそ、私たちは苦境にある時には、芸術作品に向き合いたくなるのでしょうね。(おわり)  ★しょうだ・ともあき=尚絅学院大学准教授・美術思想。著書に『ゴッホと〈聖なるもの〉』、論文に「ゴッホの《ひまわり》――パリ編(上・下)」など。一九七七年生。  ★おの・まさつぐ=作家・早稲田大学教授・仏文学・比較文学。著書に『九年前の祈り』『あわいに開かれて』など。一九七〇年生。

書籍

書籍名 ゴッホの宇宙
ISBN13 9784764274969
ISBN10 4764274965