ルーベンです、私はどこで生きればよいのでしょうか?
小田川 綾音著
木村 友祐
日本における難民の存在を知り、その不安定な立場のことを考えてきて、かれこれ十年以上たつ。難民と認められないために在留資格もなく、かといって迫害のリスクがある母国に帰国もできない人々が困難に陥っている現実を知るほどに、〝お前はここで暮らしてもよい/悪い〟と国家が決める「在留資格」とは何だろうとよく思うようになった。また、どこで生まれようが同じ人間なのに、外国から来た人間は自分たちとはちがう何かであるように思わせてしまう「国籍」とは何だろうとも。
ひとりの人間が、温かな心と体を持ってそこにいる。けれど、もしその人に「国籍」や「戸籍」や「在留資格」といった登録がなければ、まるで人権も尊厳もないかのように仕事と家を得られず、途端にこの社会で生きていくのが困難になる。それは、我々が自明のものとしている近代国家というシステムの破れ目ではないのか。
本書の主人公、グルジア(現在の呼称はジョージア)生まれでアルメニア人であるトロシアン・ルーベンさんは、まさにそうしたシステムの理不尽を体現するかのような過酷な人生を強いられてきた。旧ソ連に属していたグルジアの独立およびソ連解体にともなう政治の混乱の中で、グルジア民族至上主義が勢いづき、もともとあった少数派のアルメニア人に対する差別や迫害があからさまになっていく。ここではもう命さえ危険であると絶望し、国を脱出して父や姉のようにロシア国籍を取得しようとした。だが、どこにいても差別から逃れられないアルメニア人が目立つことを恐れたのか、父も姉も手助けをしてくれなかった。ルーベンさんの身分証は旧ソ連時代の国内移動旅券で、もはや通用しない。そこから無国籍状態の長い流浪がはじまるのだが、ルーベンさんの困難は、国籍以前に民族の問題からはじまっていたともいえる。
難民として受け入れてもらうべく欧州十二か国を訪ねるものの、すべてかなわなかった。難民条約の加盟国である日本に望みをかけて来日し、難民申請をするのだが、ここでも不認定となる。しかも、退去強制の送還先が絶対に帰りたくないグルジアに決まってしまった。異議申立ても棄却され、窮地に立たされたルーベンさんは、難民と無国籍の問題に取り組んできた本書の著者である小田川弁護士と出会い、国の判断の妥当性を裁判で訴えていく。
本書の前半ではルーベンさんが陥った境遇がくわしく語られる。よくぞここまで記憶を掘り起こしたと思うが、これは、ルーベンさんを懸命に支えた小田川氏との信頼関係と、過去の傷にふれることに配慮した丁寧な聞き取りによって可能になったものだ。
後半では、困窮するルーベンさんの生活を支えた難民支援協会のことや、難民不認定処分の取消などを求めた裁判の成り行きが臨場感とともに伝えられる。傍聴席で聴いているだけではわからない裁判進行の内実も伝えていて、大変興味深く、貴重な記録だった。
ルーベンさんのように制度の隙間に落ちてしまった人間を、法はどう扱うべきなのか? 一審ではルーベンさんの主張に耳を傾けた形跡もなく敗訴となる。二審ではどうなるのか。緊迫した展開と驚くべき判決内容はぜひ読んでほしいが、言葉で編まれた法をどう用いるのか、裁判官によって全く異なることに啞然とするだろう。法の上にあぐらをかくのか。法の隙間に落ちた人間の事情をしかと見るのか。難民を難民と認めない入管行政の問題の根深さはもとより、国の判断には踏み込まない〝司法消極主義〟の傾向があるという裁判所の構造自体も変革する必要があると思われてならない。
ルーベンさんがグルジアを出てから日本に来るまでの移動距離を測ると、地球半周以上にもなるという。まるでそれは、各国の法から見捨てられても、自分はここにいるのだという叫びの移動にも思えてくる。国籍や戸籍や在留資格といった「法」、あるいは「民族」以前に、そこに「人」がいる。本書の小田川氏ら弁護士や支援団体の奮闘から学ぶのは、たとえ今後どれだけ排外的な空気が社会に満ちたとしても、人を人として、いたわるべき命として見ることの大切さは微塵も変わらないということだ。(きむら・ゆうすけ=小説家)
★おだがわ・あやね=弁護士。日本弁護士連合会人権擁護委員会 難民国籍特別部会 副部会長。共編著に『二重国籍と日本』など。一九八一年生。
書籍
書籍名 | ルーベンです、私はどこで生きればよいのでしょうか? |
ISBN13 | 9784888667036 |
ISBN10 | 4888667039 |