大軍都東京
黒田 涼著
井上 理津子
今年は戦後80年だ。そのことはさまざまに報道されているから、誰だって自覚している。でも、先日仲間内で話していて、一人が「じゃあ明治維新からは何年?」と言い、誰も即答できなかった。
157年=約160年だ。ということは、「明治維新から敗戦まで」と「敗戦から今まで」が、ほぼ同じ時間軸ということになる。帝国主義の時代が約80年続いた後、ようやく民主主義の時代がやってきて、同じ年数が経ったわけだ。もっと言えば、80年前まで、約80年にわたって軍隊というものがあり、幅を利かせていたのだな――と、ぼんやりと考えていたときに本書に出会った。
タイトルに誇張はない。東京は戦前、軍の施設等が密集する「大軍都」だった。戦後、軍用地のほとんどは住宅、公園、学校、病院などに転用され、「どこに何がなぜあったか」が塞がれた。しかし本書は、目を凝らすと今も先の時代が「見える」と伝える。
著者は「江戸歩き案内人」の肩書きを持つ作家である。本書は、石碑一つからボリュームのある建物まで、現在残っている軍の遺跡にくまなく足を運んで記した〝ルポガイド(私が思いついた造語)〟だ。
皇居周辺と築地地区の章から始まる。「九段坂を登ると『元帥陸軍大将大山巌公像』があります」「北の丸公園には戦時中は天皇を守る拠点、近衛師団司令部があり、近衛歩兵第一連隊、第二連隊の駐屯地でした」などとモニュメントや場所の紹介が乾いたタッチで続くが、やがて随所に著者のさえわたる解読がはさまれる。これまで疑問に思っていたことが一気に解けるのは、私だけではないと思う。
丸の内エリアが「三菱村」なのはなぜか。維新後、陸軍の実戦部隊が集められた地だったが、明治20年代に対外進出を狙うため多額の資金が必要となった軍が、丸の内等の土地を売却して移転を計画する。どうにも買い手が現れない。大蔵大臣・松方正義が、娘婿だった当時の三菱総帥、岩崎弥之助に「政府を救うと思って」と頼み込む。岩崎は当時の東京市予算の3倍額で一帯10万坪を購入し、話題をさらった。これによって軍や政府に恩を売った三菱の立場が強くなったと著者は書く。
現在の皇居東御苑は近衛工兵作業場だった。今、芝生の上に「午砲台跡」と書かれた石碑があるのは、そこで近衛兵が正午の時報の空砲を撃ったからだ。恐ろしい音を轟かせたに違いないが、これが午後は休みを意味する「半ドン」の語源だという。
「木の伐採の是非」の視点から取り沙汰されている神宮外苑は、明治政府が住民を立ち退かせて広大な「青山練兵場」を設けたところ。日露戦争後、ここを会場に「日本大博覧会」開催が決まり、練兵場を代々木に移転させた。けれども財政難で博覧会が取りやめになってしまったため、明治天皇の遺徳を偲ぶ公園がつくられる。ところが、戦後になって大部分が宗教法人明治神宮の所有に変更されたという、妙な経緯があったとは――。
他にも、玉音放送を阻止しようとした将校の反乱「宮城事件」が起きた旧近衛師団司令部庁舎(千代田区)、射撃場の痕跡が残り「箱根山 陸軍戸山学校跡」の碑が建つ戸山公園(新宿区)、東京裁判が開かれた市ヶ谷記念館内の大講堂と「大本営地下壕跡」(新宿区・防衛省内=内部の見学も可)といった、私など「読んだからには見に行ってみたい」と思ってしまう箇所が多々ある。
「土地の由来を知ることは、その土地のこれからへの思いに影響を与えずにはいられない」とあとがきにある。本書に登場する戦争遺跡が発する土地の記憶は、この先80年後も大事にされて残るか、おざなりに残るか、あるいは消えていくのか、そんなことを思いながらページをめくり、ほろ苦い読後感を覚えた。(いのうえ・りつこ=ノンフィクションライター)
★くろだ・りょう=作家・江戸歩き案内人。著書に『江戸の大名屋敷を歩く』『日本百城下町』など。
書籍
書籍名 | 大軍都東京 |