対談=末永蒼生×細谷修平
<反万博の渦の中で見通したこと>
加藤好弘著、細谷修平編『反万博の思想 加藤好弘著作集』(河出書房新社)刊行を機に
戦後前衛芸術・アングラ界の最重要グループ〈ゼロ次元〉の全貌に迫る加藤好弘著、細谷修平編『反万博の思想 加藤好弘著作集』(河出書房新社)刊行を機に、色彩心理研究家の末永蒼生氏と、本書編者で美術・メディア研究者の細谷修平氏に対談いただいた。(構成=細谷修平)(編集部)
細谷 5月の末に『反万博の思想 加藤好弘著作集』を刊行しました。1960年代70年代に活動した前衛芸術集団〈ゼロ次元〉は、近年、国内外での再評価が進んでいます。〝儀式〟と呼ばれた独自のパフォーマンスへの関心が高まっているわけですが、中心メンバーであった加藤好弘さんの思想的展開を含んだ膨大な量の文章は、ほとんど顧みられてきませんでした。まずはこれらの文章を一冊に編み、手に取れるようにすることが今回の一つの課題でした。また、こうした文章を提示するにあたっては、その歴史を振り返るとともに、ゼロ次元・加藤好弘の思想、ひいては60年代のアンダーグラウンド文化、前衛芸術の思想的な可能性を今日において捉え直していくことがテーマとしてありました。
本書では、〈ゼロ次元〉の活動が展開された1963年―1969年(1―4章)、〈万博破壊共闘派〉を組織した1969年―1970年(5―7章)、新たな解放の思想が展開される1970―1976年(8―12章)を3部で構成し、さらに第4部には同時代の作家たちとの座談やインタビュー、随想を編んで、最後に晩年のアジテーションを組んでいます(13―14章)。各部ごとに当時の記録写真やチラシ、ポスターのイメージも多数掲載していますので、同時代の感覚を多様に摑むことができることと思います。
末永 この加藤好弘の本のエッセンスは、やっぱり最後のアジテーションのところにありますね。というのは、そこに至るまでに60年代の儀式という名のパフォーマンス、そして、前衛芸術やアングラがあったんだけど、これらは全部、彼が最後にここで言い残していることに至るまでのプロセスだったと思ったんです。最終章に彼のアジテーションがちゃんとある。この本はアートの枠組みさえ超えた当時の激しさを伝えるという意味でよくできていると感じます。年齢や時代を超えて読者に響くものがあると思った。60年代の振り返りだけになってしまっては、パフォーマンスの意味や概念は、今の人には伝わらない気がします。なんでそれが解放なの?ということになってしまうから。僕自身が〈告陰〉として〈ゼロ次元〉とともにやってきたことも、やっぱりすべてプロセスだったという気がするんです。それで、この晩年のアジテーションを読んでみると、人間が概念でものを見てしまう認識の限界から、加藤好弘は抜けようとしていた。アジアンタリズムやインドへの視点とか、それらは西洋近代に対するアンチとして必要だったこと、それから歴史をさかのぼることの必要を彼は強調していますよね。けれど、これはきわどいところで、そのように対抗概念として出してしまうと、やはり一つの概念として固まってしまうと思うんです。しかし、彼は最後にやっぱりもう東洋も西洋もないんだというところにいって、最終的には〝自分〟に立ち返ること以外にないということを言った。それが、彼が最後に到達した究極地点だったと思うのね。それまで60年代にいろいろなパフォーマンスやったし、実験をやったんだけど、それはプロセスだったんだと思っています。そう考えたときにこそ、加藤さんの表現や文章の価値がすごく出てくると僕は思いますね。
細谷 その加藤さんの文章を改めて読んでいただいたわけですが、60年代を通して〈ゼロ次元〉や〈クロハタ〉といったグループと活動をともにした末永さんとしてはいかがでしょうか。
末永 文章に関して言うと、細谷さんが解説でも書いているように、これは加藤さんが書いた物語なんだよ。もっと言うと小説と言ってもいいわけ。物語、それからシナリオでもあるわけで、彼の中には行為するしない以前に独自の物語があって、それが文章で表現されている。これをシナリオとして、彼はパフォーマンスをやっていった。
細谷 今回、改めて文章を精読してみて、最初に浮かんだのが「物語り」でした。細かいですが、「物語」だと「書かれたもの」を示すニュアンスがあると思いますが、加藤さんの場合は語るようにことばを連ねているので「物語り」ですね。その意味で、加藤さんの独自の文章表現は、読者が加藤さんとの対話を通して彼と再会することにもなりうるだろうと思いました。一方で、第4章の「ゼロ次元儀式正論物語」は特に加藤さんによる儀式の詳細な再演にもなっており、その文章表現からなるパフォーマンスの拡張性を改めて発見することができます。
末永 60年代という時代状況との共鳴現象があったとも思いますが、じゃあ、それまでの物語や小説とか、そういったものとどう違うのかということが問題じゃないでしょうか。僕なりの感覚で言うと、使われていることばが極めて無意識的であり、深層心理に根ざしていると思います。そういう深層から直接語り出されるようなことばをみんなが語ろうとしたのが60年代だったと思います。加藤さんの場合は、たくさんの物語をつくり、その物語が展開できうる舞台として効果的な場所を選んでいった。そういう意味では型破りな〝劇場〟を生み出していった。寺山修司や唐十郎もやっていたけれども、いくら外に出ようが、「演劇」という装置に囲われていた。そういった装置もなにもないところというか、加藤好弘はそれを全く無視したところで、自身のシナリオで描かれた世界を飛び出して、そのまま表現として浮上させていった。だから、本当の意味で見る人と表現する人がセッションできたんだよね。
細谷 1968年という1年間に、ものすごい回数の儀式をやっています。〈ゼロ次元〉も〈告陰〉も街頭に出続けている。〈ゼロ次元〉と〈告陰〉の相通じるところ、異なるところはどこにあったと思いますか。
末永 僕が〈告陰〉というグループ名を考えたのは、文字通りであって、光と陰、その陰の部分からの表現ということですね。だからさっきの文脈でいうと、〈ゼロ次元〉もそうだし、〈クロハタ〉もそうなんだけれども、〝無意識の言語〟としてのパフォーマンスをやっていたと思う。 まさしく加藤さんの文章は、無意識の言語を膨大な量で書いているわけだよね。だから独特のどこにいくかわからないようなこの文章というのは、カオスの世界からきている。僕らはあの時代に〝無意識の言語〟から語ろうとしたわけで、その面白さがあったと思うんです。それがアングラ・アートの意味であり表現だったとも思います。無意識の言語をどうやって外に出すかとなると、やはり身体表現へと向かっていった。既成の画壇とか美術の世界とか、すべてが商品として評価されていく矮小化された業界のヒエラルキーに準じたようなことをアートはやって、飼い慣らされていた。それでは無意識的な言語表現なんかできっこないわけでしょう。
ただ当時、儀式や反万博の方向性を共有しながらも、それぞれのグループは極めて個性的だった。例えば〈ゼロ次元〉と〈告陰〉の違いでいうと、やはりそこには戦争体験があると思う。加藤好弘は日本の軍国主義的な時代状態の中で育っているから、儀式でもそういう雰囲気の衣装をつくったり、ゲートルを巻いたりしましたね。非常にシンボリックな表現をしているわけだけれども、それは戦争中に日本全体が無意識の悪夢の中に入っていって、負の集合無意識というか、破壊の集合無意識というか、死の集合無意識というか。それが加藤さんや〈クロハタ〉の松江カクさんたちの世代には染み込んでいたと思います。
細谷 その時代を生きて、なおかつその時代と正面から向き合ったということですね。
パフォーマンス表現におけるコミュニケーションとディスコミュニケーションというテーマは大きいですね。自分たちの表現を最優先にした表現行為以前に、街頭に出ていくこと、さらには街頭にいる市井の人びととどう出会うか。ある意味でこれは〝直接行動〟の展開とも言えるでしょう。
末永 そこは大きなポイントですね。ハプニングというのは即興性だったり、予測不可能なことが起きるということであって、予測できうる調和性ではないということは、言語が追いつかないんだよね。その言語が追いつかない瞬間に、人間は言語を超えた何かを一瞬感じ取ることができる。生きていることを感じられることなのかもしれない。
細谷 芸術にしても社会現象にしてもそれが解釈されたり、意味づけられることによって、大衆は安心して落ち着くわけですよね。そうなると、それが消費へと回収され、70年の大阪万博に着地するという。このあたりの危機感や儀式の可能性については、第5章の岩田信市さんとの対話の中で、インターメディアへの批判的考察とともに見出すことができます。1969年に〈万博破壊共闘派〉が結成されますが、結成する背景について改めてお聞きしたいです。
末永 それまでは、アートという回路を一つの出口にして活動していた。いかにアヴァンギャルドというか、ラディカルな表現をできるのかという探求をしていた。でもそれだけでは、自分に対しても社会に対してもいま一つ届かない部分というのがあったんです。僕は割と早い時から反戦集会やデモに顔を出していたんだけれども、学生運動とか反戦運動とかをみていると、アーティストがアヴァンギャルドをやるよりも、街に出てみれば、もっと大きなうねりとしてすごいことが起きているじゃないかと思った。あれは本当にアヴァンギャルドだよねと加藤さんとも話しました。美術界とかじゃなくて、もう社会規模で起きているというね。それこそが表現し、想像していく人間にとっては一番大事なところなんですよ。アートなんて言ってる場合じゃないっていう。1970年は安保条約が身近に迫っていて、これは僕の解釈だけれども、国家事業としての万博は、安保条約に目を向けさせないためのものとしてあった。お祭り騒ぎを万博でやろうっていうのは、国としては好都合だったと思うんですよ。そのことを直感した時、文化芸術の世界から這い出してきた自分たちは、これはもう万博とは何かを徹底して問いかけようということになった。反戦運動や学生運動のアヴァンギャルドと同じレベルでやるなら、万博がテーマだというのを加藤さんと話しました。このことはそれまでのアートのあり方への問いかけでもあったけれども、同時に自分たちの出自である芸術を乗り越える自己への問いかけそのものだという意味を含んでいた。
68年に〈告陰〉や〈ゼロ次元〉、秋山祐徳太子さんらでやった新宿での「ブラック・フェスティバル」のときは、世界的なベトナム反戦のうねりがあり、それぞれの国の中、社会の中で、抑えられてたことばにならない違和感、社会に対する違和感というものがふつふつと湧き上がって、日常に切れ目が生じた。だから新宿だけでなく、世界中で起きたことですが、僕たちは10月20日に「ブラック・フェスティバル」で新宿のど真ん中で切れ目を入れ、翌10月21日は学生たちが国際反戦デーの新宿駅周辺で切れ目を入れた。日常に寝ぼけていた自己が目覚めようとする意識がおたがいにぴったりと合ったわけです。そういう意味で僕が68年に制作した『幻のブラックフェスティバル新宿番外地編』と『10月21日 夜 新宿』の2本の映画作品は、二面マルチでの上映スタイルをとっているわけです。
細谷 70年万博は、マス・メディアと国家、資本の連携から徹底して大衆への動員がかけられました。そこにこそ管理装置としての万博がみえてくるわけで、末永さんや加藤さんたちは〈万博破壊共闘派〉としてその虚像へと対峙していく。第6章では、万博破壊活動のプロセスによって、加藤好弘の管理システム批判の思想的展開が高まるとともに、既存の「芸術」を超えていく流動的なアートの質感を捉えることができます。
末永 万博が仕掛けてきたことというのは、70年安保以上に大きな問題だったと思う。70年安保は、日米軍事同盟という条約で政治や軍事といったレベルじゃないですか。万博は科学技術の進歩と調和の世界をつくっていこうという、一見すると、ユートピア的なことを喧伝するわけだけれども、それはむしろ70年安保の時代だけじゃなくて、その後の21世紀の今にいたる状況を決定づけた。AIに至るまでIT産業を高めていって、さらに人間を労働ロボットとして使っていく。その果てにはもうそれも必要なくなるので、どんどん人を解雇していくというね。そういった射程距離を含んでのことが、本当はあの万博にはあったと思うんですよ。人間全体を統制していくためのシステム、それに必要なプランがあそこから生まれていったという意味でね。ユートピアのふりをしたディストピア。そこにみんなを誘い込んでいったのが、あの万博会場の風景だった。僕にはそんな風に見える。
細谷 万博の後には国鉄が電通と組み、「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを打って、ふるさと探訪を掲げていきます。虚構としての「ふるさと」にキャンペーンを買って行ってみようという。自分たちの力で率先してフィールドに出るというのではない、新たな資本主義への動員ですね。そうして、主体性はどんどん欠落していった。
末永 考えると国鉄の民営化が始まりです。国が国民のために必要な計画を立てるんじゃなくて、そういったシステムを全部企業に売り渡す民営化。儲けのためには何をやってもいいということだよね。その後には郵政民営化もありましたね。国民が一生懸命貯めたお金に海外から手を突っ込ませて、さあ勝手に使っていいよというね。弱肉強食のグローバル経済をつくりだして、そこで落ちこぼれた人間には「自己責任」というムチが打たれた。
細谷 今回の大阪・関西万博でもグローバリゼーションの行き先として、ジェントリフィケーションを推し進めました。そして、万博は広告代理店とイベント業者のためのメガイベントに成り果てた。
末永 70年万博は一つの分岐点。僕たちはそれに対してエロスというものをメッセージとして打ち出していきました。エロス表現は細谷さんも解説で書いているように、あの時代の重要な表現なのだけれども、やっぱりあの時代の限界もあったんだと思います。エロスと言うんだったら、やっぱり身体と精神というのをわけて考えることではなくて、その境界線を超えることですね。でも身体感覚でしか抵抗できなかったっていうことは、やっぱりあの時代の中での僕たちの認識の限界だった。ことばによるカテゴライズから逃れられないあがきだったかなっていう気がする。だからこそ、ことばによる刷り込みに気づいたわけだけどね。
細谷 それはわかります。どうしても前提として男性性と女性性という枠組みに収まってしまった。しかし、〈共闘派〉がエロスを身体表現として闘ったのは、アートとしても思想としても、とても重要なところだと思っています。反万博の後、加藤好弘が監督した映画『いなばの白うさぎ』は、性器に執着するポルノではなく、生そのものの歓びであるエロスの解放が映像表現として提示されており、そこに込められた加藤さんの神話考を第9章でまとめて読むことができます。またここでは、加藤好弘の制作にとどまらず、『いなばの白うさぎ』やパフォーマンスにおける、女性たちの自立した表現があったことを捉えていかなければならないでしょう。
〈共闘派〉は、名古屋や九州、京都にも行って、加藤さんの「万博破壊活動宣言」は、更新されていきますね。
末永 九州では、〈集団蜘蛛〉や〈九州派〉の桜井孝身さんらも合流しましたね。地域によって、新しいことをやろうとしてる人たちがいたんだけども、その地域によってやっぱりちょっとずつ色合いが違うわけだよね。そうするとハプニングだから、ある程度のシナリオがあっても、生きた人間だから雰囲気的に違いが出ていました。集まった人によって、場が変わるというか。その面白さがあったわけ。多様なことが地域ごとで起きているのを僕たちは見ているわけですね。そうすると、加藤さんはそこでまた新しい物語を書きたくなるんだと思う。彼はそういうのがすごく好きだったし、本人も面白かったと思います。
細谷 京都・大阪方面だと、〈ザ・プレイ〉の三喜徹雄さんや水上旬さんがいますね。それから、万博・反万博の両方に行ったヨシダミノルさん。
末永 いろいろな新しい表現が出てきた時代ですからね。だからそれを商品として、あるいは新しいアートとして回収されていくことに対して、徹底的にNOを突き出したのが〈共闘派〉だった。それから、「万博粉砕ブラック・フェスティバル」の一環で、京大全共闘と合流し、京大のバルコニーで裸のパフォーマンスをやりました。その写真が『アサヒグラフ』にカラーで大きく出た。そのあたりでもう自民党が警戒したらしいという情報を後から伝え聞きました。
〈共闘派〉の逮捕事件をどう捉えるかというのは、時代の流れや社会構造とかいろんな問題を深く総合的に捉え直さないと、意味がわからないと思うよ。マス・メディアもただのスキャンダルという枠組みで報道したし。なんであそこまでやるの?っていうのは本当にわかってた人はいないと思う。わかっていたのは加藤さんと僕を含めた当事者たち。社会システムや権力の正体をやっぱりそこでちゃんと見ましたね。
細谷 万博が一つのレールをつくることに真っ向から対峙したわけですからね。その後の情報資本主義のプランとそのディストピアを〈共闘派〉は肌で感じることになった。
末永 逮捕された後、支援活動には詩人で美術評論家の瀧口修造さんも関わってくれました。僕たちが逮捕されてすぐにカンパをしてくれた。だけども、彼が言ってきたのは、「〈万博破壊共闘派〉がやっていることが芸術かどうかは僕にはわからない。だけど、ここはやっぱりカンパします」ということだった。言い得て妙だけど、「芸術かどうかはわからないけれど」っていうところに彼の立ち位置がわかる。つまり芸術かどうかが大事なわけだよ。芸術の視点から見てどうだということを言っているわけ。しかし、僕たちからすれば芸術という視点、いわば〝芸術神話〟があることが、生そのものを体現する芸術を疎外しているのではないかという問題意識があった。
細谷 だからその逮捕をきっかけにアートとは何なのか。それから万博とは何なのかという。加藤さん自身も第7章にまとめたように、より具体的に万博問題の本質を文章の展開によって捉えようとしており、この後の世界を予見させるようにメディア社会の制度的な問題点を鋭く突いています。
末永 そうそう、それが大きな問題ですよね。芸術であれ技術であれ、制度化された文化になってるわけだから。だから、芸術運動を僕たちは議論してるんじゃなくて、その背後の制度の問題、その中で人間の表現が窒息してしまう、それを「芸術」と称していることが根本的に問題だよねっていう投げかけをしてるわけですよ。だから全然違った。
細谷 根本的に考えようとしていることが違ったことが、それでよくわかったわけですね。逮捕事件の後は、学生運動の動きとは決裂していきますね。それぞれが運動であっても、学生たちが向かう道と〈共闘派〉は分岐してしまう。
末永 70年を前後して、内ゲバなどで新左翼がわかれていってさ。要するに彼らにとっては、安保に対してもっときちっと闘っていかなきゃいけないということがあった。だから、僕たちみたいな祝祭的にやっていく方法論がわかんないわけで、何をふざけているんだみたいな(笑)。新左翼のほうは、みんな体張ってゲバ棒持ってやっているのにと言っていた。
細谷 こっちだって体張ってるのにね(笑)。
末永 体の張り方が違うんだよって(笑)。それは渋谷の山手教会で開催されたハンパク集会の場でもすごい激論だった。〈共闘派〉にもいろんな人がいたから、いつも同じことを考えてるわけじゃなかったんだけれども、僕とか加藤さんの中には、こういう押し迫って切羽詰まったような状態で集会とかやってても、どっかにこれはやっぱり社会全体あるいは現代文明によって、ここまで人間のエロスや生命が押しつぶされていっているという意識があった。そして、その結果、いろんな問題が社会に起きていて、その一つとして万博もあるという。だから、そこに対して対峙しているわけであって、単なる権力闘争が目的じゃないわけです。その感性のズレがあったと思うんで、向こうは向こうで苛立つわけだし、こっちは表現している意味が違うっていうことだから。加藤さんも書いているように、権力自体、あるいはその社会の価値観自体が、虚像であって、それといくらこう対峙したところで、権力システムの思うつぼじゃないかと。もっと根本のところ、その虚像によって疎外されている〝生きる〟ってこと。生きることそのものが大事っていうか、それを生きようとしてるわけであって、その認識のズレっていうのはなかなか埋められない。やっぱり反戦運動とかカウンターカルチャーとかになっちゃうと、もう完全に統治の罠にはめられちゃっているからさ。支配―被支配の関係というのはそうやってエネルギーを得ていくんだよね。
細谷 社会のレイヤーやメディアの状況は複雑になっていますが、だからこそ根本的なアートの解放を身体と精神の両方から実践していくことが問われているのではないでしょうか。ここ数年、ソーシャリー・エンゲイジド・アートが日本でも謳われていますが、それらとは一線を画するラディカルなアートの解放を試行していく一つのきっかけに、この本が活用されていけばと思います。
末永 力だよね、内側から解放する力。要するに破壊とか変革っていうとさ、当然その対象を想定しているわけじゃない。体制を変えたいというように。相手を対象化したときに、まさに加藤さんのことばで言うと、虚像の中に引きずり込まれちゃうんだよ。虚像に向かっているだけだから。内側から解放していくというか、解きほぐしていくみたいなね、それが僕はアートだと思うんですよ。だからアートがね、イデオロギー持っちゃダメなんだよ。文明文化、社会システムといったもの。そういった支えがないと人間は生きていけない弱い動物かもしれないけど、それゆえに、逆にそのシステムによって人間自身が疎外され不自由にもなっていく。そこで解放したいものは何なのかっていうと、もう本当に単純なことばになっちゃうけど、 唯一無二の生きてるっていうことなんだよね。でも、そういう人間の唯一無二が全部押しつぶされて、みんな生き苦しくなっているわけじゃない。だから、その唯一無二の何か、それはもう名付けようのないって言った方が正しいと思うんだけど、唯一の何かこう生きてるもの。それは自分の中にあるわけだから、それをどうやってもう一回再生して生きるかということ以外に、この現代文明が人間を生きさせつつ同時に殺し続けることに対峙することはできないと僕は思うんだよ。加藤好弘も近いことを言っていますね。
細谷 言ってますね。非常に励まされる。加藤さんや末永さんたちが万博に対峙した思想、あるいはその結果に生まれた、社会構造への気づきや現代文明の批判は第11章にあるように、大きなうねりを起こしたと思います。70年万博から55年経ってるわけですが、アートを軸とした新たなる思想として、今日において検討されるべき課題と言えるでしょうね。特に「クレージー革命論」は自己存在の奪還についてを徹底して論じています。
末永 だからもう最後は究極その個としての自分。唯一無二だから、個としての自分なわけじゃない。もう一歩進んで言えば、その個という概念すら本当は必要ないと思っています。その名付けようのない何か、生きている何かを生きるしかない。どうしてかというと、社会システムのほうは、その名付けようのないところで生きられると社会が成り立たないので、これだけ個人情報を含めて完全に管理しようという仕組みをつくってるんだよ。
細谷 解放に向かうためには自分でやるしかないんですよ。最終的には自分自身でやるしかない。
末永 そうですね。何かに頼って、何かを力にしてやろうとすると、必ずそれがまた自分を取り込んでしまう仕組みだったりするから。だからこそ名付けようのない何かを生きるっていう、それしかないような気がする。外からラベリングされたら最後だよ(笑) 。
この意識は加藤好弘も僕も共通に持っていて、それも反万博の動きの渦の中で見通したことだったはずです。逮捕事件の69年を超え、70年以降にはそれぞれのアプローチで不可視の世界へと向かったと思う。加藤さんは夢タントラの研究を開始し、インドへの旅の影響もあったのだろうけれど、見える世界と見えない世界の狭間で現象を捉えアジテーションをしていった気がする。一方、僕は以前から取り組んでいたアートセラピーによるアプローチでノンバーバルコミュニケーションを実践し始めた。そんな場に加藤さんも顔を出してくれたこともありました。また、「子どものアトリエ」では、エンカウンターグループのような場を提供してきました。始まりも終わりもない螺旋状に循環していく自由アトリエです。加藤さんも僕も、個が分断させられている〝ハリボテの現実〟を超えた〝関係性の世界〟へと目を開くということをやっていたように思える。
それこそが〈万博破壊共闘派〉のアングラ祝祭がもたらした覚醒だったのではないでしょうか。(おわり)
書籍
書籍名 | 反万博の思想 加藤好弘著作集 |
ISBN13 | 9784309257983 |
ISBN10 | 4309257984 |