2025/07/25号 8面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 72 丘山新(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第72回 丘山新(一九四八―二〇二二)  東大在職の最後の十数年、わたしはUTCP(共生のための国際哲学研究センター)の拠点リーダーとして海外の哲学研究者との研究交流に身を捧げたのだったが、それだけではなく、センターの活動として国内あるいは学内の研究者たちとの対話的な研究集会を企画実行することも多くあった。大学という場であっても、実際は、それぞれの専門を超えた異分野間クロスオーヴァーはなかなか起こらない。だが、この時代の「知」にとって「人類」の文化全体を見通す新しい地平を開くことは喫緊の課題である。その第一歩として、研究という専門性をあえて踏み越えて、まずは、宗教というものの本質に問いかけなければならないとわたしは考えた。だから学内外の研究者たちを招いていくつもの対話の場を設けた。(いまになって、それこそがわたしが東大教授として行ったもっとも激しい「知」の冒険だったと思いますがね……そう、激しくなければ「知」じゃないんです……)。  その激しい現場からここで二つばかり「一瞬」を思い出しておくとすれば、まずは、同じ東大でも本郷キャンパス・東洋文化研究所の教授だった丘山さんのこと。なにしろ、わたしに向かって「あなたの魂を見て、それと出会えたことを喜ぶ」と言ってくれた世界で唯一の人。だが、同時に、「まずは、あなたの佛教理解がどのようなものであるかを言え」と、にこやかに微笑みながら、厳しく問いただしてきた人なのだから。  この不意撃ちには、決死の覚悟で答えないわけにはいかない。わたしは即座に、われわれの根源的な存在は、あらゆる人間的な論理が前提とする「自己」と「他者」の区別そのものの「彼岸」にあり、その「根源的共生」を論理を超えて理解し感覚することこそが佛教の本質、その「覚」なのだ、と応えた。  そしてさらに、この対話について後に書いたテクストでは、「魂」とはなによりも「誓い」・「願い」・「祈り」であって、しかもそれはいかなる内容もない「無の誓い」・「無の願い」・「無の祈り」なのだと書きつけて、「自他を超えて、時間を超えて、無・区別、無・関係、そのようなものとしてあったかもしれないわたしの〈魂〉を看取してくださった丘山さんに感謝します」と結んだのだった(拙著『歴史のディコンストラクション』所収、未來社)。  丘山さんは東大退職の翌年に浄土真宗本願寺派で得度なさり、本願寺派の総合研究所の所長になった。そして、驚くことに、二〇二一年コロナ禍の真っ只中で開かれた第十回宗門教学会議に、わたしを講師として呼んでくださった。  当日、僧衣をまとった高僧たちを前にして、(なんという傲慢と思われたかもしれないが)わたしは、いまの時代、誰も親鸞さんほど絶望していないのではないか?と問いかけつつ、だからこそ、ただ「名号」を唱えるだけで満足するのではなく、まさに阿弥陀如来にその「存在」、その「光の存在」を与え返すべきなのではないか、と挑発してみた。  当然、それは「浄土真宗」などという歴史的枠組みを大きく超えるはずだ。その「存在」は「無量光、地球、宇宙的存在、地球のかなた、地球という地平線のかなたから、山越えして訪れてくれる存在、その広大無辺な慈悲の光なのだ」とわたしは言った(この記録は、本願寺派の『宗報』(第653号・655号)に掲載されている)。  その時はあんなにお元気そうだったのに、数ヶ月後の春、丘山さんは突然、その「光の存在」へ、「彼岸」へと旅立ってしまわれた。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)