2025/06/20号 5面

美は傷

美は傷 エカ・クルニアワン著 藤林 道夫  話題のインドネシア文学、五百ページ超えの分量を遥かに上まわる熱量をもって展開する幻想世界。文句なしの力作である。  インドネシアといえば千七百の島嶼からなり、二億七千万という世界で四番目の人口を有するイスラム圏最大の国、作品の舞台は首都ジャカルタのあるジャワ島に設定された架空の港町ハリムンダ。  本書の構成は、とても一筋縄ではいかないが、一応デウィ・アユという女性に始まる一族三代の物語という体裁をとっているので、この国の歴史についても触れておきたい。  東インドと呼ばれたこの地に香料を求めてヨーロッパ人がやってきたのは一六世紀。なかでも東南アジア島嶼部に植民地支配を広げたのはオランダであった。地元民のオランダへの抵抗が激しくなるのは二十世紀初頭である。  第二次世界大戦が始まると、オランダはナチスドイツに占領される。これを機に一九四二年、この地に侵攻してくるのが日本軍である。こうして一九四五年のその敗戦まで、日本軍政下におかれることになった。  デウィ・アユは日本軍によって娼婦にされる。しかし運命を平然と受け入れ、何事にも動じないのが、彼女の斬新さ。オランダ人の血を引く美人は花形の娼婦となる。本書において美人は美人であり、それ以上の説明はいらない。怪物は怪物であって、とんでもない行為にも納得するほかはない。デウィ・アユが二十一年ぶりに墓地で甦えるという冒頭には度肝を抜かれるが、それほど大きな問題というわけでもなさそうだ。既成事実は受けいれるのが本書であり、また有無を言わさぬ、時にコミカルなテンポがそれを支えている。  日本の敗戦を機にインドネシアは共和国として独立を宣言。しかし、再びオランダが介入してくる。一九五〇年、ようやく単一のインドネシア共和国の建国をみるが、各地で騒乱は続き、一九六五年の軍事クーデターに伴う九・三〇事件と呼ばれる共産党員とその支持者に対する大虐殺については、その残虐さが今も語り継がれている。この結果、スカルノは失脚し、スハルトの独裁政権が始まった。  こうした時代背景の中で進んでいくストーリー、ことの運びが尋常でない。デウィ・アユには父親の知れない四人の娘がいる。三人は美人で、それぞれ、日本軍と戦った軍隊の小団長、共産主義者、とてつもないヤクザ者と結婚し、子も得ている。これらの結婚に至る破茶滅茶な過程を含め、婿殿三人の支離滅裂な活躍については話に乗せられていくほかない。彼らこそ本書の主役なのだろうが、それぞれのストーリーは現実と虚構が四方八方に飛び散っており、ひとつに回収される気配が見えない。本書の最大の魅力は、このひとつに収束されることを拒むエネルギーの横溢なのではなかろうか。そして、これこそ近代インドネシアの在り方と著者は理解しているのかもしれない。  美人を謳歌したはずのデウィ・アユは、四番目の娘になぜか限りなく醜い子供を望んだ。望み通り排泄物の如く生まれてきたその子はチャンティック「美」と名付けられる。対する美人に生まれ奇天烈な男たちの妻になった三姉妹とその子供たち。「美は傷」なるテーマはデウィ・アユ家を超えて人間存在そのものを問うているのだ。  本書は、ガルシア=マルケスと比されることが多いようだ。たしかにマジックリアリズムを駆使した異空間に身を委ねる醍醐味は『百年の孤独』を彷彿とさせる。しかし、われわれがラテンアメリカ文学に魅せられたのは七〇年代、日本は政治の時代から経済の時代へと移り変わっていく頃だった。文学作品というものは、もちろんそれが書かれた時代を刻印していると同時に、読まれる時代をも反映するものだ。  本書が書かれたのは二〇〇二年。刊行後すぐに翻訳を思い立たれた訳者のその後のご苦労は「訳者あとがき」に詳しい。このような形で日の目を見たことを心から喜ぶと同時に、当時巡り合っていたらどうだったろうと考えた。自由と民主主義の危機が叫ばれ、毎日苛立つ分断の現代とは異なり、激しさに対してもより繊細な理解ができたのではなかろうか、そんな思いに捉われた。(太田りべか訳)(ふじばやし・みちお=フランス文学者)  ★エカ・クルニアワン=インドネシアの作家。著書Lelaki Harimau(『虎男』)の英訳版は、ブッカー国際賞にノミネートされた。ワールド・リーダーズ賞、プリンス・クラウス賞などを受賞。一九七五年生。

書籍

書籍名 美は傷
ISBN13 9784289502271
ISBN10 428950227X