桐生市事件
小林 美穂子・小松田 健一著
水島 宏明
最後のセーフティーネットと呼ばれる生活保護。いざ生活に困窮する事態になったとき法律に定められた要件を満たす限り、困窮にいたった理由や社会的身分を問わず、無差別平等に受けることができる制度だ。住む地域や家族構成、障害の有無、年齢などに応じて細かく食費や光熱費などの支給額が決められていて毎月支給日には月額分が本人に手渡される。
ところが群馬県桐生市では一日1000円ずつしか渡さず、月3万円台での生活を余儀なくされた受給者がいた。満額支給されず割れた窓ガラスを段ボールでふさいで寒さに耐える人も……。担当する課が組織的にそうした対応をしていた。相手を恫喝して脅えさせる。精神的に追い込む。生活保護を求める人に自治体の職員らが人格を否定する言葉を投げつけ、極力申請書を書かせないで追い返す対応。それを困窮者支援の弁護士らが「水際作戦」と名付けて久しい。申請という正式な手続きを踏ませる前の〝水際〟で生活保護支給を阻止しようという役所側の〝作戦〟だ。受給した人には無理な就労指導で厳しく自立を求める。本人が辞退届を書いて自ら生活保護から離脱するようしむけるのだ。
評者はこの呼称が定着するはるか前の1980年代後半の札幌市や2000年代後半の北九州市などで生活保護行政を取材し、人々を餓死に追い込んでいた実態をテレビで報道したことがたびたびある。人を死に追いやる非道な行政の背後には、生活保護件数を少しでも減らそうと数値目標などを設置して保護減らしに邁進する自治体の姿があった。それらの悪質な例と比べても本書に記された桐生市は最悪といえるほど極端で異様だった。生活困窮者に大声で罵声を浴びせる福祉事務所。同意なく印鑑を用意して押して文書を偽造するなどありえない法律違反が数々に記録されている。その果てに命を落とした人たちまで……。その描写は読んでいて胸が痛くなる。
生活保護は憲法が保障する生存権に裏打ちされた権利だ。それをこれほどまでないがしろにする。なぜなのか。相手も自分と同じ人権をもつ人間だという視点はそこにはない。トップである市長を始め、部長、課長ら福祉部局の幹部、末端の職員にいたるまで疑問に思わない。貧困者たちへの露骨な差別意識。さらに歪んで暴走した正義感が浮かび上がる。受給者の権利を尊重しろといいつつ、保護を受ける人に厳しい審査を求める二律背反の厚労省の姿勢。桐生市では定年退職した元警察官を再雇用し、生活保護の業務にあたらせ、大声で威嚇させるなどの対応をしていた。
異様な実態は数値でも裏づけられている。高齢化の進行などで県内自治体の保護件数が増えるなかで、桐生市は逆走するように10年間で保護率を半減させた。異様な不自然さで保護が減っている。現場経験者や研究者らのグループがデータをSNS上に公表して「水際作戦」を側面からも浮かび上がらせた。
本書では交互に2つの視座が登場する。一つは、最後のよすがを生活保護に求めて福祉事務所の窓口を訪れる人たちに同行して徹底して寄り添う「支援者」小林美穂子の視座。もう一つは報道機関の一員として行政側の記者会見などを取材した新聞記者・小松田健一の視座だ。当事者の心境を思いやる小林の文章は主観的で、時に感情的でもある。一方の小松田は報道者としてできる限り客観的な描写に努める筆致だ。交互に2つの視点が繰り返されて読者も現場の様子を想像しながら読み進めることができる。なかでも支援者でありながらも人の本質を考察する小林の筆致は切れ味が抜群だ。生活保護の理念をないがしろにする行政への怒りと苦しめられ命を失った人たちへの共感がほとばしる。小林ほどこの問題にふさわしい書き手はいないだろう。小林とつきあいが深い群馬県の司法書士で早い時期から問題に向き合い、志なかばで急逝した司法書士・仲道宗弘氏へのオマージュでもある。
岩波書店で「世界」の編集長を長くやった人物が立ち上げた地平社という、生まれてまもない意欲的な出版社が世に送り出したという点も注目される。メディアの激変で出版という業態の持続可能性が危ぶまれる中で、活字ジャーナリズムの力を信じる人間として高く評価したい。(みずしま・ひろあき=元札幌テレビ・元日本テレビ記者・ディレクター)
★こばやし・みほこ=一般社団法人「つくろい東京ファンド」スタッフ。著書に『家なき人のとなりで見る社会』など。
★こまつだ・けんいち=東京新聞記者を経て現在、東京新聞事業局出版部。二〇二四年六月に「地域・民衆ジャーナリズム賞2024」受賞。
書籍
書籍名 | 桐生市事件 |