読書人を全部読む!
山本貴光
第8回 昔の書評を読んで本を買う
この頃、1950年代末の本を買う機会が増えている。というのはお察しの通り、この連載のために「週刊読書人」を1958年の創刊号から順に読み進めるなかで、「これは読みたいな」と思う本としばしば遭遇するからなのだった。いまなら「そりゃそうなるよね」と思えるものの、連載を始める前は、67年前の書評新聞を読んで当時の新刊が気になるとは考えてもみなかった。
もっとも、普段そういう機会がまったくないわけではない。作家や批評家の文章に出てくる古い本が気になって手にするのは日常茶飯事と言ってもよい。ただ、「読書人」のバックナンバーを読んでいると、それに留まらないなにかがあるような気がしている。その書評だけを受け取るというよりは、当時の時代や社会の空気を共有しているような心持ちになって、そうした事柄への関心も本を手にとる後押しになるのだろうと想像している。
例えば、1958年5月26日号2面では、佐藤朔(慶應義塾大学教授・フランス文学専攻/1905-1996/53)がアルジェリア問題を論じているのが目に入る。1958年といえば、フランス植民地のアルジェリアで民族解放戦線(FLN)が武装蜂起してから4年目に入り、依然として独立戦争が続いている状況だ。そして、このあと9月にはアルジェリア共和国臨時政府が樹立され、1962年にはフランスとの戦争が停戦に至り、独立を勝ち得ることになるのを、この新聞の時点からすれば未来人の私たちは知っている。しかし、この記事を含む紙面を読むあいだは、これから先どうなるか分からない状況で文章を綴っている著者と同じ気分を味わうわけである。
佐藤朔は、この評論の後半で作家のモーリアックやサルトルが、新聞・雑誌に時事問題批評やフランス政府批判を書き、掲載媒体が発禁・押収される現状を批判した上で、「アルジェリアで拷問による非人間化が行われていることは衆知の事実である。その資料となっているアレッグの『尋問』(みすず書房)が、当初発禁にならずサルトルの紹介文が掲載された新聞が発禁となった」と、参照源となった本に触れている。
同じ号の別の面にみすず書房の広告があり、アンリ・アレッグ『尋問』(J・P・サルトル解説、長谷川四郎訳)が大きく出ている。広告には「著者について」「本書の反響と評価」といった背景に加えて、武田泰淳、野上弥生子、エコノミスト誌の寸評も併載されている。著者のアレッグがアルジェリアの日刊紙編集長であり、フランス落下傘部隊に故なく逮捕され、1ヶ月ものあいだ勾留されたその記録を綴った本であることが分かる。同時代の人ならこの広告を見てアルジェリアでの一連の出来事を連想すると思われるが、他方で関連する知識を持たない後世の人が目にしたら、これだけではなんのことか分からないかもしれない。文章では、同時代人には言わずとも伝わることは省略されることも多く、こうしたギャップも生じる訳である。現在の日本を舞台にした小説で、「スマホ」や「LINE」といった語が説明なしに使われるのもそうした例である。
それはそうと、これらの評論と広告を読んだあとで、遅ればせながらアレッグの『尋問』を日本の古本屋で買って読んだのだった。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)