- ジャンル:教育・心理
- 著者/編者: 宮本健市郎・佐藤隆之
- 評者: 斉藤仁一朗
「よい市民」形成とアメリカの学校
宮本 健市郎・佐藤 隆之著
斉藤 仁一朗 アメリカという国は今後どうなってしまうのか。そう考えている人は少なくないのではないか。歴史的に見ても、アメリカの教育が日本に参照されることは幾度もあったし、アメリカが「移民の国」「多様性の国」だとポジティブに見なされる場面も何度もあった。一方で、ここ半年間のトランプ大統領が連邦政府の多様性、公正性、包摂性(DEI)プログラムを終了する大統領令に署名し、連邦政府が大学への助成金を打ち切る動向を見て、これまでのアメリカのイメージが崩壊するように思える人もいるかもしれない。そんな問題意識にヒントを与えてくれるのが本書である。アメリカが「良い市民」とは何かを絶えず摸索する中で、排他的で均質的な愛国心を一方では志向し、他方で、その抵抗として多様性の保障を目指し続けてきたという、両系譜の存在を歴史的に描いているからだ。
本書の最大の魅力は、一九世紀末から二〇世紀初頭のアメリカにおける、市民性や愛国心とその教育の実態を、多様な事例を通して論じている点にある。第Ⅰ部では、「遊び場運動の父」と呼ばれるジョセフ・リーに注目し、子どもたちの遊び場を設置するという福祉的な改革が「良い市民」を形成するための教育へと変容したことを論じている。また、ジョン・デューイの市民性概念が、アメリカ的精神の有無を重視する排他的なリーの考えとは異なり、科学と想像力を活かして社会を理解し、改善に努める市民を志向していたことを指摘している。第Ⅱ部では、学校を社会の中心に位置づけ、学校と社会のどちらをも改善することをめざした「社会センターとしての学校」論の生成過程やそれへの賛否を扱っている。ここでも、支配的な影響力をもったクラレンス・A・ペリーの市民形成の論理や実践は、デューイが説く考え方とは対照をなしている。第Ⅲ部では、愛国心を重視するコミュニティ・センター運動、国旗掲揚儀式を扱うと共に、愛国心を促す教育動向の中でも多様性の重視を摸索した、進歩主義学校における移民帰化を支援するプロジェクトについても論じている。
このように本書では、大別すれば、排他的で愛国主義色の強い市民性教育と、多様性の保障を目指して愛国心の教育に抵抗した市民性教育との対比の中で全体構造が描かれている。前者に位置するのがリーやペリーの市民性教育であり、後者に位置するのがデューイである。また、その両者の思想の対立の中で、実際に広がりを見せたのは排他的な市民性教育であった点は示唆が大きい。より簡易に捉えれば、リーの考えの方が現実的で大衆に分かりやすく、デューイの述べる市民像は、より多様性を尊重し理想を追求したがゆえに、結果として分かりづらく理念的に見えた、ということになるだろうか。本書の終章においても、多様性を重視する市民像を人々が理解するのも実践するのも容易ではなかったことが指摘されている。ただ、それでも、「愛国心の教育」の歯止めをかけ、改善を導くものとして「多様性の教育」が機能してきたことを明らかにしている点から私たちは希望を見出すことができる。
本書の内容に関して、二点さらなる論証が見てみたかった点がある。その一つは、デューイの市民性概念がどのように一般の人々に捉えられたのか、という点である。本書が述べる通り、デューイは多様性を重視する中で、リーが説くような愛国心の教育もひとつの見識として尊重している(三五七頁)。この点を見て、当時の一般の教師や人々は、リーとデューイの市民性の思想が対立していると捉えたのだろうか。デューイの市民性概念が一定の解釈の幅を許容していたとした場合、結果としてその市民性概念がレトリック的に保守派に重宝されるケースもありえたのだろうか。熟達した教師が揃うホーレスマン・スクールではなく、一般の教師や市民が、デューイの市民性概念をどのように受け止めたのかという点が気になった。
もう一点は、愛国心と多様性をめぐる異なる解釈の対立を乗り越えていくためには、やはり社会史的な考察が必要なのではないかという点だ。本書で何度も登場する「アメリカ的生活様式」の押し付けや、白人中産階級が想定されがちであったという指摘はわかる。ただ、そうだとするならば、教育レベルで非白人の人々がどのような反応や動きを見せたのかという点は本書の解釈を左右する大きな論点だと思われる。教育史家のリースとルーリーが編著した著書Rethinking the History of American Education(二〇〇八年出版)を見ても、教育現象の複雑性を浮き彫りにする社会史的な事例研究の意義は増しているように思える。ただ、同時に、本書におけるアメリカの市民性、愛国心の教育の全体像を論じようとする試みにも強い魅力を感じる。私たち読者は、本書が示すアメリカの市民性教育の論理や構造から多くを学んだうえで、市民育成と愛国心の教育のはざまで様々に存在したであろう人々の葛藤や工夫を想像し、一つ一つの事例に関心を寄せ続けていくことが必要なのではないか。(さいとう・じんいちろう=東海大学准教授・米国教育史・社会科教育)
★みやもと・けんいちろう=関西学院大学教授・教育学・教育史・教育方法史。著書に『アメリカ進歩主義教授理論の形成過程』など。
★さとう・たかゆき=早稲田大学教授・教育思想(アメリカ)。著書に『キルパトリック教育思想の研究』『市民を育てる学校』など。
書籍
書籍名 | 「よい市民」形成とアメリカの学校 |
ISBN13 | 9784657257017 |
ISBN10 | 4657257013 |