- ジャンル:経済・産業・ビジネス
- 著者/編者: 神田眞人、清水功哉
- 評者: 小栗誠治
強い日本を残す
神田 眞人著/清水 功哉聞き手
小栗 誠治
近年為替の円安が急速に進行する中で、本書の著者の姿をテレビや新聞等で見かけた人も多いであろう。本書は、日本経済の体力が低下する中にあって、これに対処すべく大蔵省・財務省の官僚として奮闘した神田眞人氏の貴重な口述回顧録である。
著者は世界銀行理事代理としてリーマンショック(二〇〇八年)の対応に追われ、財務省主計官として東日本大震災と原子力発電事故(二〇一一年)の対応に奔走し、さらに二〇二一年から三年間、財務官として国際金融や為替政策の事務方の責任者として世界を股にかけて活躍してきた。近年公務員へのバッシング傾向が強まる中で、本書は公務の重要性とこれに従事することの魅力を遺憾なく伝えている。
為替政策の実態と内幕が語られる第一、二章はとても興味深い。先進国は為替市場で介入しないものであり、仮に介入しても効果は極めて薄いというのが国際金融界の常識である。このため日本も円売り介入は二〇一一年を最後に実施しなくなり、円買い介入は一九九八年以来行っていなかった。しかし著者の財務官時代、二〇二二年九月に二四年ぶりに円買い介入を実施し、二〇二四年四、五月に再び円買い介入を行った。介入の目的は脆弱な立場にある人たちを投機による被害から守るためであり、そのため断然たる措置が必要との判断に基づくものであった。やるからには勝たないと意味がない、負けると今後は市場になめられて介入が効かなくなるとの信念があった。米国などからの特段の批判も招かずに介入を実施できたのは、適切な「相場観」に基づき、早い時期から行動を起こしたことであり、入念な「根回し」があったためである。
為替介入に関して著者が最も注力したのは、市場の状況の徹底的な分析、海外の市場関係者への人脈・情報網の拡大、効果的な介入に向けた体制の整備や手法の研究であった。介入が成功したのは投機筋の手口に関する深い知見があったからであり、投機筋との虚々実々の駆け引きこそ、本当のファイナンシャル・マフィアの世界だと吐露する。
リーマンショックに直面した二〇〇八年の世界銀行勤務時代は、新興国に危機が波及するのを防止するための「資本増強ファンド」を設立し、危機によって滞っていた世界の貿易を復活させるための「貿易金融促進プログラム」を導入したが、この仕事は大変エキサイティングで、パブリックセクターで働くことの意義を一段と理解したと振り返る。
財務省の主計局主計官時代は、二〇一一年の東日本大震災時の原発事故の損害賠償への対応に奔走する。損害賠償に当たっては、最終的に原子力損害賠償法三条「ただし書き」の適用対象外として、同法一六条を適用するという判断が一番の根本であったが、この仕事は本当にしんどかったと述懐する。
さらに、官僚として様々な改革にも関わってきた。二度にわたって関与した大蔵省・財務省の改革や主計局の主計官および次長として文部科学係を担当し大学改革にも深く関わってきた。二〇一六年から八年間、経済協力開発機構(OECD)の企業統治委員会の議長を務め、最大の論点であった持続可能性問題を入れ込んだ企業統治原則の改定作業も実現させた。
財務官時代の二〇二四年には「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋」の報告書をまとめた。日本の経常収支は安定的に巨額の黒字を計上し、対外純資産残高も過去最高を更新しているが、だからといって日本経済は決して楽観できるものではないと危惧する。ではどうすればよいのか、日本経済の現実に対する処方箋は何か。最も重要なのは、日本経済の生産性の上昇であり、言い換えれば、日本経済の成長力、国際競争力の強化である。そのためには抜本的なテコ入れが必要であり、経済の新陳代謝を進め、生産性や成長力の高い分野に労働力や資本をシフトすることが不可欠である。同時に、経済社会の進化のプロセスでの摩擦的な不幸にはセーフティネットを充実させ、政府がしっかり対応する必要がある。日銀は危機時に経済社会を守るために腹を割って議論できる信頼できる戦友である。日本は課題も多いが伸びしろも大きい。健全な危機感は持つべきだが、過度な悲観は必要ないと説く。
頭の回転の速さ、蔵書七〇〇〇冊という博覧強記ぶり、芸能人にも及ぶ人脈の広さ、世界を飛び回る行動力、まさしく異能の官僚である。エネルギッシュでポジティブな著者の考えと行動には、人びとの気持ちを奮い立たせるものがある。本口述回顧録の聞き手の質問も的確である。(おぐり・せいじ=滋賀大学名誉教授・中央銀行論)
★かんだ・まさと=アジア開発銀行総裁。八七年大蔵省(現財務省)入省。二一年から三年間財務官を務め、二五年から現職。著書に『世界銀行超活用法序説』『超有識者達の洞察と示唆』など。
★しみず・いさや=日本経済新聞編集委員。
書籍
| 書籍名 | 強い日本を残す |
| ISBN13 | 9784296124886 |
| ISBN10 | 4296124889 |
