平塚らいてうと現代
米田 佐代子著
山中 仁吉
平塚らいてう(一八八六―一九七一)は戦前に『青鞜』を創刊し、新婦人協会を組織した人物である。しかし、平塚が戦後に平和運動に関与したことを知る人は意外にも少ない。平和運動は平塚の自伝においてさえ詳細には語られなかった。自伝や著作集を部分的に利用してきた従来の平塚研究では、平塚の平和思想とその実践の全体像は明らかにされてこなかったが、著者の米田佐代子氏は二〇〇二年に『平塚らいてう』(吉川弘文館)を刊行して以降、平塚に関する新資料(自伝や著作集の編集に関わった小林登美枝遺族と奥村家のもとに残された日記・書簡・メモ等)を整理するなかで得られた成果をこれまで多数発表してきた。本書はこれらの論文から構成されており、そのテーマは副題が示しているように「女性・戦争・平和を考える」ことである。本書には平塚の平和思想の解明という研究上の課題だけでなく、平塚の生涯やその後半生に展開された平和思想から現代に対する教訓を得ようという著者の問題意識が色濃く反映されている。『平塚らいてうと現代』というタイトルにはそのような著者の思いが込められている。
本書の内容を簡単に紹介したい。第Ⅰ部は「彼女〔平塚:評者注〕の思想をトータルにとらえ」(二頁)ようと試みてきた著者による平塚研究の入門となっている。平塚の社会構想は禅修行、『青鞜』、第一次世界大戦、新婦人協会、関東大震災を経て母性主義と相互扶助思想が融合した協同自治社会構想に至る。この構想は戦時下において天皇制賛美を招来するが、戦後は日本国憲法との出会いによって「女性がつくる平和」という思想に結実するという。戦中・戦後における平塚の言動を追った近年の成果である第Ⅱ部は、戦争協力を回避するために疎開し、戦時下の日常生活のなかで平和思想を再構築した平塚は、戦後に一挙に世界連邦成立を目指した日本の世界連邦運動に対して、憲法九条遵守を唱え政府の安全保障政策に反対したように「平和実現のための具体的方法」(一一三頁)を模索したという。付論は第Ⅱ部で活用された新資料の来歴に関する解説であり、最終章は平塚の生涯から直截的に現代への教訓を引き出そうとする内容である。
本書は興味深い指摘に溢れている。一例を挙げると、戦争体験が女性を母親運動という平和運動に組織化し、それを象徴するかのように平塚と世界連邦運動との間にズレがあった。この指摘は戦後日本の安全保障をめぐる国内の亀裂を女性の社会運動から捉えなおす視座を提供すると考えられる。本書に収録された論文は平塚の平和運動を解明する端緒を開いた。後進の研究者が検討する余地は大いに残されているだろう。本書が扱っていない消費組合運動や女中問題などの論点については、新資料を用いた著者による先駆的な指摘が発展的に継承され、『大原社会問題研究所雑誌』七九七号(二〇二五年三月)が整理・公開された新資料(「平塚らいてう関係資料」)から各論点を考察している。
しかしながら、個々の指摘には頷けるものの、評者は本書を通読して著者とは異なる平塚像を読み取った。「あたかも巨大な風車に立ち向かうドン・キホーテのように現実に挑戦し続けた」と平塚を評したが(三頁)、このとき著者は戦時期の「疎開」を平塚の生涯における例外的な行動と見ている。戦時期を扱った章は平塚の「戦時協力」と「疎開」を弁解するかのようだ。だが、思想の一貫性を前提に戦時期を例外視し、平塚に英雄の役割を託す必要はない。確かに平塚は理想を追い求めたが、ドン・キホーテのように虚構に立ち向かう夢想家ではなかった。むしろ批判・出産・病気など様々な理由で「逃げも隠れもする」運動家だった。だからこそ八五年という生涯のなかで断続的に晩年まで社会運動に関わることができたのではないだろうか。著者が長年の研究から導き出した平塚像に対して、ここで新たに提起した等身大の運動家という平塚像を検証することが評者にとって今後の課題である。(やまなか・じんきち=釧路公立大学講師・日本政治史)
★よねだ・さよこ=山梨県立女子短期大学教授、平塚らいてうの会会長、らいてうの家館長を歴任・日本近現代女性史。著書に『満月の夜の森で』など。
書籍
書籍名 | 平塚らいてうと現代 |
ISBN13 | 9784642084727 |
ISBN10 | 464208472X |