書庫をあるく
南陀楼 綾繁著
杉江 松恋
書庫を愛している。
職業柄、大量の書籍を参照しながらでないと仕事はできない。外出先での原稿執筆は不可能だ。すべての情報が脳内に収まっていれば問題はないのだが、残念ながら容量には限界がある。書庫は外部記憶装置のようなもので、はみだした自分自身だと認識している。
南陀楼綾繁『書庫をあるく アーカイブの隠れた魅力』(皓星社)は、全国で維持運営されているさまざまな書庫に取材して書かれた一冊である。ここには二つのものがあると思う。一つは、可能な限り多くの本を収集し体系として保存しようという知への熱意、もう一つは、それを後世の人に手渡そうという使命感だ。
三部構成になっていて、最初の「地域の知を育てる」は県立長野図書館のような、本をその地方にとっての文化遺産として活用しようとする施設のパートである。次の「遺された本を受け継ぐ」には知を希求した人々の情熱が書庫という形を取った場所が集められていて、最もドラマに満ちている。国立映画アーカイブの章で描かれる、個人のコレクションが有志の尽力に集められていった経緯を読むと、保存することの難しさを思い知らされる。あと一歩のところで間に合わず、廃棄されたり散佚してしまったりしたものがいかに多いだろうことか。最後の「本を未来へ」で語られるのは世界から知を失わせないという強い信念だ。ハンセン病関連の施設が複数紹介されており、著者の語り継ぐ意志を感じた。
ハンセン病患者は誤った認識に基づいて隔離生活を余儀なくされ、一般社会への帰還が許されなかった時代があった。その愚かさ、施設に入った人々の生の実態は、語り継がなければ歴史の彼方で無かったことにされてしまう。国立ハンセン病資料館の原型は、患者によって維持運営された図書館だった。中心の一人だった山下道輔は「資料に一生かける」と宣言し、資料室の責任者になったという。掲載された同施設の写真、一つひとつを見るたびに、山下たちの尊い思いを感じずにいられない。歴史を修正しようとする者がいちばん恐れるのは、書庫の存在なのである。
第二部には個人の蔵書が保存された場所が紹介されている。その一つが山形県川西町の遅筆堂文庫だ。人口一万二千人の町に、作家井上ひさしが二十万冊を超える本を寄贈したことで成立した。この章を読むと、集めるための情熱を含めての蔵書であり、すべてを形のままに遺すことで初めて意味を持つ、という井上の考えが明確に伝わってくる。『四千万歩の男』(講談社文庫)を書くために井上は、測量術教科書『測遠要術』を含む膨大な伊能忠敬資料を収集した。後に千葉県から資料を譲ってもらいたいと依頼されたが、主要なもの以外は古本屋に引き取ってもらうと言われて腹を立てたという。「うちには雑本も多い。だけどこれはみんなわけがあって集めたもので、貴重なものなんです」という言葉に頷かされる。
同じく第二部には、著述家・草森紳一が生まれ故郷である北海道音更町に遺した蔵書のことが書かれている。草森はライトカルチャーから出発して次第に歴史を遡る方向に活動の主体を移していった人だ。書籍の中に住む紙魚のような生活模様については、随筆『本が崩れる』(中公文庫)で知っていたが、本書の記述には気圧される思いがする。草森は高校卒業後、いったんは故郷を捨てて東京に出た。親が老齢になったこともあって帰郷の機会が増え、任梟蘆という書庫を一九七七年に建設する。両親が亡くなった一九八九年以降は再び故郷に戻ることはなかったというから、任梟蘆はそこで時を止めたのである。昭和後期から平成初めまでの草森紳一の脳内が、そこには半永久的に保存されている。本体を離れた外部記憶装置は何を物語るだろうか。足を踏み入れた人は何を思うだろうか。(すぎえ・まつこい=書評家・ライター)
★なんだろう・あやしげ=ライター・編集者。「不忍ブックストリート」前代表。「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。著書に『本好き女子のお悩み相談室』『蒐める人』『古本マニア採集帖』など。一九六七年生。
書籍
書籍名 | 書庫をあるく |
ISBN13 | 9784774408408 |
ISBN10 | 4774408409 |