2025/02/21号 3面

象徴天皇の実像

象徴天皇の実像 原 武史著 瀬畑 源  筆者は『昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録』(岩波書店、全七巻、以下『拝謁記』)の刊行に編者として携わった。『拝謁記』は一九四八~五三年に宮内府(庁)長官を務めた田島道治が、昭和天皇との拝謁時の会話を詳細に記録したメモのことである。『拝謁記』全七巻では、拝謁記の全文と日記や書簡などの一部を翻刻して収録した。  ただ、刊行後、「読み通すのが難しい」との声を、研究者レベルからも多く耳にした。分量が多い、文脈がわかりにくい、など。そこで、編者などで「内容をわかりやすく紹介した本を作ろう」として刊行したのが、『「昭和天皇拝謁記」を読む』(岩波書店)であった。そんな折、原氏から、同じ岩波から本書が刊行されるとうかがい、当方も初めて知って驚いた次第である。おそらく編集サイドとしては、『拝謁記』編者と原氏では、分析視角が異なっており、類似本にはならないとの判断があったのだろう。  筆者個人としては、原氏ならば『拝謁記』の分析本を書いて下さるだろうという期待があった。特に、『拝謁記』には貞明皇后(皇太后節子、昭和天皇母)の話が非常に多く書かれており、必ず興味を持ってくださるだろうと考えていた。なので、本書の刊行は楽しみにしていた。  原氏は『拝謁記』を、「天皇観」「政治・軍事観」「戦前・戦中観」「国土観」「外国観」「人物観」「神道・宗教観」「空間認識」という八つのテーマから分析している。興味深い所をいくつか紹介する。  昭和天皇が自ら「象徴」について語っている内容は、師の杉浦重剛の徳治主義の影響などは見てとれるが、日本国憲法の「象徴」を突き詰めて考えようとした形跡がない(天皇観)。昭和天皇は、抽象的な概念より具体的な体験を重視する思考があり、民主主義への評価が低く、共産主義への過剰な警戒感がある(政治・軍事観)。「時勢」「勢」という言葉で戦争中のことを説明し、自らが主体となって歴史を動かしたという感覚がなく、結果に対する責任を感じていたとは言えない(戦前・戦中観)。昭和天皇は、アマテラスに戦勝を祈願したことで「神罰を受けた」と語ったが、皇太后やカトリックの影響がありうる(神道・宗教観)。  原氏が特に力を入れたと思われるのは「人物観」の所であると思われ、三章にわたって分析が続く。筆者とは史料の解釈が異なる点もあるが、刺激的な論が並んでいる。特に皇太后節子については一章分を割いて、縦横にその考えを展開されている。  ただ、一点だけ、史料解釈に疑問を感じる箇所は指摘したい。一四〇頁に記載の皇太后の遺書に、秩父宮や澄宮(三笠宮)に「何か由緒ある家宝となるやうなものを上げたい」とあるものを、原氏は「家宝」は「三種の神器」と推論している。ただ、引用直前に「高松さんは古い御家だからいゝが」とあるため、有栖川宮祭祀を引き継いで古い「家宝」がある高松宮と、そうではない秩父・三笠宮との比較の文脈で読まれるべきではないか。節子の遺志が軽い思い付きなのか、重い意味(由緒正しい「家宝」で宮家間のバランスを取るなど)があるのかどちらなのか、前者なら気にしなければよいが、後者であったとした場合でも、「法制等の変革等」で相続税が発生するので、財産が潤沢とは言えない秩父・三笠宮にとって「御負担重き」ことにならないかと昭和天皇が案じていると筆者は解釈した。また、この「家宝」が「三種の神器」であったら、兄弟間でその後冷静に遺書について議論していることとの整合性に欠けるのではないか。  もちろん、この点を指摘することが本書の価値を大きく損ねるものではない。著者の思い切った史料解釈は潔く、見ていて刺激を受ける点も多い。我々があまり論じなかった「国土観」「神道・宗教観」「空間認識」については、その視点があったかと感心するところしきりであった。  全巻刊行から日を開けずに、『拝謁記』を詳細に読み込んだ本をまとめてくださったことに、編者の一人として改めて感謝をしたい。今後も、本書に続く解釈本が現れることに期待したい。(せばた・はじめ=龍谷大学准教授・日本政治史)  ★はら・たけし=放送大学教授・日本政治思想史。著書に『地形の思想史』など。

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