2025/03/21号 7面

投票の倫理学上・下

投票の倫理学 上・下 ジェイソン・ブレナン著 尾野 嘉邦  本書はアメリカの政治哲学者ジェイソン・ブレナンによって書かれた、選挙における有権者の投票についての学術書である。同じ投票行動を研究対象とする政治学者でありながらも、主に社会科学的アプローチを用いて様々なデータをもとに実証研究を行っている評者にとって、政治哲学の領域はやや遠い存在であり、どこまで本書の議論を理解できているのか、やや心もとないところではある。  そもそも評者が政治哲学を学んだのは、学生時代の遠い昔のことであり、政治哲学の授業も一つか二つぐらいしか履修したことがないのである。書評の依頼を受けて、投票行動をいつもと異なる角度から考えてみようと、二つ返事で引き受けてはみたものの、本書を読み始めると、なかなかに手ごわい本で、読み進めるのに努力を要した。  しかしながら、普段、有権者がどのように投票を「している」のか、そのメカニズムを研究している評者にとって、有権者がどう投票「すべき」なのかというテーマは、とても新鮮なものであった。とりわけ、ポピュリズムや偽の誤情報に有権者が惑わされる機会が増えている現状にあって、有権者であるわれわれがどう選挙に向き合い、どのように投票すべきなのかを考えることは、非常に重要なことである。  さて、本書の著者であるが、政治哲学者とはいっても筋金入りのリバタリアンで、なかなかに「過激」で「突飛」な議論を次々と展開してくる。しかも話はこれまたあちこちに飛んでいて、四人の翻訳者たちの苦労がしのばれる。多くの読者は戸惑ってしまうかもしれない。ただ、本書における著者の主張はとてもシンプルで、「有権者は良い投票ができなければ、棄権すべきだ」というものである。つまり、訳者らによる解説文の中の言葉を借りると、「バカは選挙に行くな!」というのだ。  著者のこの主張に、大半の読者が、「なんて上から目線で傲慢、失礼な物言いだ」と反感を覚えるかもしれない。そんなことを言う著者は、そもそも自身が「良い投票」なんてできると言えるのだろうか、と疑問が生じる可能性もある。その意見はごもっともであるが、それについて論じる前に、著者がなぜそう考えているのか、その議論の中身を少しだけここで簡単に紹介したい。  著者のブレナンはまず、どのように投票するのかについて、有権者には道徳的な義務が課されていると主張する。そして、もし投票するのであれば、「共通善(common good)」を促進すると「正しい形で信じるもの」に票を投じる義務がある、と論じている。著者によれば、選挙で投票すること自体に義務はなく、もし「良い」投票というものができなければ、棄権する義務があり、間違った投票だけでなく、まぐれでたまたま良い投票につながるような行為も慎むべきであるとされる。  さらに著者は次のように論じる。有権者は投票によって共通善の実現を目指すべきであるが、共通善は何も選挙に行かなくても他の手段や方法で実現できるのだから、投票の義務を課すなどもってのほかである。有権者は良い投票ができないのであれば、積極的に棄権すべきであり、むしろ棄権すべき義務があるといっても良いくらいである。それに、他の有権者と取引をして票を買ったり、あるいは票を売ったりすることも、それが「共通善を促進すると正当に予測できる候補者や政策」への投票につながるのであれば、道徳的にも許容できるとさえ論じるのである。  これが本書における著者の(非常に)大まかな主張であるが、読者は著者の議論に果たして納得できるだろうか。なんともエキセントリックな話だと思うかもしれない。とはいえ、アメリカでも日本でも、偽動画や誤情報がSNS上に氾濫し、それを真に受けて行動してしまう数多くの有権者を目にして、ヒラリー・クリントンでなくとも「basket of deplor―ables」と思わず非難してしまいたくなるのは分からないでもない。著者は、そうしたバカな有権者たちは投票に行くべきではないと主張していて、そうだと同調する読者も多いかもしれない。バカな有権者は棄権すべきだ、と。  でも、はたと自分たちのことを振り返ると、自分は本当に良い投票ができる、賢い有権者なんだろうかと自問してしまうことはないだろうか。他の有権者をバカだと揶揄しているが、実は彼らとそんなに違いがないということはないのだろうか。著者も自らは「賢者」の側に立ち、自分は共通善のことを理解・認識し、良い投票ができると思っているのかもしれない。しかし、本当に良い投票ができているのだろうか。  本書において有権者の投票が「良い」と判断される上で鍵となっているのが、「共通善」の概念である。それは「他者の利益を害することなくほとんどの人々の利益を涵養する」もの(上巻九八頁)で、「集団にとって、すなわち一つの組織としての人々にとって良い何かしらのもの」(下巻四二頁)を指すとされる。著者は、有権者が自身の利益のためではなく、そうした共通善のために投票すべきであると主張する。  しかし、そもそも政治において何が「共通善」となるのかという点について、正解と言える解答のようなものが果たして存在しているようには見えない。本書の中で、有権者が医師に例えられ、医師が正確な情報とエビデンスに基づいて患者に適切な処方を行わなければ問題であると論じられているが、政治の現場において社会全体を良くする正しい処方箋など存在するのだろうか。一体何が「正しい」政策なのかが明確ではない、というのが多くの有権者が直面している問題である。  例えば、経済政策について、大幅な金融緩和と財政支出を伴うアベノミクスをめぐる評価は様々である。また新型コロナ対策についても同様で、人々の行動制限を行うか、それとも経済活動の維持を優先させるかをめぐって、(合理的に推論を行うことができるであろう)専門家達の間でも意見が割れていたのは記憶に新しい。それゆえに、多くの有権者が正解らしきものを求めて、さまようことになっている。政治にもし「まぐれ当たり」などがない正解の政策や投票が存在するのだと著者が考えているのだとすれば、それはとてもナイーブな考えであろう。  もし仮に有権者自身がしっかりと学習し、共通善と信じるものがあったとしても、それを正しく認識して投票することは可能なのだろうか。著者によれば、無知な有権者は偏ったバイアスを抱いており、それに導かれて、正しく情報を処理することができないとされる。ただ厄介なのは、有権者たちの判断や行動に大きく影響を与えている、こうしたバイアスのほとんどが、無意識のうちに働いているものである。例えば評者が日本で行った研究では、美顔の候補者ほど得票率が高いことが明らかになっているし、女性候補者が選挙ポスターで笑みを浮かべないと得票を減らしてしまっていることも分かっている。これらはすべて有権者の無意識によるバイアスの影響を受けた結果である。しかもこのバイアスは、自身が意識したとしても、その影響を食い止めることができない可能性がある。  「経済学者の方が一般人よりも経済について多くのことを知っている」(下巻一六八頁)のと同様に、政治学者の方が一般の有権者よりも政治について多くのことを知っていて、より正しい投票ができているのか、と問われれば、評者自身は胸を張ってYesということはできない。自分自身が候補者を顔や性別で判断していないと思い込んでいても、実際に本当に何もそれらの影響を受けていないかどうかは分からない。結局のところ、政治の専門家を称していても、その投票行動は「無知な」有権者と何ら変わらないかもしれない。  無知な有権者たちの投票が正しい結果をもたらすことができるか否かについては、ヒューリスティクや情報のショートカットに着目した議論や論争がある。本書では断片的にしか取り上げられていなかったが、例えば歩行者が交差点を横断するときに、交通量や自動車の速度を細かく計算しなくとも、(そうした雑多な情報を端折って)信号機の合図や横断歩道の位置をただ見るだけで、ほぼ安全に通行することができる、という比喩である。有権者も同様に、評論家や政治に詳しい周囲の人の意見を参考に、正しい投票ができるというわけだ。  しかし本書の著者も懐疑的であるように、現実には相互に矛盾するような信号機が複数あったり、故障していたりするわけで、その中から有権者は正しい情報を選択して判断する必要がある。その意味では、ヒューリスティクや情報のショートカットがあるとしても、有権者が正しい投票をするうえでは、まだ不十分と言えるかもしれない。  では、うまく投票するために有権者はどうすればよいのだろうか。著者は、「ペーパーバック版へのあとがき」のセクションで、有権者が自分自身にラベルを貼らないようにしたり、相手の立場を受け入れて自分の立場を疑ったりすれば、バイアスに導かれて悪い投票をしてしまうことを防いでくれるし、厳しい練習をして努力すれば上手な投票者になれるはずだと述べる。だが、それらの楽観的な見方を支持する科学的証拠は示されていない。有権者が正しく投票するうえで科学的マインドセットが重要と主張する一方で、そうしたエビデンスなき解決策が提示されていることには、実証研究を行う社会科学者として、もう一声と言いたくなるところだ。  とはいえ、有権者がどうあるべきで、どのように投票すべきか、本書で繰り広げられる著者の思考実験は、社会科学の立場から実証研究する評者にとって、とても新鮮なものであった。極端ともいえる例やロジックを鮮やかに展開させる本書は、読者をジェットコースターの乗客、あるいはホラー映画を見る観客のように、次は何が来るのだろうかとハラハラ、ドキドキさせるものであり、本書を通じて、ぜひ多くの人にそうした政治哲学の醍醐味を体験してほしいと思う。(玉手慎太郎・見崎史拓・柴田龍人・榊原清玄訳)(おの・よしくに=早稲田大学政治経済学術院教授・政治学・社会科学)  ★ジェイソン・ブレナン=ジョージタウン大学マクドノー・ビジネス・スクール教授・政治哲学・応用倫理・公共政策。

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