核心・〈水俣病〉事件史
富樫 貞夫著
米本 浩二
水俣病事件の輪郭を一読でつかめる。手元におきたい概説書だ。
水俣病事件は一九六九年六月の水俣病第一次訴訟提訴で大きな展開をみせる。被告のチッソ側弁護団は日本を代表する民事訴訟法学者らが名を連ねる。原告側弁護団は急な寄せ集めであり、役割分担も決まっていない。患者が勝訴する見通しは全く立たなかった。
患者を支援する「水俣病を告発する会」の渡辺京二らは同年九月、裁判対策に特化したチーム「水俣病研究会」をつくる。水俣病裁判を支える法理論の構築や事実データの収集・解析をし、準備書面を書くのが任務である。法律の専門家としてスカウトされたのが熊本大の法学者、富樫貞夫だった。
参加を承諾した富樫は水俣に赴く。小児性患者の松永久美子、胎児性患者の上村智子に会う。水俣病に無残に押し込められた少女たち。「人間の良心の問題として、私はこの人たちからもう逃げられないなと思った」。
水俣病第一次訴訟は、「被告に過失があったかどうか」ということが、最も大きな争点となった。従来の判例、通説に沿ったチッソの無過失という主張を退けるには、新たな過失論が必要だった。
富樫は、『朝日ジャーナル』(六九年一一月一六日号)の座談会「農薬の人体実験国・日本」における原子物理学者、武谷三男の「農薬に限らず薬物を使うときには、無害が証明されないかぎり使ってはいけないというのは、基本原則だと思うのですね」という発言に注目した。
「この一節を読んだとき、電光のように閃くものがあった。チッソ工場排水についても、まったく同じことがいえるはずだと」。富樫は米国のC・F・ガーンハム『産業廃水処理の諸原則』にも接し、新しい過失論の方向が定まった。
「水俣病の例をみても分かるように、工場廃水の害はすぐには現われないことが多い。それが有害であることが証明されるのは、環境が破壊され、住民の生命や健康が蝕まれてしまった後だ」。水俣病研究会は七〇年八月、研究成果を『水俣病にたいする企業の責任 チッソの不法行為』(二〇二五年に石風社から増補・新装版)にまとめる。
一九七三年三月二〇日、熊本地裁で判決が出た。患者側の全面勝訴である。判決は「チッソは、危険な工場廃水を排出するに当たって、万一安全性に疑いが生じた場合には、地域住民の生命・健康に対する危害を防止するために、ただちに操業を中止するなどして最大限の防止措置を講ずべき義務があるのにそれを怠った」と被告を断罪した。判決の過失論は富樫の論を基盤に構成されていた。患者を勝利に導いた最大の功労者は富樫なのである。
富樫は第一次訴訟判決後も水俣病事件にかかわりつづけた。本書は、一九九二年二月から二〇回、九三年三月から三四回にわたって『週刊読書人』に連載した原稿をまとめたものだ。ネコ実験など水俣病事件のそもそもの発端から説き起こし、見舞金契約など患者圧殺の時代をへて、提訴から判決、その後の補償交渉を丹念に追う。
「この事件全体を関心の対象とする限り、だれもがアマチュアであるほかない」と富樫は述べたことがある。「水俣病事件全体を視野に入れて何かを言おうとするならば、自分の専門分野の枠を越えて、関連する分野を行き来する必要に迫られるからだ」(『水俣病事件と法』)。アマチュアらしい新鮮なものの見方が本書には横溢している。新聞連載という形をとったこともあって、テーマが小分けされ、記述が分かりやすい。
来年二〇二六年は水俣病の公式確認から七〇年目という節目の年である。水俣病問題は現代的な課題だ。水俣病事件を知り、考えるための中核的基礎文献のひとつとして本書は必須のものなのである。(よねもと・こうじ=作家)
★とがし・さだお=熊本大学名誉教授・法律学。水俣病研究会代表・一般財団法人水俣病センター相思社理事長を歴任。著書に『水俣病事件と法』『〈水俣病〉事件の61年』、編著に『水俣病にたいする企業の責任』『水俣病事件資料集 上・下巻』など。一九三四年生。
書籍
書籍名 | 核心・〈水俣病〉事件史 |
ISBN13 | 9784883443314 |
ISBN10 | 4883443310 |