2025/06/13号 5面

生まれ変わってもピアニスト

生まれ変わってもピアニスト 山根 弥生子著 林田 直樹  歴史の生き証人としての話の面白さだけでなく、さまざまな人生の困難を乗り切りながら、音楽に取り組んでいくバイタリティに、読んでいて圧倒された。  本書の著者である山根弥生子は、一九三三年(昭和八年)生まれのピアニスト。彼女がどれほどとてつもない存在であるかは、一九九〇年代半ばに音楽プロデューサーの相沢昭八郎氏とともに成し遂げたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、さらにはここ二〇年ほどの間にコジマ録音からリリースされ続けてきたバッハの平均律クラヴィーア曲集からロマン派や近代音楽、そして日本人作曲家作品のアルバムを聴くことで確認できる。華々しいコマーシャリズムとは無縁なところで、長年にわたってこれほど充実した音楽を熟成し続けてきた人は滅多にいるものではない。  筆者は、山根弥生子の演奏から、音楽の高みを目指し続ける人ならではの自己への厳しさ、楽譜から深い音楽を読み取って具現化する力、尋常ならざる緊張感と音の生命力をずっと感じてきたが、本書を通じて、その秘密の一端をようやく知ることができた思いである。  山根弥生子の父は、日本のクラシック音楽界の論客として一時代を画し、大著『ベートーヴェン研究』などを残した音楽評論家の山根銀二。「親の七光り」によってさまざまな人との出会いに恵まれながらも、著者がそれを自らの音楽の向上へと生かしていったのは素晴らしい。当時の楽壇を代表する作曲家の池内友次郎、ピアニストの田中希代子らのとの思い出も興味深い。  一九五一年に一八歳で渡欧し、パリ国立音楽院でラザール・レヴィに学び、その後チューリッヒ、ベルリン、モスクワでそれぞれマックス・エッガー、ヘルムート・ロロフ、ヤコブ・フリエールといった名教師たちのもとで研鑽を重ねた日々。そこではまだ健在だったフルトヴェングラーもマリア・カラスも聴くことができた。当時の日本人としては驚くべき貴重な経験である。そして演奏活動に入ってからの記述も含めて感じるのは、ヨーロッパ各地を転々とし、東欧やソ連でも恐れを知らずひとり冒険的な旅をし、フランス語もドイツ語もロシア語も会得しつつ、音楽を続けていくことのたくましさである。キリル・コンドラシン、アルヴィド・ヤンソンス、クルト・ザンデルリンクら大物指揮者との共演のエピソードも面白い。当時は交通機関も今のように便利ではなく、インターネットもなかったことを考えれば、ヨーロッパははるかに日本から遠かった。だがそれがかえって良かったのかもしれない。  著者は長年にわたって日本とヨーロッパを行き来しながら演奏活動を続けてきたが、ヨーロッパに行くことを父の銀二は「お前の藪入りだ」と言っていたそうだ。「藪入り」とは年に二度奉公の人が故郷に帰って少しのんびりすることを意味する。つまり、ピアニストである著者にとってはヨーロッパこそが帰るべき故郷なのである。  共産圏の崩壊をひとつのきっかけして、著者の「藪入り」は終焉に向かう。先述したレコーディングが日本で開始されたのは、そのおかげでもある。  かつて父・銀二と夜に一杯やりながらリサイタルの曲目の相談に乗ってもらったときの話も興味深い。銀二の考え方は、プログラム前半の終わりを一番内容の濃いものにするのが良いという。曲の選び方だけでなく、ひと晩のプログラムのどの場所に何を持ってくるか。弾く側の都合だけでなく、聴く側の立場も考える必要があること。演奏する場所の土地柄も考えるべきだし、外国で弾くときはその国の作品と日本の作品を紹介すべきこと。こうしたあたりにも著者の信念が垣間見える。  資料的価値の高い回想録だが、それだけではない。最近の話になると、家族の介護の大変さについても率直に語られる。あの見事なレコーディングが、そういう日々のさなかで生み出されていったことにも強い感銘を受けた。(はやしだ・なおき=音楽ジャーナリスト・評論家)  ★やまね・やえこ=ピアニスト。パリ国立音楽院ピアノ科プルミエプリを得て卒業。チューリッヒ音楽院、ベルリン音大、モスクワ音楽院で勉強をつづけ、帰国後は国内外で演奏。一九三三年生。

書籍

書籍名 生まれ変わってもピアニスト
ISBN13 9784624711047
ISBN10 4624711041