ベンヤミンとモナドロジー
茅野 大樹著
小林 哲也
ドイツのユダヤ系思想家・批評家ヴァルター・ベンヤミンの著作は、通例、『ドイツ悲劇の根源』に至るまでを初期の著作とし、その後の批評活動を始めて以降、マルクス主義への接近などを伴う時期を後期とされる。初期著作は秘教的であったり断片的であったりするために概して難解であり、またドイツ・ロマン主義、ゲーテ、バロック悲劇と論じる対象の違いもあって、そこに一貫するベンヤミンの思考の論理を追うことは端的に言って難しい。本書はベンヤミンのライプニッツ哲学の受容と、ベンヤミン自身にも指摘できる「モナドロジー」的思考に着目することで、初期ベンヤミンの思考の論理を丹念に追っていく。「モナド」を「詩的思想家」の「比喩」(ジョージ・スタイナー)として済ますことなく、ベンヤミンの哲学的思考の論理を描き出す力作である。全四章を通じて、フリードリヒ・シュレーゲルやゲーテのライプニッツ受容、そして特にベンヤミンにも影響を与えた新カント派のライプニッツ受容も詳細に検討することで、ベンヤミンの思考の文学史・哲学史的な位置付けも浮かび上がらせている。
第一章「認識の一元論と二元論」ではベンヤミンと新カント主義の思考の比較検討が行われる。新カント派との対比については、これまでいくつかの研究が積み重ねられ、日本でも森田團がカッシーラーの神話論との対比を扱っている(『ベンヤミン——媒質の哲学』水声社二〇一一年)が、本書はそれらの成果を踏まえつつ、ベンヤミンのヘルマン・コーヘンの受容に着目して、その「関数Funktion」概念やライプニッツ受容を詳細に検討している。「実体概念から関数概念へ」(カッシーラー)という認識論的・科学論的な移行にベンヤミンの思考も応答していたことが強調されている。
第二章「芸術作品のモナドロジー」ではシュレーゲルのライプニッツ受容についても明らかにしながら、ベンヤミンのロマン主義論が検討され、第三章「形態、力、歴史」では、ロマン主義と対比的な位置を占めるゲーテのライプニッツ受容と、芸術論が取り上げられ、ベンヤミンのゲーテ批評が検討される。二つの章を通じて、ベンヤミンの関係性の思考が、「絶対者」や「全体」との「直接的」な関係を問題にする「絶対的関係性の思考」と、理念や理想と現象との断絶を前提として、それらとの部分的、間接的な関係を問題にする「相対的関係性の思考」に区分できること、これら二つの思想が並存していることを明確にしている。ベンヤミンの思考と批評対象を安易に同一化させずに、ベンヤミンの著作の中で展開される論理を明確にする慧眼が光る。第三章では、新カント主義の系譜がさらに辿られ、パウル・ナトルプの弟子にあたるエリーザベト・ロッテンの『ゲーテの原現象とプラトン的イデア』までを視野に入れることで、ベンヤミンが参照したと考えられる新カント派の議論をカバーしている。これによって『ドイツ悲劇の根源』の「認識批判的序論」で展開される「理念=イデア」論の解釈を深め、「根源」概念の解明に成功している。
第四章「モナドロジーとバロック」では、まず「認識批判的序論」で展開されるベンヤミンの理念論がライプニッツのモナドロジーとの関係から検討される。そして、ここで明らかにされる現象とイデアの関係が、『ドイツ悲劇の根源』の本論——バロック悲劇論——でどのように展開しているのかが論じられる。ここでの「理念=イデア」は、「モナド」と類似して、天空の恒星のように「孤立」した自存のうちにありながら星座的「布置」を描き出す存在であり、歴史の現象の「全体性」を潜在的に表現している。潜在的に関係性を表現するものとしての理念=イデアという読解は、草稿類も検討して論証され、説得的である。
関係性の表現という大まかな思考の論理について明確にされる一方で、具体的な現象レベルでの具体的叙述は少なく、理念と現象の関係についての具体的検討がなされないため、哲学やベンヤミンに通じていない読者には読みやすいものとは言えないが、優れた研究であることは間違いない。
今後、後期のベンヤミンの研究も展望されているが、本書のような密度で研究がなされれば、ベンヤミンの思惟の哲学的含意の理解は大きく進むことになるだろう。絶筆となった「歴史の概念について」でもモナドのモティーフは極めて重要な位置を占めている。本書でも触れられていた「可能的歴史」に関してはベンヤミンとライプニッツで大きく姿勢が異なっており、ベンヤミンは「起こらなかった過去」を思考の対象に組み込む(ジョルジョ・アガンベン『バートルビー——偶然性について』月曜社、二〇〇五年を参照)。この点は、ベンヤミンの歴史哲学にとって決定的に重要な箇所であり、ベンヤミン後期の「モナドロジー的思考」についても詳論が待たれるところである。(こばやし・てつや=京都大学准教授・ドイツ文学・思想史)
★ちの・ひろき=筑波大学助教・近現代ドイツ思想・文学・美学。東京大学大学院博士課程単位取得退学。共著に『実存思想論集37』など。一九八一年生。
書籍
書籍名 | ベンヤミンとモナドロジー |
ISBN13 | 9784588151408 |
ISBN10 | 4588151401 |