2025/07/18号 6面

フクシマ、能登、そしてこれから

著者インタビュー=藍原寛子『フクシマ、能登、そしてこれから』
著者インタビュー 藍原寛子  ジャーナリストの藍原寛子さんが、ルポルタージュ『フクシマ、能登、そしてこれから 震災後を生きる13人の物語』(婦人之友社)を上梓した。14年前の東日本大震災、そして昨年の能登半島地震に被災した人たちの語りを集めた記録であり、一人ひとりの生活を証しする日々の物語と、原発事故や戦争という歴史的な物語が交錯する希望の一冊だ。  著者自身も福島在住で、当時は震災のただ中にいた。本書の刊行を機に、藍原さんにお話を伺った。    (編集部)  ――藍原さんのこれまでのご活動を教えてください。  藍原 私は福島県福島市に生まれ育ちました。今はフリーのジャーナリストですが、首都圏の大学を卒業したのち、Uターン就職して福島民友新聞社という新聞社に勤めていました。 記者として医療関係の取材をする中で、海外で臓器移植を受ける患者さんやその支援者たちが「募金してまで臓器がほしいのか」という声を投げかけられる事態に遭い、葛藤していることを知ります。そういった世界に触れて、「いのちというのはどういうものなのか」「生きるというのはどういうことなのか」ということを深く考えるようになりました。 また、同社のいわき支社に勤務していた時期もあり、原発を取材することが多々ありました。原発では異常事象がよく起こっていました。それを報道しているうちに、原発は「安全」と一言で言い切れるものではなくて、むしろ、細かなチェックを綿密にしながら安全に注意を払って運転している、精密なものなんだなと実感するようになりました。  その当時、「原発が巨大地震や津波の被害を受けたらどうするんですか」と東京電力の職員に質問したことがあります。すると彼らは、「原発には安全装置があって、大きな衝撃が来たら原発自体をロックして壊れないようにするんです」と説明を返すのです。それで私も「そんなものかな」と思っていました。  そして、2011年にあのような地震と原発事故が起きます。福島で被災しながらボランティア活動をしている中で、ジャーナリストの神保哲生さんと浜通りの被災地でお会いしたのを機に、私も福島のことを内外に発信する仕事を中心に据えるようになりました。  ――本書は、各人各様の語りで、ふるさとである福島や能登への思いが述べられているのが印象的です。どういった動機から本書は編まれたのでしょうか。  藍原 私は自分が、福島とその外とを行ったり来たりしている人間だな、と思うんです。そうする中で、福島には良いところも課題もあるということを常に感じていたんですが、それらのすべてが災害によって壊れるわけです。  目の前でふるさとが壊れようとしている。そのときに、地域の人びとはどうしているかというと、それでも多様な形で行動しているんですね。対外的に発言したり、ジャーナリズムに携わったり、映画館を営んだり、ふるさとに戻って歌を詠んだり、平和憲法を守る運動をしたり。  そんな方々を知り、悲惨な状況の中でもそうやって活動をする人間の凄さ、素晴らしさを感じたんです。そしてそういう方々は、それぞれが語る言葉を持っています。いのちであるとか、平和であるとか、人同士の繫がりとか、それらを普遍性をもった言葉で語っていらっしゃる。私はそれこそが希望ではないかと思います。  また、本書には髙村薫さんとの対談が収録されています。これも本書を書くうえですごく大きな影響がありました。髙村さんは、原爆を国民の、集合の物語にしなかったのは政治の責任ですと仰った。では、この原発事故をどのように物語にしていくか。そう考えたときに私は、やっぱり顔の見える言葉にしたいなと思ったんです。  そのため、本を書くにあたってディテールにこだわりました。「神は細部に宿る」と言いますが、小さな物語の中にこそリアルや真実がある。皆さんリアルな体験の中から、すごく普遍的なものを語っていらっしゃるんです。そういうものを伝えていきたいと思って、本書を執筆しました。  ――その対談の中で藍原さんは、「科学技術と生活の間に大きなギャップがある」と仰っています。  藍原 そうですね。私が取材した皆さんは、自分が生きている日常に本当に丁寧に向き合って、毎日を大事に生きている方々ばかりなんです。今回の原発事故は、科学技術や政治をはじめとした分野に内在する「万能感」みたいなものを否定するものだったと思います。そして、日々生活を営んでいる方が抱く科学と生活の乖離による葛藤というのは、そこに存在する矛盾を言い当てるものだったのではないかと。  崖を重機で掘り崩して建設された原発、安全だと言われたそれが爆発した矛盾。本書で語られたように、戦時中、科学技術の粋を集めて原爆を作ろうとしながら、ウラン鉱山とされた崖を少年たちが手掘りさせられたという矛盾。そして、やっぱり能登ですよね。もし能登に原発があったら冷却水が取れなくなって、日本が大変なことになっていた。能登の場合は、科学が抱える矛盾を予測して、原発建設を未然に食い止めました。すごいコントラストだと思います。  ――本書は第一部と第二部とで、福島と能登を並べる構成を取っています。両者はどのように繫がっているんでしょうか。  藍原 やはり、被災しているのは同じ人間だということがまずは言えると思います。それと、二つの地域は大地震と津波に遭っている。私は能登の震災では現地を取材しながら救援に入っていたんですが、その時に3・11当時の福島の状況を、能登と比較してお伝えしたんです。「福島と比べて自衛隊が少ない気がする」とか、「物資も不足し、ボランティアも姿が見えない」とか。  ――現地の方はそれをどのように感じていましたか。  藍原 いろんな話を聞く中で、「私は福島から来ましたが、能登は原発がなくてよかったですよね」と言うと、皆さんガラッと雰囲気が変わるんです。「これまで福島のことを遠いどこかで起きたことだと思っていたけれど、こうして地震が起きてみると、すごく身近に感じられるようになった」と。そして、「東日本大震災は大変でしたよね」って、能登で被災している人たちが、逆に福島から来た私に労いの言葉をかけてくれるんです。その瞬間に、能登と福島が直結したって感覚がありました。  さらにまた私が福島に戻ると、今度はこちらの人が「能登は大丈夫かい、心配してるんだけど」って言うんですよ。災害が起こると被災者はどうしても孤立しがちですが、被災地を支援したり状況を改善するための知恵を提供したりしたいと思っている人もたくさんいる。そういうことを伝えて、私なりの励ましに繫がったらいいな、という思いも本書には込めています。  ――最後に、藍原さんの今後のご活動について教えてください。  藍原 引き続き福島に拠点を置いて、いろんなところを行ったり来たりしています。世界と日本と福島を繫ぐような取材をしていきたいと思いますね。そして、やはりベースは東日本大震災と原発事故です。  今、時代の流れとして、エネルギーやテクノロジーの問題はまさしく分岐点にあると思います。このまま続けていくのか、それとも新しい道をゆくのか。叡智を結集してもっと違う道を創っていけるのか、本当に望ましい社会を描き出せるのかっていうことに、長い歴史から学びつつ取り組んでいかないといけない。  さらには、歴史の分岐点、社会の転換点に立っているという自覚があるのか。このことは自分にも問いただしていることです。そういったメッセージを、これからも文章を書くときには伝えていきたいなと考えています。  世界中、日本中、そして福島県内のいろんな人たちの叡智に触れて、それを集合させていくような、ちょっと壮大な仕事ですけれど、その一端を担うことができたらうれしいし、やりがいもあるなって思っています。      (おわり)  ★あいはら・ひろこ=フリーランスのジャーナリスト。福島在住。福島民友新聞記者を経て、Japan Perspective Newsを設立、国内外に発信している。共著に『コロナと向き合う』がある。

書籍

書籍名 フクシマ、能登、そしてこれから
ISBN13 9784829210741
ISBN10 4829210745