2025/09/05号 4面

日本の福清出身華僑の生活誌

日本の福清出身華僑の生活誌 張 玉玲著 飯島 典子  タイトルを見ただけで今までありそうでなかった華僑華人研究書がついに世に出た、というのが本書を最初に手にした時の感慨である。福建華僑に関する研究は枚挙に暇が無いが、とかく焦点が閩南(福建南部)及び同地の出身者に絞られがちであり、北部の福清出身者を真正面から取り上げた研究がなかったのである。本書は華僑華人研究ではある程度知名度がありながら真正面から研究されることが極めて少なかった福清人を、時代を追って取り上げた労作である。  華僑華人研究者なら朧気ながら福清出身者が呉服を取り扱ったやや異色の集団であることくらいの認識はあるかもしれない。本書はその「呉服」に関しても詳しく言及している。正確に言うと彼らが取り扱ったのは呉服を仕立てる布(反物)であって、直接和服の販売に関与したのではない。しかし店舗を持たず商人が各地を回って顧客の自宅へ反物を売りに来る呉服行商人が、既製服が一般的に流通するようになった昭和三〇年代までは人々の生活に欠かせない存在であったことに鑑みれば福清商人の日本衣料流通における影響の大きさが自ずと察せられるであろう。  本書は俗に言われる三把刀(理髪、料理、洋服仕立て)から経済的な成功を目指す華僑華人とは全く異なる成功例を取り上げて日本華僑研究に新しい視座を開いたと言えよう。  本書の特徴は何と言ってもその対象調査地の新しさにある。第四章では熊本、鹿児島、第五章では三重、島根と、中国人コミュニティがあったとしても著名な「チャイナタウン」が存在しない県での福清人を取り上げている点が極めて斬新であった。今でこそTSMCの半導体工場で熊本と台湾の関係が日本全国に知れ渡ってきたが、上述の四県は決して華僑華人の存在感が強いとは言いがたい地域であった。  本書の特色の一つはあまり現代の日本人にも馴染みがない行商の実態が描かれている点である。福清出身者が行商の際に和服を着用していたこと、織物の産地としては有名だが華僑華人との接点としてほぼ語られることがなかった栃木の足利、群馬の桐生、東京の八王子と福清商人の接点が取り上げられている点にも刮目させられた。また福岡、熊本、鹿児島、三重、和歌山における福清華僑の活動が詳しく取り上げられている。  本書では日中の国交正常化まで政治に翻弄される二世の活動も詳しく取り上げられ、日本生まれの二世がどのように「祖国」を捉えていたかが描かれている。こうした二世の苦悩は福清華僑華人に限ったことではないが、広東、福建などの行政区と一致せず、且つ従来日本ではあまり研究対象でなかった福清に焦点を当てている所は興味深い。  宗教行事に関わる世代差については死者供養儀礼(普度勝会)が例に挙げられ、二世華僑は少なからずこうした宗教行事を「迷信」とする者が多かったが、時代に合わせて地震で亡くなった同胞を供養するなど時代に合わせた趣旨で開催され、日本育ちの福清人の腐心によってその「伝統」を現在まで受け継いでいる、と結論づけている。  中国系アーティスト本人そのものを取り上げた本以外、日本の華僑華人研究と芸術はあまり接点がなかったのだが、本書では熊本と華僑の接点として日本を代表する絵本作家葉祥明を取り上げている。中国系アーティストはどうしても欧米在住者が取り上げられがちで、日本生まれのアーティストが紹介される事例は希である。葉の作品はいずれも柔らかい色彩で広大な自然を描いており、中華文化の影響をその作品から感じ取ることは出来ない。また彼の四〇歳を過ぎてからの創作テーマが主に原爆、環境破壊、労力、貧困など地球規模の社会問題を取り上げている点からも、葉が一人のアーティストとしてメッセージを発していることが分かる。なお、アンパンマンの作者であるやなせたかしに見いだされたことが、葉がメルヘン作家として名を知られるきっかけになっていたという。葉自身の「華僑である前にぼくは人間である」という言葉が絵本作家としての彼の哲学を象徴している。  最後に著者は今までの世界の華僑華人研究を回顧し、今後の展望を示している。人の移動が盛んになるにつれてエスニック境界論が注目を集めるようになり、エスニック集団としての華僑華人研究が台頭するに至った。周知のように既に華僑華人研究は厖大な蓄積があるが、とかく「華僑華人らしさ」や中国との「切っても切れない緊密な関係」に焦点を当てるものが多く、それらが研究の発展に貢献したことは疑いが無いが、その大部分は華僑華人の側に焦点を当てたもので、移住国(ホスト国)の一般の人々が彼(女)らをどう見ていたのか、についてはまだ厖大な研究の余地が残っていると言えよう。  また「ディアスポラ」も近年の華僑華人研究を語る上で外せないキーワードであるが本書が指摘するようにディアスポラ状況下にある人々の階級的差異にはあまり注目が集まっていなかった。貧困故のやむを得ない移動なのか、情報と資産が潤沢な故の先見性に基づいた移動なのか、という点に焦点を当てる研究は一つ間違うと経済格差を黙認されるような風潮を作りかねないのだが、研究者が人の移動と移動する人々の情報や経済力の格差に目を背けていては華僑華人研究のみならず移民研究そのものの発展を阻害しかねない。本書はアジア研究では確立したと思われる華僑華人研究を取り上げつつその切り口は大変斬新で、広げた時に全体に前衛的な絵画が描かれていることが分かる、衣桁に掛けられている和服を見る様な思いであった。(いいじま・のりこ=広島市立大学准教授・中国近代史・華僑論)  ★チョウ・ギョクレイ=南山大学外国語学部・国際地域文化研究科教授・人類学研究所第二種所員・文化人類学・華僑華人研究。著書に『華僑文化の創出とアイデンティティ』(二〇〇九年度日本華僑華人学会研究奨励賞受賞)、共著に『変わる中国 変わらない中国』など。

書籍

書籍名 日本の福清出身華僑の生活誌
ISBN13 9784879844637
ISBN10 4879844632