やなせたかしの生涯 梯 久美子著 歌代 幸子  真っ赤な飛行服にマントを翻し、困っている人のもとへ飛んでいくアンパンマン。お腹を空かせた人がいたら、自分の顔を食べさせて――。そんな奇想天外なヒーローの生みの親、「やなせたかし」は詩人でもあった。『てのひらを太陽に』の作詞や、『愛する歌』などの詩集を手がけ、雑誌『詩とメルヘン』では長年編集長をつとめ、多彩な活躍が心に残る。  その仕事場を取材で初めて訪れたのは、やなせさんが79歳の頃だ。休みなく絵を描く傍ら、郷里の高知でアンパンマンミュージアムを作り、チャリティイベントも手がける多忙な日々。それでも、「困っている人がいれば何とか助けてあげたい。それで僕は満足なんですよ」と、朗らかな笑顔がすてきだった。  取材の帰り、アンパンマンが最初に登場した絵本『あんぱんまん』を買うと、アニメとずいぶん違っていて驚いた。アンパンマンはボロボロのマント姿でひっそり空を飛び、砂漠で倒れた旅人や森で迷子になった子を救う。自分の顔をすっかり失ったアンパンマンは雨にぬれて雷に遭い、パン工場の煙突へ墜落。そこで顔を作り直してもらうと、またどこかへ飛び立つ……。あとがきにはこう書かれていた。  〈ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです〉  やなせたかしという人はいかなる思いで、アンパンマンを生み出したのか。本書はその生涯と哲学を丹念にたどった作品である。著者はかつて『詩とメルヘン』の編集に携わり、やなせさんを師と仰いできたという。没後10数年にして書き下ろした伝記は、かけがえのない師と出会い直す旅でもあったと顧みる。  それは幼い日の情景から始まる。新聞社の特派員として赴任した中国で急逝した父の葬式の日。弟は開業医の伯父の養子となり、後に嵩も、再婚する母に置いていかれる。父母への思慕は生涯にわたって抱き続けた。  やがて絵の道を志す嵩にとって、後に描くテーマの根幹を成すのが戦争体験だ。軍隊で味わった飢えの苦しみ。敗戦によって信じてきた「正義」が覆されたことで、失われた命の重み、本当の正義とは何かを模索していく。  戦後、嵩は新聞社で出会った暢を伴侶に、東京で漫画家として独立。だが、ヒット作を出せず、下積みの生活が続く。頼まれる仕事は何でも懸命にこなし、ようやく転機が訪れたのは54歳の時。絵本の依頼を受け、初めて幼児向けに描いたのが『あんぱんまん』だ。  自分の顔を食べさせて飢える人を救うヒーロー。それは「残酷だ」と世の大人たちには不評だったが、子どもたちに愛されていく。この作品に込められたものは、生きるとは何か、命とは、愛とは……という真摯な思いであった。  94歳で人生の幕を閉じるまで、アンパンマンを描き続けた「やなせたかし」。著者は、その生涯を貫く哲学をこう述べている。〈いのちはいつか終わるが、それはすべての終わりを意味しない。犠牲をいとわない勇気はすなわち愛で、それはかならず引き継がれていく。だから生きることはむなしいことではない〉と。生きる希望を届けるために、アンパンマンは今日もどこかの空を飛んでいるのだろう。(うたしろ・ゆきこ=ノンフィクション作家)