書評キャンパス
武田綾乃『愛されなくても別に』
佐藤 葵
何をどう思われてもいい、愛されなくても別に。それが母親に対するアンサーだ。
本書は毒親を持つ三人の女子大生の物語である。浪費癖のある母親と二人で暮らしながら、大学の学費と毎月家に入れる八万円を稼ぐためにバイトに明け暮れる宮田、父親が殺人犯で、体を売ることでお金を稼ぐことを母親に強要された江永、過干渉の母親から逃げて居場所を求め宗教に入った木村。ある日、宮田は母が自分の奨学金を使い込んでいると知ったことをきっかけに、家を出て江永と暮らし始める。
見た目も性格も正反対の二人。二人の生活は、江永の父親の被害者親族に後をつけられたり、命を狙われたり、木村を宗教団体から救い出そうとしたり、奇妙で決して安全とはいえない。だが互いを決して否定することなく、共鳴し支えあいながら、母親と離れて自分達の人生を生きようとする。
彼女らの生活は大人から見たら無計画で無謀に見えるかもしれない。けれども本人たちは目の前の明日を生きるために必死に考えて選択している。親と仲良く付き合うような明るい世界ではなく、向き合わなくてもいいし、諦めてもいい。これは親と決別すること、自分で自分の人生を生きることの真価を問う物語だ。
三人の母親がそれぞれの娘に強いた、経済的搾取、性的搾取、自由への抑制、これらは親だからという一言で決して許されるものではない。けれども彼女らの目に映る母親は完全なる悪人ではない。彼女らの幼少期の記憶にある、一緒にご飯を食べて暮らして、苦しい中でも娘を必死に守り育て上げようとする姿。可哀そうな母親であること、親から子への愛情が確かにあること。読んでいてこれらがよく伝わってくるから、もどかしい気持ちになった。
筆者自身も母親に対して強烈な息苦しさと圧迫感を感じた身だからわかる。血の繫がりがあって愛されていた事実があるから、どんなに酷いことを言われても、されても嫌いになりきれない。悔しいくらいに。脳内に張り巡らされた常識が許せと身体を這いずり回り、子であれば全て許さないといけないのかと心が悲鳴を上げ、ぶつける当てのない感情に苛まれる。愛しさの方向を間違えた先の恐ろしさ、何をされてもある程度の年齢までは共に過ごすことを余儀なくされてしまう子どもの無力さと、親という絶対的存在に腹が立った。「愛している、あなたのためを思って」は免罪符にはならない。
終盤の宮田が母親に言い放った「私、家族辞めるよ」という言葉は、内容は重くとも明るく前向きなものにみえた。自分のために家族を捨てる選択肢があること、その先の生き方は自分次第。愛されずに生きることを許されたいと願う彼女らには芯の強さと覚悟がある。
この世界を生きるためには、あと一つだけ支えが足りない。彼女らにとってそれは孤独の昇華だった。一人じゃない、心休まる家を手に入れられたから、自分の人生を生きる選択ができるようになった。
死にたがりが多いこの世の中で「愛されなくても別に」と素直に思える強さ、自分で自分を偽らないまっすぐさ。筆者もその強さが欲しいと思った。選ばれるより選ぶ人生を歩みたい。だからこそ、日の当たらない場所でもがく人々、母親という存在に苦しむ人々の手を取れる人間になりたい。同じ目に遭わせない、最後の支えになりたい。本書を読み、改めて心に決めた。
★さとう・あおい=二松学舎大学文学部国際日本・中国学科3年。着実に前進し続ける実感と停滞した果てに何者にもなれなかった将来の恐怖を原動力に就活中。誰も傷つけずに良いものを創る、どんな仕事に就いてもここは譲らない。
書籍
| 書籍名 | 愛されなくても別に |
| ISBN13 | 9784065317129 |
| ISBN10 | 4065317126 |
