大地からの中国史
大澤 正昭著
村井 恭子
本書は人間と大地との関係を時間軸の中で捉えるという農業史研究の視点から、広大な中国史を読み解こうとする意欲的な一冊である。著者は中国各時代の農書を丹念にひもとき、食糧と衣料を生み出す農業技術の発展の様相を描き出す。そこから浮かび上がるのは、王朝の興亡の陰で連綿と中国の基層社会を支えてきた農民たちの力強い営みである。歴史史料の制約という壁に挑みながら、国家と対置される圧倒的大多数の庶民、すなわち農民の日常をあぶり出そうとする著者の試みは、政治・制度史中心の中国史研究が多い中にあって、非常に野心的である。
本書は序章と終章に加え、八つの章で構成されている。各章には親しみやすいタイトルが付されており、歴史概説書としての丁寧な配慮が窺える。しかし、その内容は決して平易ではなく、むしろ専門知にあふれた重厚さを感じさせる。
序章では本書の研究視点となる三つの軸が示される。すなわち農業生産力と経営、生産力の三要素(=作物・農具・耕地)、消費地としての都市と物流であり、これに沿って本文では具体的な問題が掘り下げられていく。なお、歴史概説書として時間のとらえ方も示されるが、考察の要となる農書等の史料を中国史の時期区分に対応させ、年表として示したアイデアは斬新で、これにより読者は各時代の農業技術の変遷を視覚的に捉えながら読み進めることができる。
本文で取り上げられるテーマは、稲作における田植えから、アワ・コムギの乾地農法、それらの調理法、犂の改良、喫茶の流行と茶の木の栽培法、唐代長安の近郊農業と野菜、養蚕と桑の木の栽培法、肥料の開発と「糞」の利用法、そして農業経営と農民の状況に至るまで、多岐にわたる。それぞれのテーマにおいて歴史的な状況の変化も考察されており、時間軸に沿った奥行きのある理解が得られるように工夫されている。さらに、著者は中国の農業の理解が日本の農業への知識にも繫がると指摘し、随所で農業活動の日中比較という視点を取り入れている。
読み進めていくと、各時代の農民の知恵と工夫に感嘆させられる。種や苗の植え方、植樹の間隔や剪定の技術、肥料の種類と発酵の手順、農具や作物品種の改良等々、長い時間をかけて編み出された技術と道具が農業生産を向上させ、その農産物が王朝・国家の根幹となる税として徴収されるという、リアルな構造が見えてくる。政治・制度史では、これらの農産物は単なる税額という数字でしか認識できないのとは対照的である。
歴史学において史料が不可欠な考察材料であることは言うまでもない。本書副題の「史料に語らせよう」とは、ただ古い記録を現代日本語に翻訳して紹介するといったものではなく、記録そのものの復元作業と解釈、他の記録との比較といった高度な情報整理と分析を伴う知的営為であり、まさに歴史研究者の手腕が試される部分である。本草書の図像史料を例に挙げよう。食用野菜の図において葉や根の描かれ方から当時の人々が食用として注目していた部位を読み解き、異なる時代の図像と比較することでその認識の変化を指摘している。この著者の手法には思わず膝を打つ。本書全体を通して見られる著者の卓越した史料操作の技術もまた本書のもう一つの魅力と言えよう。
本書を読み終えた後、我々の目の前にある農作物が、農家の人々のどのような工夫と苦労を経てここにたどり着いたのか、その背景にある物語に思いを馳せるようになるだろう。昨今の日本ではスーパーの棚から米が消えたり、東京都心で農家らの「令和の百姓一揆」と銘打つトラクターデモ行進が行われたりするなど、食料を取り巻く状況は決して安泰ではない。農家の減少により、それぞれの土地に合わせて独自に発展してきた農業技術・ノウハウの喪失が起こることは想像に難くない。本書を読むことで、日本の第一次産業が直面する危機的状況をも、より深くより親身に受けとめることができるだろう。(むらい・きょうこ=神戸大学大学院人文学研究科准教授・中国史)
★おおさわ・まさあき=上智大学名誉教授・中国史・農業史・女性史。著書に『陳旉農書の研究』『唐宋変革期農業社会史研究』『唐宋時代の家族・婚姻・女性』『妻と娘の唐宋時代』、共著に『主張する〈愚民〉たち』『春耕のとき』など。一九四八年生。