2025/10/17号 6面

「読書人を全部読む!」10(山本貴光)

読書人を全部読む! 第10回 自然科学コーナーの盛衰  かつて「週刊読書人」には科学書や工学書の書評や科学用語の解説などを載せる「自然科学」コーナーがあった。前回はその様子を覗いてみたところだった。  ところで、私が「週刊読書人」と「図書新聞」を週に一度の楽しみにし始めたのは、1990年代はじめ頃のこと。それ以来、数えてみれば30年近くこの2つの書評紙を読んでいるわけだが、その頃すでに自然科学方面や理工系の書評が載ることは、さほど多くなかったと記憶している。そんなこともあって、日本の書評紙といえば人文・社会科学方面のものという印象を抱いてきた。  それが不満というわけではないけれど、もっと理工系の本も書評が載るといいのにな、と思わなくもない。それをきっかけに異なる関心の人が同じ新聞を手にとって読み、はからずも目に入った関心の外にあった本に出会う、ということがもう少しあってもよい気がしている。ウェブの各種サーヴィスですっかり普及している機械的なレコメンドともまた違ったかたちで本と出会う場として、書評紙にはまだできることがあるのではないか、と思ったりもする。  もっとも、理工系の書評が少ないことにはいくつか原因が重なっているのだろう。例えば、大書店や理工系大学の生協などを除くと、書店の棚に占める自然科学の本の割合は多くないし、そもそもこの方面の研究は論文として発表されることが多いといった事情も関わってのことかもしれない。  書評新聞は人文・社会科学が中心のものと思っていただけに、本紙の創刊(1958年)当時からしばらくの号に「自然科学」コーナーがあるのを見て、これはいいなと思ったのだった。では、当初「文学芸術」「社会科学」その他と同じく一面を充てられていた「自然科学」コーナーは、いつ頃なくなったのか。これは先へと読み進める際、気にしてみたいポイントの一つだ。  少し大きく見ておくと、創刊号から1960年代前半では、次のようなことに気がついた。一つはコーナー名の変更がある。はじめは「自然科学」だったのが、第324号(1960年5月9日)から「科学技術」と変わっている。後者の「科学技術」は、戦後日本の復興へ向かう動きのなかで重視されたものでもあり、科学技術庁の設立(1956年)や科学技術立国といった政策の用語という面もある。  それからもう一つ、「科学技術」コーナーと改題されてから、徐々に紙面に占める割合が減っていく様子も目に入る。1961年4月あたりまでは、おおむね一つの面の半分程度(広告は除く)が「科学技術」に充てられている。これが同年半ばから3分の1、あるいは4分の1程度に減ってゆく。あくまで印象だが、その分「社会科学」コーナーの面積が増えたように見える。1959年から1960年にかけては安保闘争の時期であり、この頃の「週刊読書人」の一面は、政治に関する話題が多い。  「科学技術」コーナーは、1961年10月頃から掲載されない号が目立つようになり、翌年には掲載されない号のほうが多くなっていくようだ。なぜかは分からない。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)