戦国大名の領域支配構造
伊藤 拓也著
谷口 雄太
ドラマやゲームなどを通して人気のある戦国大名。この存在を研究者たちはどう見ているのか。これまで主に二つの見方があった。一つはその支配を強固で安定した統一的なものと捉える理解、もう一つはそれを多様で不均衡、流動的で不安定なものと見做す見解である。この一見相反する見方に対し、著者は「戦国大名の典型」とも考えられてきた相模北条氏を事例に整合的な説明を試みようとする。北条氏や戦国大名の研究は膨大にあるなか、果敢に挑む著者に敬意を表したい。
結論として著者は、この二つの見方は両立するとして、後者(多様な現実)を踏まえたうえで、支城制・貫高制という統一基準も敷いていくことにより前者(一定の統合)を果たしえたとする。前者か後者かの二者択一ではなく、この二つがどう共存していたのかを説明しているのである。評者も、戦国期を含む中世の分裂と統合の二側面を、いかに把握し理解すべきかについて考えたことがあり(『分裂と統合で読む日本中世史』山川出版社、二〇二一年)、著者の姿勢に賛同する。
右の如き結論を導くために、著者は北条氏の六つの「領」を具体的かつ詳細に検討した。すなわち、武蔵小机領・武蔵江戸領・相模津久井領・武蔵滝山領・武蔵鉢形領・武蔵松山領である。北条氏は相模小田原城を本城とし、支配下の各地域に支城・支城主を中心とする領を設定した。こうした①本城領と②支城領、さらには③服属領主の支配地域から、戦国大名領国は構成される。
このうち、②支城領の主については、おおよそ(A)城代的な立場と、(B)領主的な立場の二パターンがあり、両者の差異が指摘されてきた。とくに後者については、滝山の北条氏照や鉢形の北条氏邦が、もともといた大石氏や藤田氏ら戦国領主の立場を継承した側面が重視されてきた。支城領が多様であり複雑である以上、戦国大名領国のイメージは不均衡で非統一的なものとなる。
これに対して著者は、後者については、表面的な承継よりも実態的な再編に注目すべきであるとし、そして、②支城領については、(A)でも(B)でも同じく支城制と貫高制が敷かれていた点にこそ着目すべきであるとして、その共通性を強調する。多様で複雑とされてきたけれども、実はシンプルな制度・志向として支城制はあったのだという。かかる見解は、著者の師で戦国史研究の大家である成蹊大学名誉教授・池上裕子氏の理解を、発展的に継受したものといえよう。
本書の大枠は以上の通りで、個々の実証から大きな見取り図を描いた点、今後の研究や学界に益するところ大であることは疑いない。そのうえで、評者が特に注目した点をいくつか述べたい。
まず、序章・終章を除く全六章構成のうち、第五章(鉢形領)の分量が桁外れである点。他が約二〇頁、注も二〇から五〇のなか、一〇〇頁以上、注の数も二〇〇を超える。場合によってはいささかアンバランスではないかといわれるかもしれない。しかし、既出論文には鉢形に関するものが多く、そこが著者の研究の原点と思われ、評者はむしろ本章にかける熱量に感じ入った。
そして、その内容が実に厳格である点。関係する諸研究・研究者が是々非々で、徹底的に批判されていくのである。例えば、自説に都合のいいように史料の日付を誤記としてずらした者に対して、「筆者はこれには賛成できない。写ならともかく、原本の史料で日時を決める最重要な情報である年月日をずらすことは安易にすべきではないと考える。大げさにいえば、それをしてしまえば文献史学の重要な前提を崩してしまうように思えてしまうのである」(一三四頁)と的確かつ厳しく追及する。学界・学会にも腐敗や忖度、ムラ社会が横行するなか、先行研究を無視したり軽視したりすることなく、誠実に向き合い、しっかりと格闘する姿は、見ていて気持ちがいい。
さらに、「あとがき」が読ませる点。「二八歳、二〇〇二年。私は絶望の淵に立っていた」から始まる物語は映画である。著者のその後のストーリーがどう紡がれるのか、次回作が待ち遠しい。(たにぐち・ゆうた=青山学院大学文学部准教授・日本中世史・中世東国史)
★いとう・たくや=成蹊大学大学院文学研究科社会文化論専攻博士後期課程満期退学・日本中世史。主な論文に「伊勢(北条)早雲の小田原城攻略」など。
書籍
書籍名 | 戦国大名の領域支配構造 |
ISBN13 | 9784868320029 |
ISBN10 | 4868320025 |