2025/10/17号 5面

激動の時代

激動の時代 マリオ・バルガス=リョサ著 立林 良一  本作は今年四月、八十九歳で逝去したペルーのノーベル賞作家マリオ・バルガス=リョサが二〇一九年に発表した、最後から二番目の長篇小説である。タイトルの「激動の時代」とは、もともと隠れユダヤ教徒やイスラム教徒が厳しく取り締まられ、異端審問にかけられていたスペインの十六世紀を指す。カトリックのスペインにおけるこの時代が、共産主義と疑われた人々が「赤狩り」によって次々に社会から抹殺されていった、二十世紀半ばのアメリカの状況に重ね合わされている。  中心となるテーマは中米グアテマラで起きた、一九五四年のアルベンス政権崩壊である。あくまで民主的な手法で貧しい農民のための農地改革を押し進めようとしていたアルベンスに対し、この国で大規模なバナナプランテーション経営を展開していたユナイテッド・フルーツ社は、自社の権益が損なわれることを恐れ、巧みな情報操作によってマスコミを誘導し、アルベンスの背後にソ連の手が及んでいるという報道がなされるよう仕向けた。その結果、中南米を自国の裏庭と見なす冷戦期のアメリカ政府はグアテマラの共産主義化を阻止すべく強力に介入し、政権崩壊を実現させるに至ったのである。  一九五九年のキューバ革命に先立つこのグアテマラの政変においてアメリカが果たした役割はかなり詳細に明らかになっており、本作もそうしたデータを踏まえた上で描かれている。事実に基づく歴史小説として、この政変に関わった多様な人物が登場するため、日本人読者は耳慣れない固有名詞の多さに振り回され、なかなか物語の流れに入っていけないと感じるかもしれない。  バルガス=リョサの小説家としての本領が発揮されるのは、アルベンス政権崩壊の後を受けて権力を握ったカスティーリョ・アルマスの暗殺と、実行犯たちのその後が描かれる短めの偶数章である。ドミニカ共和国から駐在武官としてグアテマラに赴任したアッベス・ガルシアと、その愛人ミス・グアテマラがカスティーリョ暗殺に深く関与していたとされるが、この点については様々な証言が存在するため、作者は自らの想像力によってひとつの物語としての歴史を読者に提示している。特にミス・グアテマラについては、モデルとなった女性が存命中だったため、その造形には大幅に手が加えられており、読者は、ありえたかもしれないひとつの歴史解釈として物語を楽しむことができる。  作者が六十年以上前の中米の政変をテーマに選んだ背景には、アメリカという国への屈折した思いが強く感じられる。彼は若い頃キューバ革命に強く惹かれながら、カストロ政権の独裁化を機に反社会主義に転じ、欧米的な民主主義の道を選ぶことになったが、民主主義を標榜するそのアメリカが冷戦期、中南米においては力による介入を繰り返し、時には民主政権を倒して独裁政権を作り出すことさえいとわなかった。一九七三年にチリでCIAに後押しされたピノチェト将軍がアジェンデ社会主義政権を崩壊に追いやった際、ガルシア=マルケスはこれに抗議して断筆を宣言し、アメリカに対する抵抗のシンボルとしてのカストロとは生涯親交を保ち続けた。そうした親カストロのガルシア=マルケスを厳しく批判し続けたバルガス=リョサであったが、冷戦に勝利したアメリカが、二十一世紀に入ってむしろ一国主義的な姿勢を強めているのを目にしたとき、二〇一四年に亡くなったガルシア=マルケスへの和解の思いが生じ、それが本作執筆を促す力として作用したように思われる。  「以後」と題された最終章において、執筆を終えた作者がミス・グアテマラのモデルとなった人物をアメリカに訪ねたときの様子がドキュメンタリー風に語られている。これは、ペルーにおいてあっけない失敗に終わった革命の顚末を描いた一九八四年の『マイタの物語』の最終章と重なり合う。しかし、『マイタ』においてはこれが、一人の作家が虚構の物語を作り出す過程そのものを物語るメタフィクションとして重要な意味を持つのに対し、本作では創作の舞台裏を明かすにとどまっているところに物足りなさが残った。(久野量一訳)(たてばやし・りょういち=同志社大学講師・ラテンアメリカ文学)  ★マリオ・バルガス=リョサ(一九三六―二〇二五)=ペルー生まれの作家。一九五九年に短篇集『ボスたち』でデビュー。一九六三年に初の長篇『都会と犬ども』でビブリオテカ・ブレーベ賞受賞。二〇一〇年にノーベル文学賞を受賞。

書籍

書籍名 激動の時代
ISBN13 9784867931035
ISBN10 4867931039