新冷戦をこえて
髙坂 博史著
岩間 陽子
今年はヨーロッパデタントの金字塔であるヘルシンキ最終文書から50年である。NATO(北太平洋条約)とワルシャワ条約機構諸国に加え、非同盟中立諸国をあわせた35ヶ国の首脳が一堂に会して署名したこの文書とそれを産んだCSCE(ヨーロッパ安全保障協力会議)には、我が国でも従来から関心が寄せられてきた。その後継であるOSCE(ヨーロッパ安全保障協力機構)を一つのモデルとして、アジアにおける安全保障制度を考えようという動きもある。
いまだに終わる気配のないウクライナでの戦争のため、今年はそれほど大きな記念行事もなさそうであるが、ヨーロッパデタントが冷戦の平和的終焉に貢献したことは、疑いがない。その真価はおそらく本書が扱っている80年代前半のいわゆる「新冷戦」と呼ばれる時代にこそあったのだが、実態についていまだ十分に解明されているとは言えない。髙坂博史氏はその空白を埋め、英仏の一次史料を重点的に使用して、ヨーロッパデタントの軍事的安全保障の側面の重要性を解明する。
この時代、ソ連によるアフガニスタン侵攻、ポーランドでの戒厳令などをきっかけに東西関係は一気に冷えこみ、そこに大韓航空撃墜事件、アメリカによるグレナダ侵攻、NATO諸国による軍事演習「エイブルアーチャー83」などのできごとが重なり、緊張は一気に高まった。
髙坂氏は1977年にフランスから提案されたヨーロッパ軍縮会議(CDE)に注目して、この構想がくり返し襲う荒波を乗り越え、86年9月22日のストックホルムでの合意文書採択に至る過程を追っている。この合意文書で、奇襲攻撃や偶発戦争を不可能にすることを目的に、多くの信頼醸成・安全保障措置の詳細が合意された。その過程がこれまで詳細に扱われることが少なかったのは、CDEの知名度の低さに加え、いくつかの原因があっただろう。
一つはアクターと「場」の多さである。東側、西側、非同盟中立諸国というブロックは一応あったが、その中でも立場は一様ではなかった。さらに、CSCEとその再検討会議、NATOに加えヨーロッパ共同体におけるEPC(ヨーロッパ政治協力)、G7、様々な二国間交渉と、実に多くの「場」を縦断して交渉は続いていく。それらを入念に解き明かした髙坂氏の忍耐力には敬服する。
また、似たような名称の会議もたくさんあり、初学者にはなじみにくいかもしれない。CDE一つとっても、81年4月に正式名称は“Conference on Confidence-and Security-Building Measures and Disarmament in Europe”に変わっている。西側のCDEに対して東側がCMDD(ヨーロッパでの軍事デタントおよび軍縮に関する会議)の名称を好み、折衷案として非同盟中立諸国の提案したこの名称が採択されたからである。信頼・安全醸成措置(CSBM)はユーゴスラビアの提案した名称であった。さらにCDEが最終的に到達した合意内容に関しても、わが国では知られていないため、もう少し具体的に触れてもらうと、意義が理解しやすかったかもしれない。
しかし、この時代の研究の新しい地平を切り開く、画期的業績であることは間違いない。従来のCSCE研究は人権問題や経済協力に関心が集中しがちであった。しかし、東側の真の関心が軍事的安全保障にあったこと。それを知りつつ西側は人権問題をしばしば交渉材料として使ったこと。米ソ間で対話が難しい時期にもヨーロッパにおける対話の継続が実は米ソにとっても非常に役立っていたことなど、一次史料研究なしには知ることができない事実が多く指摘されている。東側がそれほどまでに軍事的安全保障を求めた裏には、当時のアメリカの軍拡やNATOの二重決定の帰結としての中距離核配備など、いくつかの要素が影響していたようである。
さらに、複数国の一次史料を突き合わせることで、今後さらに深い理解が可能になるであろう。今後アジアで軍備管理・軍縮外交、デタント外交を推進しようとする際に、参考になる点が数多くある重要な研究である。(いわま・ようこ=政策研究大学院大学教授・国際政治・欧州安全保障)
★こうさか・ひろふみ=名古屋市立大学大学院人間文化研究科グローバル文化コース講師・国際関係論。一九九〇年生。
書籍
書籍名 | 新冷戦をこえて |
ISBN13 | 9784815811914 |
ISBN10 | 4815811911 |