2025/09/26号 8面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 80・一柳慧(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第80回 一柳 慧(一九三三―二〇二二)  前回、作曲家の近藤譲さんについて書かせてもらった。そうしたら、わたしのなかでもうひとりの作曲家も取り上げなければ、という思いが湧きあがった。それが一柳さん。  だが、一柳さんとわたしのクロスオーヴァーについては語るべきことがほとんどないことに気がついて愕然。一度だけ一柳さんが住んでらした渋谷のホテルのロビーで二人だけでお話ししたことはあったが、それはわれわれ二人の企画で行うイベントの相談だった。  そのイベントが、神奈川県芸術文化財団の芸術総監督だった一柳さんの発案で、二〇〇二年から〇六年まで、毎年一月に神奈川県立音楽堂で開かれた音楽堂シンポジウム《21世紀における芸術の役割》。その企画・進行がわたしにまかされたのだった。  もちろん、いろいろなコンサートで作品を聴いたことはあったが、特に一柳さんとの接点はなかった。どうしてわたしに白羽の矢がたったのか。おそらく、「音楽」という枠を超えて広く「21世紀における芸術」を問うという過激な「実験」の共演者として、わたしを呼んでくれたのだったか。  なにしろ掲げたテーマが、「都市と芸術」、「〈西欧〉の限界を超えて」、「科学と芸術の対話」、「いま、〈過激〉を問う 現代芸術の創造的破壊について」、「いま、芸術とはなにか?」。それに応じて、安藤忠雄、野平一郎、中沢新一、藤枝守、鶴岡真弓、中村桂子、池内了、宮田まゆみ、岡崎乾二郎、川俣正、相内啓司等々の分野の異なる専門家に登場してもらって講演・対話・実験・演奏を行った。まさにそれぞれの専門領域を超えたクロスオーヴァー。それを通して、21世紀という時代の芸術の運命を語り合ったのだった。  その第四回「いま、〈過激〉を問う」では一柳さん自身が登壇して二〇世紀の〈過激〉の一端、ブソッティから松平頼暁に至る図形楽譜の系譜を紹介してくれた。そのなかに一柳さん自身の六〇年代の「ピアノ曲第四番」、「ピアノ曲第六番」、「弦楽器のために」の三曲があって、それを同時にその場で演奏するという〈過激〉。  ところが、それを受けて、わたしがさらに〈過激〉に走る。「クラスターかグリッサンドの二つの奏法のどちらかで、手か指かあるいは拳骨で、鍵盤上で弾く。限りなく早く、限りなく大きい音で……」と書かれている「ピアノ曲第六番」を、「皿などの台所用品、拡声器なども用いたキッチン・ヴァージョン」として拡大して演奏し一柳さんに捧げようと言い放って、ピアニストの中川賢一さんだけではなく、ダンサーの山田うんさん、それにわたしまで加わって演奏したのだった。  わたしがコンサートホールで観客を前にしてピアノを「弾く」なんて!わが人生でも唯一無二の過激な出来事であった。  パフォーマンスのあと、わたしは言った「六〇年代に一柳さんは自由を求めてニューヨークに行かれました。演奏家を自由にし、観客を自由にし、作曲家も自由になって、ピアノも八八個の音から自由にしてやる。そんな熱い自由への渇望があった」と。その渇望に今世紀の若い人たちが共感できるのだろうか、とわたしが投げた問いに、一柳さんは、笑顔を浮かべながら「昔のあのような環境にいた者としては、できればいまの整った環境を破壊したいですね」と穏やかに言い放つのだった。限りなく穏やかに、しかしあくまで過激に!  いまの時代、もう一度〈過激〉を学び直さなければならないのではないだろうか。(このイベントの記録は、小林康夫・編『21世紀における芸術の役割』(未來社)で読むことができる)。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)