2025/07/25号 2面

ドイツ赤軍Ⅰ 1970―1972

ドイツ赤軍Ⅰ 1970―1972 RAF著 高橋 順一  待望の本が出版された。初の本格的なドイツ赤軍(RAF)に関する資料集の翻訳である。ドイツ赤軍といえば、西ドイツ経団連会長シュライアーの誘拐・殺人事件、ソマリアのモガディシオ空港で起きたルフトハンザ機内における凄惨な銃撃戦、RAFの幹部であったアンドレーアス・バーダーらの刑務所内での謎の死などの事件がもたらした過激なテロリストというイメージだけが独り歩きしてきた。ライナー・ファスビンダーらの合作映画「秋のドイツ」や、幹部の一人グードルン・エンスリンをモデルとしたフォン・トロッタの映画「鉛の時代」によって、一方的なテロリストキャンペーンとは異なるRAFの描き方の試みもなされたが、RAFはいったいどのような思想や理論に基づいてあのような急進的な行動を展開したのかは一貫して不明なままであった。今回本書が公刊されることによってRAFの行動の背景をなす思想や理論が初めて明らかになり、同時代の日本の新左翼運動との比較、さらには最も重要な、あの〈一九六八〉という時代状況のなかからなぜRAFは登場してこなければならなかったのか、その歴史的背景を考察する条件が整ったことになる。最初に大変な苦労を重ねたに違いない初見たち訳者に対して感謝をこめて「ご苦労様」と言いたいと思う。特にその資料及び訳注の詳細さは特筆に値する。  私は本書を通じて、〈一九六八〉の時代に全世界的に勃発した若者たちの政治的・社会的反乱の奔流の中から、街頭デモやゼネスト・サボタージュ、学園のバリケード占拠というような大衆反乱というべき闘争の形態を超えて銃や爆弾を使用する武装闘争が、もはやロシア革命型の武装蜂起は起きないと言われていた先進諸国においてなぜ展開されるようになったのかを、RAFの資料を通してあらためて考えてみたいと思った。その意味で一九七一年五月に発表された「西ヨーロッパにおける武装闘争について」という文章に一番興味を唆られた。本書中最も必読の文章といえよう。   RAFは一九七〇年から七一年にかけて誕生した。日本における赤軍派の誕生とほぼ同時期であった。この時期に各国で同時的に武装闘争への志向が生まれた。「都市ゲリラ構想」のなかで、〈一九六八〉の主軸である学生反乱と武装闘争路線の関係について、「マルクス・レーニン主義を少なくとも知識人層の意識内では、それなしには政治的・経済的・イデオロギー的事実とその現象諸形態を概念化できず、それらの内的および外的連関を描きえない、そのような政治理論として再構築したことは、連邦共和国および西ベルリンにおける学生運動の、彼らの市街戦、放火、対抗暴力行使、彼らの情熱、またそれゆえの逸脱や無知、端的に言えば彼らの実践の功績だ」(68頁)という文章があるが、ここからは、第一にRAFが〈一九六八〉の学生運動の急進化、とくに既成左翼の合法的・漸進的な闘争戦術に対抗する「過激」な戦術を取ったことを背景に登場したことが読み取れる。この点は日本の学生運動の急進化の中から赤軍派が生まれたのとよく似ている。そして二番目にそのことを「マルクス・レーニン主義」の再興として位置づけていることが挙げられる。「西ヨーロッパ」文書を読めばその焦点が、「何をなすべきか」におけるレーニンの前衛党論と国家暴力装置論及び毛沢東の遊撃戦論であったことは明らかである。そしてそれが急進化に伴う非合法的な暴力闘争から本格的な武装闘争への道を正当化する根拠となっている。率直にいって我々はその後の歴史のなかでマルクス・レーニン主義の破産と消滅を経験している。その意味でRAFの理論水準は決して高いとはいえない。それどころか首をかしげるところが多々ある。少数の精鋭分子による武装闘争を都市ゲリラ戦術を通して展開することが先進国革命につながると本気で信じていたのだろうか。とはいえ資本主義が冷戦終焉後新自由主義というかたちでその残忍性を増幅させていった歴史を振り返るとき、〈一九六八〉の反乱を背景に出てきたRAFの運動にまったく意味がなかったとは思えない。それはパレスティナ解放闘争にとって、たとえ間違いが多々あったとしてもハマースの〈過激〉な運動が無意味ではないのと同様である。(初見基・Chino Rich_O訳)(たかはし・じゅんいち=早稲田大学名誉教授 思想史)  ★RAF=ドイツ赤軍。反帝国主義・反資本主義を掲げて一九七〇年に結成。九八年に解散。

書籍

書籍名 ドイツ赤軍Ⅰ 1970―1972
ISBN13 9784906738526
ISBN10 4906738524