多文化共生と民族的マイノリティ
長村 裕佳子・坪谷 美欧子・蘭 信三編著
小川 玲子
本書は、日本の帝国主義と植民地支配、占領と冷戦、バブル崩壊から現代にいたる歴史を縦軸とし、移動する多様な人々を横軸として編まれている。語られているのは「国民国家」の枠組みにぴったりとはおさまらない、いわば国家や民族や国籍や言語の「はざま」で生きる人々の行為主体性と、それを日本社会がどのように認識してきたのか、である。
全体は3部構成の13章、2つのコラムからなっている。第1部は「戦後日本をめぐる民族的マイノリティという経験」と題して、在日朝鮮人、中華民国(台湾)系華僑、米軍関係者と沖縄女性の子どもとして生まれたアメラジアン、フィリピン日系人の歴史と経験が取り上げられている。日本の帝国主義と敗戦、2つの中国をめぐる歴史的対立や米軍による沖縄占領による国境線の線引きが、はざまを生きる人々の国籍取得や帰属意識に与えた影響は計り知れず、〇〇人という単純なイメージでは割り切れない複雑さが語られている。
第2部は「『帰還移民』の経験、日本社会の経験」と題して、中国残留孤児、日伯移民、ペルー人、沖縄系、という海外から帰国した人々と日本社会との相互作用が論じられる。「日本人」の境界を生きる人々に対して、マジョリティ側は人種化し、他者化していくが、同時にそれを乗り越えようとする多層的な共生の可能性が語られる。
「グローバル化と新移民、そして多文化共生」と題する第3部では、難民、外国人看護師、団地、在日ブラジル人の視点から多文化共生が議論されている。日本政府による社会統合政策が不在の中で、地域やエスニックコミュニティが多様な背景を持つ人々をどのように受け入れてきたのかが、批判的に明らかにされている。
国境を超えて移動する人を指す言葉として国際的に使われているのは「移民」という呼称である。19世紀に日本が農村の余剰労働力をハワイや南北アメリカ、フィリピン等に送り出していた時代に成立した移民保護法においては、「移民」とは海外出稼ぎをする日本人を意味する言葉であった。現在、日本政府は「移民」という言葉を使わず、存在を認めていないが、本書の射程に照らせば、「移民」=「外国人」でもなければ、「移民」対「日本人」でもなく、その境界線は歴史的に変遷してきた。
他者を「日本人」として包摂していた「大日本帝国」の崩壊後、戦後の入管体制のもとで「外国人」は排除される一方、「日本人」は単一民族として純化され、同質性の高い国民国家が形成されていく。本書全体を通じて響きわたるはざまを生きる人々の声は、人間を分類する際のカテゴリーがいかに社会的に構築されてきたかを明らかにしている。特に、マジョリティ側による名づけは、複雑なアイデンティティと帰属を単一のイメージに落とし込むことで、その歴史が隠ぺいされ、不公正な社会構造が温存されていくことの暴力性を突き付けている。「わたしたち」と「かれら」のはざまで生きる他者を表象するためのカテゴリーは可変的で流動的あり、これからも変化し続けていくのである。
では、他者化された存在に対して多文化共生はいかなる有効性を持ちえるのだろうか? 本書は、日本社会にとって「望ましい他者」を選別して下位に位置づけ、「受け入れてあげる」という多文化共生を批判し、グローバルな人権規範の浸透と当事者による権利闘争によって、日本社会には変化がみられると論じている。確かに難民条約の批准による「内外人平等原則」の確立などは、大きな制度的変化と言える。しかし、マイノリティに対等な権利付与を拒否する排外主義やヘイトスピーチに対して、多文化共生はその歯止めにはなっていない。差別と不公正な社会構造を可視化し、植民地主義と共犯関係にある人種主義を乗り越えるために必要な概念や方法とは何か、多文化共生をどう鍛えれば良いのか、より踏み込んだ議論が必要ではないだろうか。
日本列島を多様な背景を持つ人々が往還する開かれた空間としてとらえたのは、歴史家の網野善彦である。本書が提案するように、多様で複雑な現実を生きている人たちと真摯に向き合い、対話し、基本的人権に根差した包摂的な社会を築いていくためには、マジョリティ側が変わる必要がある。どのように日本社会を変えていくべきか、共に考えるための一助となる本だ。(おがわ・れいこ=千葉大学大学院社会科学研究院教授・社会学・移民研究)
★ながむら・ゆかこ=ノートルダム清心女子大学国際文化学部国際文化学科講師・中南米への日本人移民史・社会学。
★つぼや・みおこ=横浜市立大学大学院都市社会文化研究科教授・国際社会学・移民研究。著書に『外国人住民が団地に住み続ける意味』など。
★あららぎ・しんぞう=関西外国語大学国際文化研究所客員研究員・国際日本文化研究センター 客員教授・上智大学名誉教授・歴史社会学・戦争社会学・国際社会学。共編著に『シリーズ 戦争と社会』(全五巻)など。
書籍
書籍名 | 多文化共生と民族的マイノリティ |
ISBN13 | 9784750359533 |
ISBN10 | 475035953X |