2025/03/07号 7面

一茶と芭蕉

著者から読者へ=『一茶と芭蕉』(傅益瑶)(7)
著者から読者へ 傅 益瑶 傅益瑶作品集 一茶と芭蕉  私が日本に初めて来たのは一九七九年のことでした。幼い頃に父である傅抱石から聞いた、「中国画の真価は、日本を通すことで、さらに磨き抜かれるにちがいない」との言葉を胸に、国費留学生として来日したのです。  若き日の父も、一九三〇年代に日本留学を経験しており、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)で金原省吾氏に師事し、西洋美術史などを学びました。そのため、南京にある我が家の書斎には父が日本から持ち帰った歌川広重や葛飾北斎などの浮世絵の画集や、日本の歴史や文学にまつわる書物が並んでいました。その中に、松尾芭蕉に関する本もあったのです。松尾芭蕉という名前は、私の心の片隅に長く残っていました。  芭蕉の名前を鮮烈に思い起こすことになったのは、来日してまだ間もない頃のことです。友人から、日本には五言絶句の漢詩よりも短い詩があると、芭蕉の次の句を教えてもらったのです。 〈夏草や兵どもが夢の跡〉  芭蕉は争いで命を落としていった数多の兵たちに思いを馳せながら、死の気配の先にある、生命尊厳の覚りへと人々を導こうとしている。そんな強い意志と祈りが、このわずか十七音からなる一句には充溢していました。歴史や生命に対する俳聖の深遠な洞察に、私は心を揺さぶられたとともに、俳句の虜になったのです。  和歌の根底には情が流れていますが、俳句の根底には思想が座しています。芭蕉と並んで、私が魅せられたのが小林一茶でした。「一茶調」と言われるように、一茶の作句は一見、自由かつ軽妙なものに映りますが、その奥には芭蕉とも通じる精神性があります。すなわち、ふたりは生命とは慈悲であり、歴史とは光であると認識しているのです。  本書には、一茶と芭蕉の詠んだ豊かな俳句の世界を、水墨画の技法を用いて描いた作品が収められています。水墨画の世界には、詩の意趣を主題にして描いた「詩意(画)」と呼ばれるジャンルがあります。これは画家自身の詩への理解を表す一種の挑戦でもあると同時に、画家から詩人への最大限の敬意を示した表現でもあるのです。  一茶と芭蕉の人間に対する眼差しはいまや世界が必要としています。水墨画の伝統に則って、優れた日本文化に深い敬意を込めて、一筆一筆に心を込めてふたりの作品を描き上げました。(ふ・えきよう=水墨画家)

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