働いて愛して生きるために女たちは闘わなければならない
ケイト・ムーア著
松原 宏之
ちょっと長めの邦題がエッセンスをうまく伝えてくれます。およそ100年前のアメリカで労災賠償を求めた女工たちの闘争史ですが、彼女たちひとりひとりの「働いて愛して生きる」さまをビビッドに描くのが魅力の源です。
「ラジウム・ガールズ」とは、20世紀初頭のアメリカで時計の文字盤塗装に従事した女工たちのこと。暗がりでも時計を読めるように用いられたのがラジウムでした。微量のラジウムと硫化亜鉛を混ぜると、それは格好の蛍光塗料になって時計の文字を薄く光らせたのです。
誤算はラジウムが強力な放射性物質だったことです。女工たちは極細のラクダの毛でつくった筆先を唇で整えてから(リップ)、ラジウム塗料にひたし(ディップ)、小さな文字をはみ出すことなく塗装(ペイント)しました。リップ、ディップ、ペイントの作業をくりかえすうちに、女工たちは体内に放射性物質を取り込んでいきました。それはほどなくして体内の組織を壊死させ、彼女たちはまず歯を失い、アゴが崩れ、腫瘍に苦しみ、多くがついに死んでいきました。アメリカ屈指の労働災害です。異常に気づいた女工たちは損害賠償を求めて声を挙げ、苦難に満ちた訴訟に挑みます。
もっとも、これをただちに女工哀史と見ない方が本書のタッチをよりよく理解できるでしょう。作家と自負する著者ケイト・ムーアは、研究書を糸口に史料をたどり、ゆかりの地へと足を運び、遺族にもインタビューをして、女工たち自身の姿をよみがえらせます。日記、手紙、裁判での証言をとおしてみえてくる女工たちは活気に満ちています。
職場へ向かうその「足取りは弾んで」いました。「大きなテーブルに座って、笑ったりおしゃべりしたりしながら」の作業です。移民コミュニティにつくられた工場は、彼女たちに高給を与え、出会いの機会となり、給料を得た女工たちはにぎやかにあそびに出かけました。実家の家計を助け、新しい所帯への準備金ともし、彼女らはそれを誇りにしました。
そしてなんと言ってもラジウムでした。1898年にキュリー夫妻が発見したこの物質はさっそくガン治療に用いられ、その威力で万能薬と信じられたばかりか、進歩と活力のアイコンとして小説や芝居に登場し、化粧品から下着にいたるまで応用を考えられました。女工たちは、この新発見物質をあつかう先端産業の一員でした。工場帰りの宵闇にラジウムの粉塵で女工の髪や手がうす緑に発光するのを、皮肉にも女工たちは誇示したというのです。個人名をあげ、その声をひろい、家族や友人との交流を描いて、ムーアは女工ひとりひとりに表情を与えます。
この女工たちの活気を描けたことで、本書の分厚い第二部・第三部の闘争史はその陰影を濃くします。問題解明と補償を求める彼女らの働きかけを、企業側がつぶしていく過程です。そもそも放射線被害の存在をもみ消そうとする企業、その管理職、弁護士、おかかえ医師ら「専門家」たちが、ここでも個人名をあげて描き出されます。そしてついに法廷で会社の詭弁をはねのけ、真相解明と補償を獲得するまでの15年あまりの記録です。勝てる見込みの薄かった長く困難な闘いを家族や同僚らとの愛が支えたことを、著者ムーアが丹念に紡ぎ出して読みごたえがあります。
一本補助線を引かせて下さい。著者ムーアの意図とは別に、本書が意義深いのは、アメリカにおいて国家が市場経済における安全や公正さを守るために「規制」に乗り出すその過程を描き出すことです。
このとき、国家はすみやかに立ち上がったりはしませんでした。企業の威勢はつよく、専門家たちを味方につけて、国家の介入を阻みます。状況を打開したのは市民であり、女性たちがその中心でした。すなわち本書が主役に据えた女工たちであり、彼女らの支援にまわった弁護士や医師、そして全米消費者連盟に代表される民間の社会改良団体でした。とくに、フローレンス・ケリーらが設立した同連盟は主婦の役割に注目して、消費を通じて社会正義を実現しようとうったえ、商品や労働環境の安全を要求しました。ケリーの後継者たるグレース・アボット、ジュリア・ラスロップ、フランシス・パーキンスらは、労働局や児童局の設立を牽引して、国家に企業活動の規制という仕事を根付かせました。女工たちがたびたび全米消費者連盟を頼ったのは、こうした事情があったからです。
折しも第2次トランプ政権下では女性たちが勝ち取ったこの規制の仕組みもまた危機に瀕しています。時宜を得た翻訳を手がけた関係各位に敬意を表します。(松永典子、山口菜穂子、杉本裕代訳)(まつばら・ひろゆき=立教大学文学部教授・アメリカ史)
★ケイト・ムーア=英国ピーターバラ出身。英国ペンギン・ランダムハウス社でノンフィクション本の編集に携わる。二〇一四年にフリーランスの編集者、作家として独立。
書籍
書籍名 | 働いて愛して生きるために女たちは闘わなければならない |
ISBN13 | 9784909237781 |