2025/03/28号 3面

豊臣政権の統治構造

豊臣政権の統治構造 谷 徹也著 河内 将芳  歴史学(文献史学)は、古文書や古記録など、当時の人びとが文字で記した史料にもとづき、失われた過去を復元するととともに、当時の社会や政治の構造を解明していく、きわめて基礎的な学問領域といってよい。  したがって、課題に関連する史料を見いだすことができなかった場合、当然、研究者はみずからが設定した課題にせまることはできない。そのときは、課題をかえるか、あるいは、往々にして「史料がない」「史料が残されていない」との弁解を口にしてしまいがちである。  恥ずかしながら凡人たる評者もまた、まったく同じ穴のムジナといわざるをえないが、ところが、本書の著者谷徹也氏の場合はまったく異なる。「史料がない」「史料が残されていない」との弁解など、微塵も語ることがないからである。  そればかりか、活字になっているものはいうまでもなく、活字になっていないものも含め、おおよそ津々浦々にまで目を光らせ、これまでだれもふれることがなかったであろう史料をみつけ出し、それらを有効に論考にちりばめ、目の前に呈示してくれる。それを見たものは、たちまち圧倒され、ひれ伏さざるをえないという経験をくり返すことになる。  数多くの研究者を圧倒し、ひれ伏させてきた論考の数々が数珠つなぎになってならんでいるといえば、本書のすごみの一端もうかがい知れることだろう。したがって、本書が、豊臣政権研究の基礎の基礎をかたちづくる労作(しかも辞典なみの分厚さ!)であることはいうまでもない。  また、その基礎を土台に展開された議論もまた、周到にして骨太、しかも読むものの視線を高みに引っ張っていってくれる、類書では体感することのできない経験を味わわせてくれる。書物としての完成度が高いことを示しているのであろう。  全体の構成は、「序章」「第一部 豊臣政権の内部構造」「第二部 豊臣政権の国家編成」「第三部 対外戦争と国内統治」「終章 豊臣政権論」となっている。著者の射程には、幕藩体制の前史としての豊臣政権の性格を解明するという課題がすえられており、よって、議論は多岐にわたるものとなっている。そのすべてを紹介することなど、評者の能力をはるかに越えたものとなるので、ここでは、「第一部豊臣政権の内部構造」に焦点をあててみていくことにする。  この第一部こそ、本書の背骨とでもいうべき部分であり、第一部でつちかった知見を土台に、著者は第二部・第三部へと議論を広範に展開していくことになるからである。具体的に第一部では、増田長盛や石田三成など、いわゆる「五奉行」の成立過程を丹念に掘り下げていくことで、研究が立ちおくれていると著者が判断した政権内部の構造解明へと挑んでいく。  その冒頭にかかげられたのが、「第一章 豊臣氏奉行発給文書考」である。のちに「五奉行」として機構をなす奉行衆が発給した文書の年次比定の正確性を飛躍的に高めるため、花押の形状の細部の変化にまで着眼し、詳細な検討を加えた内容となっている。  花押とは、墨書による直筆サインを意味する。したがって、その形状の変化を吟味していくためには、活字になった史料をみているだけではどうしようもない。可能であれば現物の文書、あるいは少なくとも現物の文書を写真にしたものを収集し、確認する必要がある。  となれば、この論考を書き上げるために著者が実見し、収集した史料の点数が十点や二十点におさまるものではないことは容易に想像されるところといえよう。紙幅の都合であろうか、それらが網羅された豊臣氏奉行衆発給文書目録というべき一覧表は本書では掲載されていないが、おそらくは現在、国内(あるいは国外まで)で確認できうる関連文書をすべて著者は収集したにちがいない。そのような気の遠くなる作業を土台にして本論考が書かれたことはひしひしと伝わってくる。  研究の分野で比喩としてよくつかわれる一節として、すぐれた研究者が研究したあとにはペンペン草も生えないというものが知られている。そのことばどおり、著者が通ったあとには荒涼とした砂漠しか残されていないのではないかと思われた。逆からいえば、今後、豊臣奉行衆の研究をこころざすものは、本論考を出発点に、奇跡的に残された草々をさがしながら先にすすむほかないということもあらわしていよう。  著書が奉行衆の花押をみつめつづけ、その細部の変化をもとに発給文書の年代比定を根気よくすすめたのは、それらをただしく政治史、とりわけ豊臣政権の内部構造の基礎をなす奉行衆の変遷や職掌・機構の段階的な解明に不可欠な作業と位置づけたからにほかならない。  そして、その作業成果がいかんなく発揮されているのが、「第二章 豊臣政権の算用体制」、「第三章 豊臣政権の訴訟対応」、「第四章 秀吉死後の政権運営」となる。直轄領である蔵入地関係の財政文書を分類・考察し、政権中枢が蔵入地の収支をどのように決算したのか、その算用体制の解明をとおして奉行衆の変遷がうきぼりとなり、また、畿内・近国社会からの訴訟を政権内部がどのように処理してきたのか、その対応をあきらかにしていくことをとおして天正十六年(一五八八)、文禄三年(一五九四)と段階を追って奉行衆の体制が立ち上がってきた事実が判明するというようにである。  そのうえで、豊臣秀吉死去の直前の慶長三年(一五九八)七月に機構として中枢奉行層(いわゆる「五奉行」)が確立、秀吉死後の政権運営が「五奉行」と徳川家康の連携によっておこなわれていくことまでが克明に語られていくことになる。奉行衆の実態解明に徹底的にこだわりつづけた著者でなければ、呈示することができなかった豊臣政権のすがたがそこにはあるといえよう。(かわうち・まさよし=奈良大学文学部教授・日本中世史・近世史)  ★たに・てつや=立命館大学准教授・日本近世史。著書に『蒲生氏郷』、共著に『秀吉の虚像と実像』『中近世武家菩提寺の研究』、編著に『石田三成』など。一九八六年生。

書籍

書籍名 豊臣政権の統治構造
ISBN13 9784815811815
ISBN10 4815811814