帝国と観光
高 媛著
戦前の満洲は、日本人が旅券や査証なしで容易に渡航できる場所として、多くの観光客がその異国情緒や「近代的な楽土」を求めて訪れた地であった。そして、敗戦から長い年月を経て、今もなお、かつての満洲の「幻影」を追い求めて、中国東北部を旅する人々は少なくない。では、観光という営みを通じて紡がれてきた帝国日本の物語はいかなるものであったのだろうか。
本書は、日露戦争以降およそ一世紀にわたる満洲における日本人の観光活動の歴史を対象とし、観光が果たしてきた政治的・文化的機能、ならびに帝国日本の権力空間において展開された観光の政治性を捉えた意欲的な研究である。以下にその概要を示す。
著者はまず満洲観光の起源について検討している。日露戦争以前・戦時中に満洲を訪れることができたのは、政治家や実業家など一部の特権階級に限られていた。そのような状況の中で、いわゆる一般の日本人が満洲を訪問できるようになったのは、1906年の夏以降のことであり、「ロセッタ丸満韓巡遊」と「満韓修学旅行」がその嚆矢となった。これらの旅行は、その後の満洲観光の方向性を決定づける契機ともなった。なぜなら、そこには戦争と観光との密接な結びつき、政府機関・軍・新聞社・在満日本人社会による協働、さらには異文化・他者との接触を媒介するメカニズムといった特徴が顕在化しており、これらの要素は戦前期においても形を変えながら継続的に作用し続けたからである。
戦前の満洲観光においては、満鉄をはじめ、在満日本人機関や旅行社、在満県人会、校友会などの諸団体が「代理ホスト」として重要な役割を果たしていた。これらの組織は、観光事業の基盤をつくり、また観光客に対して満洲=帝国日本にとって特別な意味を有する地/日本の発展と繁栄を象徴する憧れの地として認識させるために機能していた。多様なアクターの協働のもと、満洲の観光空間は形成・拡大され、やがて観光地としての魅力を備えた空間へと次第に変貌していった。
いうまでもなく、満洲観光は帝国日本にとって重要なプロパガンダの手段であった。例えば、満洲修学旅行は単なる教育的行事にとどまらず、学生に対して国家観念や将来への夢を育ませる場でもあった。また、観光バスを用いた都市空間での「日本の近代性」と「現地社会の前近代性」の対比的演出や、現地中国人をも旅行誘致や国策宣伝の対象として動員した観光イベント(「娘々祭工作」)などもその一環であろう。帝国日本はこれらを通じて、「楽土」としての満洲のイメージを観光客に強く印象づけ、日本人としての優越性を内面化させると同時に、対外的・対内的に満洲支配の正当性を喧伝していたと、著者は指摘する。
さらに注目すべきは、本書が戦後の満洲観光の再開と変容まで分析対象にしている点である。日中国交正常化を契機に日本人観光客の訪問が再開すると、満洲は日中両国の歴史認識や記憶が交錯する場となった。興味深いことに、ホスト(中国)とゲスト(日本)の間にある歴史記憶の非対称性や、観光空間をめぐる認識の齟齬は、単なる対立にとどまらず、やがて観光を通じた新たな「記憶の感染」や「記憶の流用」といった現象として現れたという。
本書が明らかにしたように、満洲観光は近代日本が海外進出する過程で創出した営為ではあるが、その満洲観光もまた帝国日本の物語を紡ぐ重要な装置であった。要するに、戦前期における満洲観光は、単なる娯楽を超えた国家的意図を担い、帝国的価値観とイデオロギーの浸透、国家の正当化、植民地支配の演出といった政治的目的に奉仕するためのものであった。本書の貢献は、満洲観光史の全体像を示したのに加え、満洲観光史という主題を通じて、「観光を生み出す政治」および「観光が生み出す政治」の相関性を鮮やかに描き出した点にある。一方、在満日本人自身による満洲観光経験の内実とその政治性や、観光を通じて創作された満洲イメージは世代間でどのように継承・変容したのかなど、本書の議論を土台にいくつか新たな疑問も思い浮かぶ。いずれにせよ、本書は、間違いなく当該分野の研究水準を大幅に引き上げる成果であり、多くの研究者が参照すべき必読書である。今後、著者が示した見取り図をもとに、関連分野の研究が一層の深化を見せることに期待したい。(かんの・ともひろ=慶應義塾大学准教授・中国近現代史・東アジア近現代史)
★こう・えん=駒澤大学教授・歴史社会学・観光社会学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。二〇〇五年、博士号取得(社会情報学)。共著に『憧れの感情史』『帝国日本の観光』など。一九七二年生。
書籍
書籍名 | 帝国と観光 |
ISBN13 | 9784000240703 |