「「奪われた」という感覚」への違和感
――丸川哲史氏の中国観への疑問(大杉重男)
私は、『週刊読書人』七月一八日号に私が書いた鎌田哲哉への反論文(「「永遠の鬼軍曹」に「思想」はあるのか」)において、鎌田の東アジア認識を問う文脈の中で、早尾貴紀と丸川哲史の対談(『週刊読書人』六月一三日号)での丸川氏の中国についての発言を批判した。それに対して、丸川氏から反論文が『読書人』に寄せられた(「「易姓革命」の意味について」八月二九日号)。
私の批判は、丸川氏の東アジアにおける「植民地主義」認識と「易姓革命」理解の二点にわたっていたが、丸川氏は前者については「私の本を読んでください」と言うだけで具体的に答えず、後者のみに応答している。その中で氏は私の言う「東アジア的専制主義」をウィトフォーゲルの「東洋的専制主義」の「踏襲」に過ぎないとするが、ウィトフォーゲルの概念が治水をもとにした「水力社会」という社会・経済的下部構造の概念であるのに対して、私の「東アジア的専制主義」は「漢字文化圏」というイデオロギー的上部構造(氏も漢字による「中華民族」の文化的一体化効果を後述の本で語っている)に基づいた概念であり、その意味では単なる「踏襲」ではない(氏が追従する柄谷行人の「中心」「周辺」「亜周辺」から成る「帝国」概念の方がウィトフォーゲルそのままである)。先日「抗日戦勝八〇周年」の日に天安門上に並んだ中・ロ・北朝鮮の独裁者たちは、「不老不死」へ願望を語り合ったと報道されたが、それは秦の始皇帝以来の「東アジア的専制主義」の持続・再来そのものに見える。丸川氏は、天皇が無姓であることで「皇帝という身分を「天」に融合させることにより、日本天皇制は中国に対して相対的有利を観念的に僭称した」と述べるが、天皇を「天」自体と見れば、藤原氏から徳川氏に至るまで「易姓革命」は日本でも起きているのであり、中国との間の差異は相対的なものに過ぎない。日本でも中国でも「天」(非人格的であれ生身の血統であれ)と「民」(「人民」であれ「国民」であれ)との上下関係自体は同じであり、「東アジア同時革命」という統制的理念は、この日中共通の構造への批判として構想されている。
読んでくれと言われたので、今回私は氏の『台湾ナショナリズム』と『思想課題としての現代中国』、そして柄谷行人との対談「帝国・儒教・東アジア」を読み直し、やはり深い疑問を感じた。これらは氏の一〇年以上前の言説だが、氏はそこでは汪暉(今は習近平のイデオローグ)に同調する形で中国が自然に台湾を吸収する未来を楽観し、たとえば「「奪われた」という感覚の強さが、第二次大戦後の領土回収の最大の動機だった」(『台湾ナショナリズム』)と、中国が清朝の版図を継承することを正当化していた。しかしその「「奪われた」という感覚」そのものが現代東アジアにおける植民地主義を再生産する批判すべき遠近法的転倒なのではないか。私が氏と早尾氏の対談に違和感を持ったのは、それが遠い場所におけるイスラエルによるパレスチナ人虐殺と、遠い過去の日本による侵略を観念的に類比することによって、最も近い現在の東アジアの現実を隠蔽しているように見えたからである。(おおすぎ・しげお=文芸批評家)