2025/08/01号 8面

百人一瞬 Crossover Moments In mylife 73・大貫隆(小林康夫)

百人一瞬 小林康夫 第73回 大貫隆(一九四五―   )  二〇〇三年末ほど激しかった年の暮れはない。いや、一日かけて文章を書いていただけだから、表面上は静かな時間である。しかも、書いていたのはいわゆる依頼原稿ではなくて、駒場の同僚の大貫先生に宛てたFAX、私信だった。  その年の秋、大貫さんは『イエスという経験』(岩波書店)を刊行なさった。それを受けて、十二月二二日にわたしの哲学センター(UTCP)で「イエスについて論じてみます」というセミナーを開催した。タイトルを決めたのはわたし。後から考えると、わたし自身が、大貫さんの著書に応答しつつ、イエスを、その「存在」を、論じてみたかったのではないか、と思う。  実際、セミナーの場で、ただ『イエスという経験』を読んだことだけから出発して、わたしは、イエスの生涯における最大の特異点である、あの十字架上の絶叫「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」についての大貫さんの解釈・読解に対する異議を発言した。すなわち、それが「イエスの絶望の叫びである」とする解釈を、大貫さんが「イエスが何に絶望したのかがはっきり提示されない」としてしりぞけたのに対して、絶望は真正であると直観する以上、わたしは「何に絶望したか」を言わなければならないと追い詰められて、それは、どんな人間の絶望も超えた、人間の存在の限界を突き破ってしまう絶望、つまり「イエスは自分自身が幻視した失墜するサタンとは自分のことだった」と認識したのだと言ってしまったのだった。  大貫さんのような大聖書学者にして敬虔な信徒である方には、とんでもない暴言であっただろう。しかし、それは、あくまで大貫さんが本のなかで「イエスのイメージネットワーク」の原点として取り上げたルカ一〇章一八節から出発して立ち上がったわたしの直観であった。とんでもないことを口走ってしまったという思いはあったが、それでもなお、この直観をもう少し論拠づけて大貫さんに返さなければならない、それをしないでは二〇〇三年という年を越えることができない、それがわたしの思いだった。  大晦日に送ったわたしのFAXに、時を置かず、大貫さんは、とても丁寧な返信をくださった。まさに「わたしのなかにある曰く言い難いパッション」を正面から受け止めてくれたのだった。だから、それに対して、一月五日、再びわたしはFAXをお送りしたのだが、そこでは「言葉の力こそ、たぶんサタン的なものです。言葉は、無垢の生命に加えられた根源的な暴力です。言葉こそ、人間が犯しうるすべての罪の根源でもあるのです」と書き、さらに「その基底をイエスは自らの〈罪〉を通して割ったのです。そして、まさにそこからこそ、人間にとっての、いや、すべての生命にとっての〈無条件の愛〉の可能性が噴き出したのです」と結んだ。  そのとき、そう、わが実存にも、「存在」の交差的二重性、つまりクロス(十字架)が刻まれたのかもしれない。  だからこそ、それから七年後のイスラエルへの旅(第七回参照)で、わたしは、エルサレムだけではなく、イエスの生地であるナザレへ、そしてベツレヘムへと行かなければならなかったのだと、いま、納得する。   わたしの最初のFAXとそれへの大貫さんの応答は、雑誌『福音と世界』二〇〇四年九月号で読める。また、わたしの二つのFAXは、拙著『こころのアポリア 幸福と死のあいだで』(羽鳥書店)に所収。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)