フランスで考えた中上健次のこと
野浪 行彦著
関 大聡
面白い一冊である。中上健次は一九四六年に生を享け、七六年『岬』で戦後生まれとして初の芥川賞を受賞、九二年に腎臓がんで没するまで時代の先端を駆け抜けた。とりわけ『枯木灘』(七七年)や『千年の愉楽』(八二年)など、「路地」と呼ばれる故郷・紀州の被差別部落を描いた作品群により、近現代日本=世界文学に不動の地位を占めている。
だが本書では、小説家としてではなく「物語」論者としての中上が論じられる。ある一節によれば、中上の小説は、近代文学そのものの終わりとともに「そのうちだれにも顧みられなくなることも十分ありうる」が、物語論者としては「今後どこかで歴史的な見直しがなされることはあるかもしれない」。悲観的な診断に見えるが、たとえ中上が近現代文学に不動の地位を占めても、文学自体の地位が不動とは言えない以上、こうした見方から活路が探られても不思議ではない。
そういうわけで、本書の中心に置かれるのは「物語」の問いである。冒頭で著者は折口信夫、蓮實重彥、アーサー・フランクによる物語論を順に検討し、そこに中上の「物語」理解を位置づけようとする。ただ、それは容易な作業ではない。
なるほど、物語を紡ぐことを本業とする作家が、自身の「物語」観を披瀝することに驚きはない。しかしその語の用法は実に横滑り的だと著者は言う。曰く、物語とは「法」である、「制度」である、「差別」である、など、一種のパワーワードが繰り返し発される。そして著者も述べるように、「あらゆるパワーワードが「=」によって短絡させられるなかでとりとめがつかなくなり、その結果、何が言いたいのかがわからなくなる」。
本書の著者はしばしば、こうした中上の文章を前にして、「いったい何の話をしているのか、よくわからない」と告白する。その率直さを私は好む。知ったふりが基本的精神となる学者の間では、奇貨とすべき廉直さだろう。
ともあれ著者は、こうした中上による物語理解の多義性、悪く言えば大雑把さに匙を投げず、使用者や状況により柔軟に意味を変える実体のない言葉(=「マナ語」)として捉え直し、その換喩的性質、「換用のネットワーク」を追いかけてゆく戦略をとる。そこから浮かび上がるのは、「物語とは何か」ではなく「中上は「物語」として/をとおして何を語るのか」という問いである。
たとえば彼にとって切実な問題であった「差別」を、「物語」として/をとおして語ることには、部落問題や文学史の中上なりの読み替えを見てとることができる。差別を差別、物語を物語として別に語るのではなく、「差別」=「物語(という文化的なシステムの働き)」とすることで、著者が前期物語論(七七―八二年)と呼ぶ時期の中上は、「開かれた豊かな文学」の系譜を明らかにしようとした。
対するに、後期(八三―八九年)の物語論では、路地の消滅という現実的事態を契機にして、物語が「うつろう」だけでなく「震えるもの、響くもの」として捉えられる。ボブ・マーリーに霊感を受けた中上は「ヴァイブレイション」という語を多用し、物語の根源に固定的でなく振動的な、揺らぎを含む流動的思考を認める。ここに至って、中上の「物語」概念の横滑りは、彼の(理論家というにはあまりに「小説家」的な)思考法を特徴づけるだけでなく、彼が追究する物語そのものの性質として捉えられる。意味の振動、共振、またはバイブスの問題だと言ってもいい。
こうした中上のバイブスと共振したのだろう、エピローグにおいて、著者は中上の物語論から「横滑り」し、みずからの生を語り始める。本書の内容はフランスの大学へ博士論文として提出を予定していたらしい。ところが、二〇二二年七月の宗教二世・山上徹也による安倍晋三銃撃事件以降、自身も宗教二世である著者は「人生のあらゆることがどうでもよくなってしま」い、職、家、妻子、国籍とともに博士論文も投げ捨てた。結局周囲の励ましもあって本書の出版が成ったのだというが、著者はそこに「兄」である山上徹也と「父」である教祖・文鮮明、そして彼自身についての語りを付け加える。意味の滑りゆきによる不鮮明さを我が物としながら。
「宗教二世にとっての社会物語学」という本書の副題は、多少の話題作りを感じさせるかもしれないが、当事者批評として、著者の狙いは誠実である。むしろ、社会と物語と実存の問題を、自身の生の痛みから紡ぎ、実践するのが本書なのだと言えよう。それは宗教二世として/をとおしての物語なのだ。
「私は自分が物語の落とし子であるということ、物語に息を吹きこまれた肉塊であるということに、その紛れもなさに、痛みを覚える。その一点において、それはただのありふれた痛みにすぎない。そのことを私に教えてくれたのが中上健次だった」。こうして本書は奇妙な偶然=運命から生まれ落ちた、「社会物語学」の稀有な実践である。(せき・ひろあき=日本学術振興会特別研究員PD・仏文学・思想)
★のなみ・ゆきひこ=フランス国立東アジア研究所研究員。私立愛知高校中退。早稲田大学文化構想学部卒業。ストラスブール大学日本学科講師を経る。一九八七年生。
書籍
書籍名 | フランスで考えた中上健次のこと |
ISBN13 | 9784803804690 |
ISBN10 | 4803804699 |