2025/10/31号 7面

フランス中世史 Ⅰ

フランス中世史 Ⅰ 佐藤 彰一著 花房 秀一  1792年9月21日、国民公会は「フランスにおいて王政は廃止される」と決議し、これによりフランス国王ルイ16世はすべての称号を失い、「ルイ・カペー」と呼ばれるようになった。ルイ16世はブルボン朝の王であるにもかかわらず、なぜカペーと呼ばれたのであろうか。それは彼が属するブルボン家にしろ、または前王朝であるヴァロワ家にしろ、歴代のフランス王家は、すべてカペー朝の祖ユーグ・カペーに繫がると考えられていたからである。  この度、そのカペー朝を正面から取り上げた『フランス中世史 Ⅰ カペー朝の革新』が名古屋大学出版会から刊行された。「正面から」とあえて言うのは、これまでカペー朝そのものを主題とした専門書がほとんど存在しなかったからである。フランス中世史を専門とする評者にとって、本書の刊行はまさに待ち望まれていた出来事であった。  さて本書は、中世フランス王国最初の王朝であるカペー朝を、ナラティヴな筆致で描いた歴史書である。その叙述は、初代ユーグ・カペーから第14代シャルル4世に至るまで、実に341年にわたる長大な時代を網羅しており、各王の治世とその事績がきわめて丁寧に描かれている。著者の佐藤彰一氏はフランク史を専門とする研究者であり、必ずしもカペー朝そのものの専門家ではない。しかし本書では、欧米の最新研究を積極的に取り入れ、従来一般に広まっていたカペー朝像を再検討し、修正を加えている点が大きな特色である。本来であれば、各王を取り上げた章ごとに詳細に論じるべきであろうが、紙幅の制約上、ここでは評者が特に注目した本書の三つの特徴に絞って論じたい。  第一の特徴は、初代ユーグ・カペーの再評価である。おそらく多くの読者は、高校の世界史で次のように教わった記憶があるだろう。すなわち、「初代ユーグ・カペーは弱小な王であり、その支配はパリ周辺に限られていた。彼が王に選ばれたのは、その能力ゆえではなく、権力基盤のない人物の方が扱いやすいと大貴族たちが見なしたためである」と。  確かに、ユーグの家系はすでにウードとロベール1世という2人の王を輩出しており、父ユーグ大公の時代には王国の実権を握るほどの勢力を誇っていた。しかし、ユーグの代になるとその権勢は衰退し、王国各地では「諸侯」と呼ばれる大貴族たちが台頭しつつあった。  では、そのような状況下で、なぜユーグは名ばかりの王位を受け入れたのだろうか。従来の説では、王権の衰退によってフランク時代の公的権力は失われ、かわって封建的主従関係を基盤とする社会が成立したと考えられてきた。ところが本書では、近年の研究成果を踏まえ、公的観念は消滅せず、一定の機能を保持していたと論じている。この公的観念の存続によって、たとえ形式的であっても、ユーグは王として王国の有力者たちに忠誠を求める正当な立場を確保することができた。すなわち彼は王になることで、新たに形成されつつあった諸侯勢力の間で、依然として「公的秩序の体現者」として機能することができたのである。こうした観念の存続は、中世フランスにおける王権の展開を理解するうえで、極めて重要な視点を提供している。  第二の特徴は、統治機構の発展に対する着目である。13世紀以降、カペー王権は飛躍的に強化され、フランス王国全土を実質的に統制できるまでに成長した。従来、この王権の発展を説明する要因としては、「封建的要素」と「非封建的要素」という二つの側面が指摘されてきた。  まず封建的要素とは、貴族層に対し君主への臣従義務を厳格に課すことによって、王が封建的ヒエラルキーの頂点に立ち、王国全体の秩序を確立したという見方である。しかし、この秩序を維持し、王権を実質的に機能させるためには、単に封建的主従関係に依存するだけでは不十分であった。王の権力基盤を支えるためには、行政・司法・財政などの統治機構の整備と拡充(非封建的要素)が不可欠だったのである。  本書の特色は、各王の政治・軍事・外交的活動の叙述にとどまらず、そうした活動を支えた王権の制度的基盤にも光を当てている点にある。王権を単なる「個々の王の力量」ではなく、制度と組織の成熟という長期的視点から描き出している点は、本書の大きな魅力の一つである。  そして第三の特徴は、これまでほとんど注目されてこなかった諸王に対しても、十分な紙幅を割き再評価している点である。  例えば第10代フィリップ3世の治世は、従来、王には不適格な性格や寵臣政治、さらには母や叔父たちの専横などのために、カペー朝の最盛期である13世紀の中で唯一「停滞の時期」とみなされてきた。しかし本書では、フィリップ3世を単なる未熟な王としてではなく、ある程度自律的な判断力をもって政治に臨んだ人物として描いている。例えば1278年の司法改革王令は、父ルイ9世のもとで整備された高等法院を頂点として全国的な司法ネットワークを整備し、王国全土を法的に統合する画期的な施策であった。この改革は、従来の日本の研究ではほとんど注目されてこなかったが、カペー朝の統治体制を理解するうえで極めて重要な意義をもつ出来事である。こうした〝忘れられた王たち〟に新たな光を当てる点も、本書の大きな魅力の一つといえよう。  さて、ここまでは本書の優れた点を中心に取り上げてきたが、最後に一点だけ、惜しまれる点に触れておきたい。  1302年、フィリップ4世はフランス史上初の全国規模の身分制議会を開催した。その後、カペー朝が断絶するまでのおよそ四半世紀の間に、主要なものだけでも十一回の身分制議会が開かれている。身分制議会は、後世では主として課税をめぐる審議の場として知られているが、本書でも触れられているように、この時期にはテンプル騎士団の処遇や王位継承問題など、きわめて政治的な案件も議題に上っていた。王はこうした議会を通じて王国の臣民と直接対話し、自らの政治的正統性を確認しながら統治を行っていたのである。  この「議会を媒介とした王と臣民の対話」という政治文化は、中世後期から近世初期にかけてのフランス政治における重要な特徴であり、次のヴァロワ朝へと受け継がれる政治的伝統の萌芽とみなすことができよう。したがって、この点にもう少し踏み込んだ考察があれば、本書の叙述はいっそう厚みを増したのではないかと感じられる。  以上のように、本書は三〇〇年以上にわたるカペー朝の歩みを、王権の形成過程とその理念的・制度的基盤の両面から丹念に描き出した労作であり、フランス中世史の理解に新たな視座をもたらす重要な成果である。(はなぶさ・しゅういち=中央学院大学法学部准教授・フランス中世史)  ★さとう・しょういち=名古屋大学名誉教授・西洋史。著書に『修道院と農民』(日本学士院賞)『ポスト・ローマ期フランク史の研究』『中世初期フランス地域史の研究』『歴史探究のヨーロッパ』『フランク史Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』『ヨーロッパ中世をめぐる問い 過去を理解するとは何か』など。一九四五年生。

書籍

書籍名 フランス中世史 Ⅰ
ISBN13 9784815812034
ISBN10 4815812039