看取られる神社
嶋田 奈穂子著
問芝 志保
実に印象的なタイトルである。「やられた!」と思った研究者は少なくないに違いない。著者の嶋田奈穂子氏は「人間文化学修士」、「地域研究、イマジナリー生態学」を専門とし、「なぜ、そこに神社があるのか」を研究しているという。本書の冒頭で、著者とともにインドに滞在中だった指導教授の故・高谷好一氏(滋賀県立大学名誉教授)が急逝してしまったことが綴られている。看取られる神社をめぐるフィールドワークは、著者にとって、恩師を追想するための旅でもあったように思われる。
ところで、タイトルとは裏腹に、本書は必ずしも神社の廃止だけを描いているわけではない。まず「1章 聖地が生まれる」では、3か所の聖地の成立に関する事例が紹介される。たとえば滋賀県の野洲川流域は、たびたび堤防が決壊し大水害が起こってきたが、ある神社は被災による瓦礫を集めた山の上に、五穀豊穣を祈るために建てられたという。
「2章 育つ聖地」は聖地の時代的変化を扱っている。京都府内のある村は、1973年に無住集落になったものの、2010年より旧住民の孫である一人の青年が定住して就農した。ところが、2013年の台風で村の神社が倒壊、ご神体も流出してしまった。するとかつて村を去った旧住民らが再建に乗り出し、現住の村人はたった一人であるにもかかわらず、2017年には立派な神社が再建されたという。このように、神社が時代による変容を受けながらも力強く存続している事例を挙げながら、著者は神社が「人々に寄り添って弾力的に生きてきた」と、そして「それは人が生まれ、成長していくのととてもよく似ている」と記している。
こうした聖地存続の事例が紹介される一方、やはり本書で最も中核をなすのは、「3章 看取られる聖地」に描かれた2つの神社の〝看取り〟の事例であろう。福島県奥会津のある村の最後の住人となった木地師の高齢男性は、ご神体を地域の博物館に寄贈した後、自らの手で社殿を解体し、残骸を燃やして更地にした。その2か月後、男性は逝去したという。福井県越前市の村でも、長年2人きりの住人だったご夫婦がついに移住を決意し、菅八幡神社と呼ばれる神社を解体して更地にしたのだという。
著者による生き生きとしたフィールドワークの記述をとおして、我々は、自ら神社を取り壊すという営みが何を意味しているのかに思いを巡らせずにはいられない。著者の考えでは、それは自分が生まれ育った村に自ら幕を下ろすという責任感であり、一種のけじめをつけることの象徴であるという。
そして「4章 それでも、聖地が生き続ける理由」では、大きな危機にもかかわらず存続してきた事例が紹介される。雪崩災害により無住集落となったにもかかわらず、崩れた神社をその場に再び建てた人々がいたり、合祀のため移設されたのちもその場に小さな祠を祀り続ける人々がいたりする。著者によれば、手を合わせる人がいればそこは聖地である。聖地とは記憶を継承し想起できる場所であり、その「想像力」が次世代に継承されなくなったときに、「聖地は死ぬ」のだという。このように本書は、日本のみならずラオスの事例も含めた、小さな無名の聖地をめぐる希少なルポルタージュとして読むことができる。
著者の専攻する宗教社会学では近年、宗教の物質性(Materiality)への関心が高まっており、墓や仏壇、祭壇などといった聖なるモノの廃棄をテーマとする研究が行われるようになっている。一方で本書の特色は、神社・社・祠の他、儀礼に用いる水の湧く場、ご神体が宿る石の置かれた場などを、いずれもモノではなく〝聖地〟と見なしている点にある。著者は建物やモノそれ自体にはあまり価値を見出さず、あくまでその「土地」に、そして何らかの記憶を継承し、想起できることとの二つに、神社の聖性を見ているようである。著者によれば、寺院の場合には、仏像を別の場所に遷したら、建物はそのまま朽ちていくものとされる傾向があるという。それに対して、神社の場合は「神社としてあった土地を自然に還す」ことが重視されており、したがって「神社の聖地としての本質がその土地にあるということが、神社の最期に垣間見える」のだという。この見立てがどこまで敷衍できるのか、まだ議論の余地があるようにも思われるが、本書の独自性の高い切り口は、広く宗教に関心のある読者に対して新しい視点を喚起することだろう。(といしば・しほ=東北大学大学院文学研究科准教授・宗教社会学・葬送墓制研究)
★しまだ・なほこ=滋賀大学非常勤講師・地域研究、イマジナリー生態学。共著に『アジアの人びとの自然観をたどる』『朽木谷の自然と社会の変容』など。
書籍
書籍名 | 看取られる神社 |
ISBN13 | 9784865551204 |
ISBN10 | 4865551204 |