『悪の花』の旅
原 大地著
鈴木 和彦
小説とちがって詩は入門書が多い。読み方がわからないのだ。詩集は、ポーンと飛び出したピンボールの球がどこにも引っかからず底の穴に吸い込まれるように読み終わってしまうことがある。訳詩ならば翻訳だからわからないのかもという疑念も邪魔になる。
作品がなければ始まらないが、作品だけあっても始めにくい。詩と哲学は少し似ている。作品を訳して研究書を書くという、研究者に染みついた発想だけでは読まれない。作品と研究の溝を埋める、もう一冊が必要。日本の詩については、主に詩人たちの手がけるさまざまな手引書がある(最近では豊﨑由美・広瀬大志『カッコよくなきゃ、ポエムじゃない! 萌える現代詩入門』(思潮社)が清新だ)。だが海外の詩となるとどうしても研究者の領域になる。重厚な学術書が多く、取っつきやすいガイドブックは少ない。
その意味であたらしい、めざましい本である。著者は一九世紀フランスの詩人ボードレールの詩集『悪の花』から数篇を選りすぐり、作品のポイントをわかりやすく押さえる詳説を添えた。選ばれたのは「旅へのいざない」「異国のかおり」「死骸」「白鳥」の四篇、いずれも代表作だ。
ボードレールは難解な詩人ではないが、一五〇年以上むかしの西洋文学となれば当然わからない箇所も出てくる。たとえば散歩道で出くわした獣の死体から恋人の未来を想う詩篇「死骸」は、その突飛な連想と裏腹にカルペ・ディエム(その日を摘め)やメメント・モリ(死を思え)といったヨーロッパ詩の伝統に深く根ざしている。「アンドロマケよ、あなたを思う」の唐突な呼びかけにはじまり、変わりゆく街並みを前に立ちつくす人間の憂鬱をうたう「白鳥」は『悪の花』の絶唱として名高いが、ギリシャ神話の素養と一九世紀パリを一変させた都市改造の知識がなければこの哀歌の奥行きは測れない。
本書はすぐれて実証的な立場から、作品の背景や文脈を明らかにしてくれる。耳心地の良い「ですます調」だが気の利いたエッセイとは一線を画し、専門家の知見をふんだんに盛り込みつつ初めての読者を置き去りにしない。いさぎよい省略と断言は迷わせるところがなく、日本人に馴染みのうすいトロイア戦争の伝説も「キャラ萌え」「二次創作」といった言葉ですんなり理解させる。詩というものに対する過剰な思い入れや秘教的な粘つきのない、ほどよく砕けた語り口は、読者を身構えさせることなく『悪の花』の旅へと誘ってくれる(手に入れやすいサイズと価格もうれしい、ラーメン一杯より安い旅!)。ボードレールに関心のある人は、世にある『悪の花』のどの翻訳よりもまず本書を手に取ってほしい。作品から入る、という発想を変えて。幾つかの読み筋を持ったうえで作品に入れば、そこから引っかかってくれる詩がきっとある。
副題は「ボードレールを読もう」。「読む」ではなく「読もう」。読もう。みんなで読もう。著者の原大地は二〇一一年に同じく慶應義塾大学教養研究センター選書から『牧神の午後 マラルメを読もう』を出している。晦渋で知られるマラルメの詩を「みんなで」読めるようにと書かれた本だ。マラルメ研究の泰斗を多く抱える日本で、原はこういう努力をした最初の研究者である(そのうえで専門的なマラルメ論も複数書いている)。
かつてはひろく読まれた西洋の詩が、一部の愛好家や研究者の占有物となって久しい。フランス近代詩の錆を落とし、もう一度人々に送り届ける。終章の言葉を借りれば、それは「近代にとっての詩の意味を問う作業」であり、本選書の名称にもある「教養」に命を吹き込む作業でもあるだろう。いずれにせよ、一人でできる作業ではない。
マラルメ、ボードレールと書き継いできた著者による三冊目の「読もう」を楽しみに待ちたい。はじめはこう閉じるつもりだったが、本書を読むうちに気が変わった――著者による三冊目の「読もう」を楽しみに待つのではなく、書ける人はどんどん「読もう」を書こう!(すずき・かずひこ=東京大学准教授・フランス文学)
★はら・たいち=慶應義塾大学商学部教授・フランス語・フランス文学。著書に『ステファヌ・マラルメの〈世紀〉』『マラルメ 不在の懐胎』『牧神の午後 マラルメを読もう』など。一九七三年生。
書籍
書籍名 | 『悪の花』の旅 |
ISBN13 | 9784766430240 |
ISBN10 | 4766430247 |